倉敷・大原美術館横「似顔絵・宏プロ」

倉敷・大原美術館横で長年・似顔絵を描き、お世話になっている者です。

倉敷にがおえエレジー 76回清原天皇の生涯②

2004-10-31 17:13:43 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
事実、彼は求道者である。
「異説・日本創世記」「最上原朝史」等の著作に全てを賭けているのだ。水戸日報には求名隠士の名において「明治天一坊、天津教教祖、竹内巨麿伝」を掲載していたのもこの頃である。そんな眼で眺めると彼の行動、容姿全てが絵になるのだ。芸らしい芸は何もしなくても、いわば存在そのものが作品だといいたくなる役者が減少の一途をたどっているように、ニガオエ描きもそういう人が少なくなった。況や、その人を見てカッコが良いとか、悪いとか言っているうちは必死に生きていない証拠で、必死と言うのはもっと不様なものではないか。
 自画自賛になるがその清原天皇の俺は・・・
「弊衣破帽、ちびた下駄に汚れ手ぬぐいをぶら下げ、絵を描こうとも、ゲーテに泣き、ハイネに酔う。まさに多情多感なアルトハイデルベルグだ!」
 こういう矛盾だらけの事を言ってくれるのだから、あまり他人の事を言えた義理ではない。

 しかし、世は多情多感であった。新幹線開通、東京オリンピック、ベトナム戦争拡大戦略に反対する小田実等のべ平連結成、全共闘では山本清隆
(東大)や秋田明大(日大)議長が学園否定を自己主張。そして自由、平等、友愛がもっとも優れた形で表現しょうというモルガンの言葉をスローガンにヒッピーが台頭してきて、美術研究所で大の男がマスターベーションみたいな絵画等描いている時ではなかったのだ。この清原天皇と京大・熊野寮を足場に、西の風月堂と言われた六曜社、あるいはフォーク歌手の岡林信康らが作った反戦喫茶「ほんやら洞」で口角泡を飛ばし、まさに梁山泊の趣を呈していたのである。

ところで先ほどから天皇、天皇と言っているのに読者は奇異感じられていると思うので、脱線気味だが説明する。
 彼が常に言っているのは「君らは東北人をバカにするが、東北こそ日本の先進地帯であったのだ」
 ちょっと難しいが続ける・・・
 「大和の首長であった安日彦(やすひこ)長髄彦
(ながすねひこ)兄弟が九州に突然現れた神武の東征によって、北に追われるのだが、結局彼等は東北にアラハバキ王朝を形成する。そこは天然の良港十三港に恵まれ、朝鮮半島や大陸との交易を盛んに行い、異文化に彩られた大きな都市だった訳だ。又、食料も稲は植物派農法を知悉しており、サケ、マス等も豊富で富を貯蓄する必要もなく、自然との共存の中、信仰もアニニズムでのち神道でいう八百万神(やおろずのかみ)につながるのだ。
 また社会は完全な原始共産制で「吾が一族の血肉は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」を福沢諭吉より何千年前に実行していたのである。エセ学者ども「大和朝廷の歴史教育」汚染されているから高天原が九州とか、大和とか、つまらぬ議論をしているが、東北にはそれより上等の最上原があったのだ・・・・云々」と何度もいうものだから、我々似顔絵かきは「又、彼の天皇論が始まった。とソッポを向き、あるものは「戦後出た南朝第二十二代の直系と称した熊沢信彦天皇の再来だ! 」という奴もいる。

 たしかに彼の書いているのは「古史古伝」(古事記や日本書記等の様な御用学者を経緯したものではなく非公認の超古代関係の資料をいう)を元にした本である。だが古史古伝と云うのはとうしても誇大妄想体系に傾きがちで、例えば分裂病者が現実の両親を認めず、神の子であるとか、皇帝の落胤であるとか称する血統妄想と同じように己自身の神話こそ真実でなければならなかった。傍からどれほどおかしな不合理なものに見えようとも、妄想体系が維持されるのは、内的自己の独自性を支える為に必要だからである。故にこの世界はどのように足掻いても、文化の起源について、どのような理論を立てようとも実証も反証も出来ないのがこの世界の弱点ではないだろうか。
 しかし、何はともあれ出口にしろ、南方にしろ肥大した自我を燃焼し続け偉業を成し遂げたのである。清原にしろだそれを続行中なのだ。俺はこういう人間には文句なしに頭を下げるのだ。

 翌日、清原天皇がやって来た。相変わらず怪異な風貌に買い物車を引っ張り、さすがに寒いのか蚊帳ごとき着物の上にドテラを着ておった。
 開口一番「ミョーケンへ行っていてね」と言う。
 「ミョーケン?」俺は余り突飛な言葉でミミズが腹痛を起こした様な哀れな声で聞き返した。
 「君は倉敷に住んでいて妙見さんも知らないのか。妙見とは阿智神社の事だ。浅原安養寺を毘沙門天、帯江不洗を観音さん、日間寺をお薬師と言うのだ」
 たしかに彼は八宗兼学でも気がすまぬ。ニガオエ商売をなしつつ諸国の風俗、伝説口碑を聞き「日本創生記」に書き加えつつあるのだ。

 ただ頭が下がる・・・


 次回 ニガオエ天一坊・清原天皇の生涯?


倉敷にがおえエレジー 75回清原天皇の生涯1

2004-10-29 22:19:51 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
30 ニガオエ天一坊 清原天皇の生涯?

 「謹啓、遂に出現! 言語学、歴史、宗教の各分野に一大衝撃を与える開闢以来の未曾有の奇書。併しして貴君は唯物無我論的合理主義オミコシ担ぎの手前、コソコソと我が天日のごとき大真理から逃げようとするのか初めに五十部、次は三十部、そして一部も配布不可能とは情けない男也。確かにそこは大政翼賛会発祥の地であり、難しいだろうが、宗教色の濃い土地柄でもあるはずだ。要するに金銭労力の問題ではなく、世間体を繕い、事なかれ主義的に世の中を紡いで行こうとする君の方針に疑惑を感ずるのだ。その上、文化国家的奴隷根性が強く、マルクスとか、実存主義とか、抽象的文化とか、愚にもつかない西洋外道のカスみたいなものを有りたがって拝蹲する事になり、そしてコペルニクス的新学説を誹謗し、彼を処刑する様な失態に陥るのだ。ともあれ今の私は東京の借家を追い出され、ここ京大・熊野寮も立ち退かねばならぬ宿無しの境遇故そちらで厄介になりたし。文章で言えない事はその折に・・」
 清原天皇の一坊的な手紙で、時、昭和五十六年晩秋の事で荷物と一緒に転がりこんできた訳である。

 その頃の俺はここ倉敷に引っ越して間なく、自慢じゃないが俺一人喰うのがやっとの事で、家賃も日払い?というていたらくだった。そこへ食客遠方より来た故、まるで首吊り男の足を引っ張りに来た様なものだ。しかし反面精神的に浮かぼうか沈もうか、もがいていた矢先で、年来の友人に会える方が嬉しかった。俺に言わせると天地間で尊敬出来る人物は、何でも大本教の出口王仁三郎と博物学の巨人と言うより怪物の南方熊楠。その次がこの清原天皇で、そういえば三人ともよく顔付きが似ているように思えるのだ。故に相談しがいがあると思った訳である。

 だいたいこの清原と最初に会ったのは京都河原町四条通りにある銀行前でニガオエを描いている時だった。フト横を見ると一人の男がニガオエを描いているのだが、その姿は子持ちの南京虫の様にズングリ太り、蚊帳ごとき着物にドタ靴のいでたちだ。おまけに頭髪がヨモギみたいにボウボウと突っ立っているのである。
 しかし、それが別に奇異に感じさせないのは、その男の顔が求道者によく見られる人を萎縮させる様な、何か魁偉な容貌が全体を引き締めているからであろう。

 事実、彼は求道者である。
「異説・日本創世記」「最上原朝史


倉敷にがおえエレジー 74回髪学②

2004-10-28 21:56:18 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
さて髪の毛もなんだが、紙数も心細くなってきた。しかし頭髪を書けばヒゲも書かなければ片手落ちであろう。ではヒゲを厳密に漢字にすると鼻の下の口髭、顎にあるのを顎鬚、両頬にあるのを頬ひげというごとく色々あるが、いずれにしろヒゲは人間を己以上に見せようとする演出が見られる。ただ一面、ヒゲはサングラスと同じく単に己の素顔を隠すというだけでなく、顔と心の関連を断ち切り、己を世間的な心から開放するというより積極的な目的も忘れてはならない。そこにはヒゲやサングラスに頼っても、心の軌範から開放されて限りなく自由に振舞いたい願望も含まれているのだ。
 ここで蛇足ながら画家ルネ・マグリットは何故髪が頭に生えるのか。ヒゲが口の廻りに生えるのか。おそらく髪の毛も口の毛も、当然、暗に下の毛が予想されても当然だと錬金術的手法で絵を描いている。つまり彼は骨相学的に言い表すならば頭蓋骨と恥骨との関係。女体の性器としての口唇形態の類縁関係、そこから顔貌は性貌にも通いあると言いたかったのではないか。

 最後に皺だが昔、顔中に皺を寄せて、その皺にキセルの雁首を引っ掛ける事三十六本という奇妙な芸があったが、それぐらい顔には皺が多い。ある学者は表情筋の集約から出来上がったものが「顔」というものであると規定している程なのだ。
 人相学では皺のことを「紋理」といい、医学では「ランゲル線」といって、確かに皺は生活上の事で様々なことを示しているといえる。イタリアの人相学の権威マルガッツアに依ると、皺によってその人の職業をいいあてる事が出来ると断言したのも別に不思議でなく、マルガッツアだけでなく、人間長い間、ある表情を続けると顔に恒久的な変化が生じ、この種の主張はかくも多くの優れた生理学者が唱えてきたものである。

 筆者でさえ似顔絵のサンプルを描くのに古今東西の偉人・思想家を見ていて、あまりにも美しい皺、人生を刻みこんだ皺に驚嘆した事がある。たとえば執筆する神学者カルル・バルトやマザー・テレサ。指を噛むピカソ。正視する彫刻家ジャコメティなどなど・・・
 日本でも生物学者モースが撮った写真には花を売る老女、漁民、アイヌの人々の美しい皺が浮かんでくる・・・

 それでは何時頃から人の顔皺が面白くなくなったかと言えば高度経済成長時代からではなかろうか。
 その頃より我々は自分で選び取った教育ではなく、自由度の乏しい教育を受け、マスコミから同じような情報を得、同じような生活スタイルと価値観で生きているから、いくら皮膚は年月にさらされているのに皺として受け止めているのを止めているのだ。
 都市に生き、人工環境のみを行き来し、画一的な生活を送る人々には画一的な皺しかなくなって来た。それより今の人は皺を嫌い、美しい皺があった事を忘れているのだ。
 人の顔から皺が少なくなっただけではなく、自然や町からも、そして地球全体からも、襞が消えつつある。その裏に何が皺寄せられているのか、まだハッキリ見えていない。
 いずれにせよ「シワとは幸せなり」という美しい皺があったという事。今なお他国にはあることを思い起こして頂き人相考を塙筆したい。



倉敷にがおえエレジー 73回髪学①

2004-10-26 19:49:49 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
29-2 実証的人相考12?2髪・皺論

 昔から「ハゲにガンなし」「白髪に卒中なし」と言われて来たように毛髪は健康のバロメーターで身体に異常があれば確実に毛にも影響がある。
 例えばユーゴーの「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンが極度な苦悩に依って一夜にして白変したり、フランス革命時のマリー・アントワネットがと共に捕らえられ、ブロンドの髪が驚愕のため、瞬時に白髪になった事は知る人ぞ知る話である。

 この如く髪の毛は血液と深い関係にあって、毛は一つの血管ともいえる。
 話は第二次世界大戦の頃だ。
 物資が不足していた故、髪の毛から代用醤油を造っていたことは戦争経験者ならご存知のはずでこれは毛にアミノ酸が含まれていて、それを引き出していたのである。
 まさに髪の毛は血の結晶で、そこから付会するに髪を長く伸ばしている男は不必要な所にも血液が伸びる結果、思索的になり、優柔不断になる。
 反面スポーツマン、あるいはヤクザの髪のように、髪を短く刈り上げているのは決断力早く、女も男性的になる。
だいたい我々エカキや作家が髪をながくするのはこうした女性的感情移入をはかり、思索的になるためで、何もダテや酔狂で、あるいは不精で伸ばしているわけではないのだ。
音楽に携わる人間でも長髪が多いのは、この感情移入の為で決してカッコが良いからではなく、例えばロックの連中が丸坊主にすると音感が判らなくなるというより、深い所で理解出来なくなるからであろう。

 またこの髪の毛はこれまで多くの研究家が性的な活力との間に、ある強力なる連想が働いている事を示唆してきた。とくにこの難問に取り組んだ史上最初の人はアリストテレスで、彼はハゲの原因は好色の為であり、性交未経験者にハゲがないのはその証拠だという。その理由は精液が頭から脊髄を伝わって流れ、頭髪の養分が失われるためで、その証拠に女にはこの様な生理作用がないからハゲにならない。
 たしかによく観察してみると男性ホルモンの働きが極めて盛んな殿方のオツムの毛は薄いが、反面、ヒゲや胸毛は濃く、顔は油きってテカテカしている。このテカテカするのは男性ホルモンが脂肪の分泌を促進するからである。したがって女性ホルモンの多い男はハゲが少ない事になり、、若くしてアデランスやアートネイチャーのお世話になる方は精力絶倫と云う事になるのだ。

 ところで精力絶倫で悩んだかどうか知らないが、この若ハゲで悩んだのは作曲家・山田耕筰氏で頭の禿げたのを淋しく思い、せめて名前だけでもと「耕作」の上にケを二本増やしている。こんな涙ぐましい努力も世界的皮膚医学の権威ホフマン博士に依ると、神経系統の中心である脳髄が発達するほど頭髪は微弱になるとおっしゃるのだ。故に博士はハゲは文明人の証明でケの多い者はケモノ、ケダモノで動物なのだ。
 なるほど、すればどう禿頭を嘆くより、我こそは文明人の先端である。と胸を張ってもいい訳である。




倉敷にがおえエレジー 72回鼻学③

2004-10-25 19:58:51 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
*段鼻・・・眼鏡の脚がかかる所がまた高く突き出ている鼻。この人は鼻っ柱強く実行力に富むが、妥協性無く頑固で傲慢。余談だがナポレオンは部下を選ぶ場合、この鼻を選んだのは有名な話で、勇敢で心臓強く、攻撃的で身体も概して強健な人が多いことを知っていたのであろう。
 女は気性激しく男を圧倒し、自我にこだわり、セックスも変態性を好む。
 *ユダヤ鼻・・・横から見ると鼻先が垂れ下がっている鼻。この人は常に感情を押し殺し、利己的であらゆる物を金銭で割り切っていこうとする黄金主義者。金を作るコツも心得ていて、イザ金になると知ると義理や人情や、恥をかいても平気でいられるし、人から嘲笑されても全く気にしない人で日本には少なくアラビア人に多く見られる。
* 獅子鼻・・・小鼻が横に広がり張っている人。この人は善悪強く生活意欲旺盛。ただ知的な事や細かい仕事には向いていず、どうしても世間的見栄より実際に即した事に力を入れる。
 女でこの鼻は女と書いて嬶(かかあ)というごとく、夫を尻に敷くぐらい気迫をもっている。故にか、水商売か料理屋のオカミ等、とかく男勝さりの仕事をしている人に多い。

ここで一寸小鼻の事について触れてみたい。人相学では小鼻の事を金甲といい、小人形法(顔を人間全体の縮図と見なす方、これは逆に見る)では男の金玉にあたる。まさに「小鼻は金庫」であり、貯蓄や理財性を見る。また「金甲の張った男は亀頭も大なり」とあるがはたしてどんなものであろうか。これは筆者が一考するに小鼻はスポンジ状の勃起組織を持っていて、性的に興奮すると血管が充血し、鼻孔も広がって性器とよく似ている。なお「人物画への投影」でのマコーバ博士(精神科医)が「絵の中で鼻は性的シンボルである」と言うのも興味深い。ただ、ここの張った人は前にも言ったように生活意欲旺盛ゆえ、精力あれば自然、肉欲旺盛になるのも必然で、また性器も大きくなるのである。ただし、これだけの判断では他人の息子に対して礼儀を失する故「首筋の太い男はペニスも太し」「頭大にして声剛なる者は亀頭も大きい」と別本にもあるので、この三説揃った男がペニスも大きいと判断して間違いないだろう。
 女ではここは逆人形法でバストにあたり、ここの肉付きの良いのは確かにバストも大きい。また生理中の女はここが必ず赤味を帯びているもので、現在、生理中であるかないかはここで判断出きる。
* アグラ鼻・・・この鼻で鼻孔が大きく書面から穴がハッキリ見える人は、極端なくらい開放的であらゆる面で秘密を保てない性格。
 また俗に「鼻息が荒い」というごとく金銭等は自ら使うものと心得、計画性もなく気前よくパッパと浪費する。筆者がニガオエを描いていた時の経験によると例えば三人連れの場合、こういう相の持ち主が三人分払っていく。そこで客を勧誘する場合こういう相の持ち主に向かって誘いかけるとたいてい描かせてくれる。
 ここで一言注意しておきたいのは鼻穴が横に大きく広がって人である。この人は無節操ですぐカッとし、すぐ手を出してくるが絶対相手にしてはいけない。喧嘩に執念深く、何をされるかわからない。あの世界一の暴れん坊モハメッド・アリを初め、凶暴性を帯びた暴力団、犯罪者はたいていこの鼻穴の持ち主である・・・

さて次は鼻の下から上唇に伸びるタテの溝を「人中」といい、この輪郭がハッキリしていて不動明王の剣の様なものが最も良い相とされている。
 ここでは節操、道義心を見たりするのは、人間が真剣に努力している時は「人中」も自然にしまって精神の緩みの無い事を示し、ボケッとしている時は「人中」も自然に広がり溝が浅くなるからである。
 またこの「人中」は胎児の頃、左右の肉が両方から集まってきて出産時一体となる故、両親がその時、如何にピッタリ一体となっていたかが判る。調和した家庭に生まれた子は「人中」がハッキリしている所からでも判るであろう。
またこの「人中」は相学の秘法「色情相法」、別名「淫相学」では女の陰核(クリストス)に通じ、性器の良し悪しを見る。例えば図1の様に(鼻下と上唇の真ん中に通じる彫り皺だがこの場合上広く、下狭い人中)陰口狭くなっているは、陰口狭く膣の奥行広いことを示している。故にこういう女とセックス致そうとしても中々入りにくいタイプである。
 図2の様に先ほどと反対に下に行くほど広くなっているのは、性感帯は膣の奥にあって深く挿入しなければ快感は得られない。
 ・・・等々あるがここではこの顛末を書く事が趣旨でないので省き、前出の人相研究家・八木喜三郎氏が人中が深く彫れ、先が尖っている父親は男児を多く作り、反対に人中の彫り浅く、先が丸い父親は女児多く作るとおっしゃっているので、生まれてくる子供が男児であるか、女児であるかを考察してみたい。
 遺伝学の宇多博士に子供の性を決定するのは男であって、女は無関係との事である。例えば男が老いてからの子供はほとんど男の子と言うのは、男が性的に老衰しているからで、その時、男が生まれる確立は高い。よって平均的家庭では一姫二太郎といって第一子に女、第二子、第三子に男が生まれる確立が高い訳である。
 イギリスの遺伝学者・クルーも男が性的過労の時、妊娠すると男が生まれる確立が高いと強調し、また彼は栄養学においても農山村に男の子が多いのは炭水化物摂取過剰ゆえ、性的に疲労しているからであり、漁村に女の子が多いのは蛋白質多く性的に若くなるからだという説をあげている。
 更に自然研究所所長の栗山毅一氏にると、受胎する日に父親が酸性であると男の子が産まれる率が高くなり、父親がアルカリ度が高いと女の子が生まれて来る率が多くなるとデータで証明されていると。
 例えば父親が酸性度の強い酒や肉、あるいは油っこいものを食べるという事は、家の食事ではなく外食的になるから家庭をかえりみない状況に自然なってくる。故に家庭の主婦が上手く夫を操縦出来ない家は、男の子が多く生まれるという先ほどの宇田博士の説と符号するわけだ。
 これからも判るように父親が柔和で愛嬌のある様な人ならば、たいていの子供は女の子が多い。こういう性質の父親は概ね気持ち、つまり精気が弱く、精気弱ければ女の精気に圧倒される。だから男の気が女の気に包まれるのは自然の摂理であろう。
 しかし平常、気持ちの強い女でも何かの拍子で気持ちが崩れている時に、夫婦の交わりを結んで出来た子は自然、女児になる事も在り得る。

 他にも「養子の家は女系家族から逃れられない」「女の方が収入の良い家、地帯では女児が多い」「戦争中は男児が生まれやすい」等々あるが、シュトルス博士の「男児を生むなら排卵日にセックスする」という説。聖マリアンヌ医科大のM教授の「女児を生むには正常位、男児を生むには背後位」というキリスト系らしからぬ説。
 慶大の飯塚教授の「?X精子になると女児、?Y精子になると男児という方法で全て産み分けに成功している由、等々あるが紙数が尽きた。生も根も尽き果てた。
 ただハッキリ言える事は生命の誕生は、全て神の摂理に任せるのが良いのではないか、と言うのが俺自身の結論である。



倉敷にがおえエレジー 71回鼻学②

2004-10-24 21:38:30 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
さて鼻の話だったのたが過日「何時までも若くありたい。美しくありたい。と言うのは、何時の時代でも女性の願望であり、切実な問題である。その人間を整形で美しくして何処が悪いのか!あんたはカトリックか」と美容整形師からの抗議の電話だ。それを補足していたのだが、たしかに俺は美容整形を批判する文を書いた。孔子の教えに背く事から生まれる、古臭い疑問も発した。美容整形のごときは人体の器物化と、人口の画一化と、人間の自己冒涜との恐ろしい象徴になるというカソリックの教義まがいの事も言った。
 「しかし・・・」と電話氏はおっしゃるのだ。「美容整形が人工による自然の冒涜だという点で非難するなら、カソリックの立てた掟は、自然に反した掟であり、キリスト教等は反自然の最右翼ではないか」と。なるほど電話氏の論理も一理あって、神もまた三つの仮面を、父と子と聖霊の三つのペルソナを必要とした事は事実である。
 だが相手は生身の人間である。人間は一度枠を外すと、何処まで落ちてゆくか解からないのである。宿命的なモノであったはずの顔が自由自在に変えられるとすれば、モラルも体系も深い所でガタガタと崩れていくのではないか。あのマイケル・ジャクソンの様にだ。他にも乳やお尻に挿入したシリコン自体、発ガン性があって、挿入したジェーン・フォンダやリズ・テーラーまでが戦々恐々だ。
このように整形美術には問題は多いが、その上美容整形の経営社が脱税することも当たり前で、彼等は美容術は算術だと心得ているのである。
 電話氏の至上夢はモデル化された顔、マヌカンの顔を作り出す所にあり、その業界に捕食され支持に従う操り人形達と合致する限り、第三者の俺が何を言おうと所詮、電話氏は山を見、俺は川を見ている存在に過ぎない事に気がついて「朝まで生電話」を打ち切ることにした。しかし、何処からか「女は月と同じこと、借り物の光で輝く」というアタリーの詩句が悲しげに響いてくるのだ。
・・・・と言いながら顔に故障だらけのこの俺も隆鼻整形ならいざ知らず、せめてニガオエを描く時、酒が顔面に出ないようにファンデーションぐらい塗って行こうと思うのだ。あの硬派の聖書「葉隠れ」が「武士が二日酔いの青い顔でお城へ上がる時は、頬に紅粉を刷くがよい」と教えている様にだ。滝廉太郎が「荒城の月」を引くためピアノに向かう時、爪にマニキュアをしたようにだ。
話を本流にもどす。人相書によると低鼻は自我に目覚めていない赤ん坊や未開人同様、親しみさはあるが没個性的であり、反対に鼻の高い人ほど理想高く、自尊心や名誉欲が強い。
 ある人相見が「一般に欧米人の鼻が高いは自己主義、個人主義に相通じ、逆に日本人は長い封建主義の結果、鼻が低いのだ」とこじつけがましく云うが、ある一面を突いている。
 また「性格分析学」の著者・ニューカムは次のように言っている。
 「寒帯に住む北欧人は鼻高く、温帯に住む黒人の鼻低いのは自然環境に順応した当然の帰結で、その理由としては寒帯では冷たい空気をそのまま吸い込んでは肺を痛めつけるので、鼻孔を通過する間に暖めなければならない、故に鼻の穴の周りに肉が厚くなって鼻が高くなるのは当然である」と。

この自然の帰結からも解かる様に鼻の低い人でも整形することばかり考えず、低鼻には低鼻なりの愛嬌や融通性の性格の利点を大いに生かした方がいいのではないかと考えたい。美しい花にはトゲがあよようにだ。
 例えば鼻の高い女より庶民的な低い鼻の方が、早婚が多いと言うのも理想高くオールド・ミスになるよりも、ある程度、妥協を知っている。どうか低鼻を嘆くより、その利点を大いに利用して、心の中から鼻を高くして貰いたいと願う者である。
 それでは鼻の形にはどんなもがあるのか。鼻筋の通ったギリシャ鼻(日本では公家鼻)つけ根が隆起している段鼻(ローマ鼻、武人鼻)鼻の短い短鼻(幼児鼻)鼻先が魔法使いみたいに垂れ下がっているユダヤ鼻、(釣り鼻)鼻筋が太い広鼻、鼻筋が細い狭鼻(針洞鼻)小鼻が大きく張り、まさに神楽の獅子のような獅子鼻。正面から見て鼻穴が大きく見えるアグラ鼻・・・・色々あるが初めての方には一寸見分けが付きにくいだろう。そこで大きく纏めると鼻の大きいのは積極的、とくに実務的に何事にも興味がある。小さい鼻は静かなタイプで、それに薄いのは神経質タイプでクヨクヨする。広い鼻は不注意で陽気なタイプ。短い人は結果にまり拘らずクヨクヨしない楽しい人であると覚えておけば簡単であろう。しかし、これだけでは読者に対して不親切というもので特徴ある鼻だけでも紹介しょう。

*ギリシャ鼻・・・鼻筋がすっきり通って高い人。この人は美意識すぐれ、誇り高きロマンチスト。上層階級に多く見られるが、ただ、逞しい生活力に欠け、他力本願で周囲に左右されがち。
 女で顔全体が美しくないのに、鼻だけこの鼻人は無知で虚栄心強く、おしゃれで自分を決めようとする愚かな考えを持っている人です。たいてい鼻だけ整形した女でアダルト系に多い。



倉敷にがおえエレジー 70回鼻考①

2004-10-23 18:41:36 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
鼻考現学

 鼻は顔の真ん中に鎮座している。その鼻を指して「俺が・・・」「私が・・」と言うのは古人曰くだ。
 眼は芽であり、歯は葉であり、耳は実であり、鼻は花である所から、その生命隊の一番自己主張する所からであろう。
 あのダビンチも鼻こそ顔の顔の全体的な特徴を決めると考えたし、デュラーも鼻の長さをほんの僅か変えるだけで著しく顔の感じが変化する事を描き出している。
人相学者ラヴンターは顔のあらゆる魅力は全て鼻しだいだという考えを述べた。故に「もしもクレオパトラの鼻がもい一センチ高かったら、世界の歴史は一変していたであろう」とパスカルの有名な警句が出来たのだ。
 日本でも芥川龍之介の短編「鼻」の主人公、禅智内供の鼻が腸詰めごとく伸びているのを悲観し、鼻を茹でて、その鼻を弟子に踏ませる悪戦苦闘の話だが、整形外科の発達している現在では、そんな事は訳もなく人口的に細工出きるだろう。しかしだ。そこにこそ人生の悲喜劇のドラマがあり、人は退屈せず生きていけるのであって、それを安易に努力もせず整形するという事は人間の喜怒哀楽の鞍部まで捨てきった個とになるのではないか。「画一化」という匿名の集団の中に逃げ込む事は、これは完全に人格性を喪失した生き方ではないのか。

だいたい「画一化」という思想はムダを省くことである。しかし、道草する馬が肥えるように、ムダが人間を豊かにし、ムダが内面生活を鍛えていくのだ。難しく言えば図のルネ・マグリットの指摘した様に「精神内容の不可視性」かも知れないのだ。
 本人が欠点と思っていた所が、実は案外唯一の魅力だったりするのである。
 故に整形して傲慢になるより、劣等感を抱き続けている者は謙虚である。傷を負って生きている人は優しい。そして尚「ヨシ、自分は自分なりに自分の人生をベストを尽くして生きる」ところに立派な顔が出来上がっていくのではないか。

さて鼻の話だったのたが過日「何時までも若くありたい。美しくありたい。と言うのは、何時の時代


倉敷にがおえエレジー 69回口、唇、歯考③

2004-10-22 20:17:26 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
* ウツ病・・・ポカンと口を開け、あるいは開けてなくとも下顎が緩み、顔が長く見える。両目の間に縦ジワが現れ、それが額にまで伸びて額の横ジワと交差し、目の形がほとんど三角形になる。また、口の両端は垂れ下がり、下唇が突き出してくる。
* 心臓病・・・この人はしばしば目を大きく見開き、口元もこわばり、しかも顔全体が縮まったように見える。それと同時に唇、目頭あたりの色がくすんで見え、とくに頬が紫がかった赤色になるは、血液中の赤血球の数が増加する所からである。
* 貧血・・・口、歯肉、爪床の赤色が薄くなり、また瞼の裏側が蒼白色で、耳タブ等こすっても色が出ない場合は極度の貧血症である。
* 胃病・・・この病気に罹りやすい人は顔の上半分広く、下にいくにつれ細くなり、眼窩落ち窪んでいる人が多い。
 鼻上半分辺りが赤色と暗蒙色生ずれば、間違いなく胃炎で、胃潰瘍まで進むと鼻上半分がテラテラした赤蒙色と顎の部分に小さなブツブツと同色が出る。
 尚、唇の
の右端のただれは食塩やアルコール過剰の場合に見られ、胃の小湾(右)が潰瘍になっている。
 唇の左端のただれは糖分過剰の人に多く、胃の大湾(左)に潰瘍が出来ている。
* 腸病・・・鼻の下半分を見、赤点は下痢、赤蒙色は腸の慢性病。それに現代は少なくなったが腸チフスの人は顔に落ち着くなく、顔色が赤黒くなる。
* 血圧の高低・・・白眼が薄く色付き、しかもうるんだ洋に目頭より山根の両側に赤色の斑点が出れば高血圧。
 目の状態は高血圧時と同じだが、山根の両側が白っぽく少し肉が落ちていれば低血圧。
 もっと解かりやすく云えば四十才をこえて髪の毛がフサフサしており、それも硬い毛だったら低血圧。反対に髪の毛の薄いのは高血圧。これはたいてい当たるであろう。
* 神経病・・・顔色白く、艶なく、少しブヨブヨした顔で、部位としは印堂狭く、額中央陥没。耳小さく、さらに目に力なく、白眼の周囲に赤色が生じているのは神経病を患いやすい人である。
 なお「アーガイル・ロバートソンの瞳孔」といって左右不均衡の瞳は神経病の障害を現わしているものとよく知られ、その上、髪の毛の生え際がまるで毛皮の帽子を被った様に豊富なのは、さらに危険度が増す故注意されたし。
* 腎臓・・・耳輪から耳タブにかけて暗蒙色が出てきた時は腎臓系の病気で、とくに上マブタがむくみ、下マブタに暗蒙色が出てきたらほぼ間違いない。
 だいたいこの病気は細面で目と目が離れている人がなりやすい。
* 肝臓・・・顔青黒く、顎の部分に多少の黄色を帯び、白眼が青味がかってくるのは肝臓の疲れを示す。
 さらに白眼の所が黄色くなると黄胆。そして尿が赤味がかり泡立っている時は肝臓病の前兆である。
* 甲状腺機能低下症・・・髪の毛、まつ毛等がよく抜けるようになり、喉のあたりが異常に膨れてきた場合は疑いがある。
 パセドー氏病で有名なカール・F・パセドーは「眼球突出性甲状腺腫」の顔について、大きく見開いた眼つきと突き出た瞳、太い首の特徴を示し、ヨウ素の不足を指摘している。
* 結核・・・この患者の「美麗顔貌」は有名な話だが、それは眼が輝き、白眼の部分が青味がかり、眉は重たげで顔の動きが少ない。
* 性病・・・眉毛の間に黒シミが出来、先天性梅毒は額の前部が著しく突き出し、鼻スジが押し潰されたようになる。この種の鼻を俗に「鞍状鼻(あんじょうばな)」と呼ぶ。

 次に紹介したいのは古今の医学者達が「病気と人相」の係わりをどの様に考えているかだ。
 医学の父・ヒポクラテスは紀元前四百年も昔「ヒポクラテスの顔貌」。つまり最も不吉で瀕死の顔について書き残している。
 それは鼻が細く尖り、眼はうつろで、コメカミは落ち込み、耳は冷たく、しかも耳タブが反り返って萎縮し、顔の皮膚は固く、緊張して顔色は黄色かあるいは黒ずんでしまう。
 一八二十年N・ジェイドロッドは顔と皮膚の関係を記述、分類。その診断上の意味について論じた。
 それによると子供の顔に、眼から頬にかけて著しい皺があれば、脳、あるいは神経に病気がある。また同じ皺が大人にあれば、それは生殖器官の病気か「過度の自慰を示す」。
鼻穴辺りから口にかけて皺が目立つなら腸、または胃の病気がある。
 口の端から走る皺が目立つなら呼吸器系統の疾患である。
 この皺の外側に鼻翼辺りから、口の両端に走る皺が深く彫られているなら、胸部や腹部の内臓器官の病気を示す。
十九世紀の婦人科医T・スペンサーはその他の見過ごせない重要な兆候について述べている。
 例えば卵巣に病気を持つ女性の顔は引き吊り、やせ衰え何か不安である。これは子宮熱に関してはどんな観察者でも、顔からその病気を読み取る事が出来るからだ。
 赤鼻は普通にはアルコールの飲みすぎと結び付けて考えられる様であるが、遺伝でも赤鼻になるし、またある種の刺激、例えば極寒にさらされてもそうなる。
 過度の飲酒で肝硬変になり、鼻が浮腫んで青黒味がかった人も時々見かける。
フランスの内科医ピエル・マーは顔立ちが粗大で伸びすぎる症状について・・・これは脳下垂体の活動過剰によって生じる末端肥大症である。ちょうどジャイアント・馬場のごとく・・・・

 以上だが顔と病気は何等かの指標、あるいは手がかりがあると同時に病気と社会が常に絡み合って出現している事だ。
 例えば十三世紀のライ病、十四世紀のペスト、十六世紀の梅毒、十七・八世紀のチフス、十九世紀のコレラ、結核では現在は言うまでもなくエイズであろう。この病は中世の「黒死病」とも比較されるのは、発症すれば百パーセント死亡する「死に到る病」だからだ。
 極言すれば他人(他の生命)を単なる手段、物質と見る飽くなきエゴイズムと欲望を追求する現代人の天からの鉄槌なのだ。傲慢なる現代人の価値観、性行動、家族関係、社会制度に対する警告なのだ。と、受け止めているこの乞食エカキを誰が誇大妄想と思うものは笑えば笑え。




倉敷にがおえエレジー 68回口、唇、歯考②

2004-10-21 08:06:07 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
まだ他にも色々口の形があるが煩雑になりすぎるので、次ぎに口の形について書いてみよう。
 そもそも口の良相とは何といっても上下の釣り合いが取れ、口の輪郭が整い、ことに上唇の線が綺麗なのは経済的、精神的に恵まれた家庭に育った人だ。
 ただ形の悪い口でも口端に締まりあれば放蕩、官能をセーブする力があり、ベソ口も努力口に転換する働きを持つ事が出来るのだ。
 これは何度も言っているが、人相を見るにあたって孤立した特徴、すなわち口の形一つだけで判断するのではなく、鼻の形、あるいはそのその人自身の持つ調和感を形態学上の全体感に結びつけ、総合的に判断して貰いたい。

さて口の中は歯だが歯は葉に対応し、植物において葉は太陽の養分を取り入れるごとく、歯も人間にとっては栄養を取り入れる重要な部分である。
 そこで歯を細かく別けると切歯(門歯)八枚、犬歯四枚、臼歯二十枚の計三十枚になる。切歯は肉を切る為であり、臼歯は穀類を押し潰す為である。
 これは不思議な事に自然が定めた我々人間の食物を決定しているのであって、すなわち穀類が三分の二が菜食、三分の一が魚類、その他が肉類とという事になって、肉類は一周間に一度か二度食べるのが理想的な食事方法といえるのだ。
ところで人相学ては歯は兄弟運、肉親運など判断するのは、この三十二枚の歯のことごとく歯グキから出ているからで年齢、健康の良し悪しを判断するのも「年歯幾何」という言葉からでも解かるであろう。
 また歯と性格は非常に関連している事は統計的にも証明され、その例として悪質な犯罪者は反っ歯や乱杭歯の多い事実をみても分かる。
 昔かいい古されてきた言葉には歯並びの良い人は「言語に実を含み」といい、歯と歯の間がすいていたり、歯並びの悪い人は「嘘言を吐く者なり」と言われてきた。
 たしかに乱杭歯の人は性格短気、意地っぱりで品性粗野である。
 これを医学的に考察すれば、歯には自律神経が入っていて、つまり歯並び悪いのは自律神経に故障がある証拠といえる。
 昨今、筆者が似顔絵を描いていて若者に乱杭歯(医学用語でボトル・マウス)の増えているのを見、いかに自律神経失調症の若者が多いかを痛感し、心寒く感じいっているしだいである。

歯には反っ歯、鼠歯、八重歯等があるがここで注意したいのは、門歯の両側(側切歯)が尖っている相である。
 これは広津和郎の自伝小説の中に出てくる母娘の相がこの歯で、常に人生を退廃的に見、氏はこの二人の女に苦しめられた結果、こういう歯は何か我々に考えられない様な冷たい死生感が根ざしているのではなかと指摘されてられる。
 それにもう一つ怖いは「ハッチンソンの歯」だ。図を見て頂けば解かるが前歯がビヤ樽のような形で半月形に欠けている歯で、俺も思いあたる事は、ある娘がモデルになってやると言われ随喜の涙でいた所、何と彼女はこのハッチンン(先天性梅毒)の歯で、勃起したペニスが一度に萎えた経験がある。
 蛇足ながら諸氏もこの歯だけには気を付けて頂きたい。

ところで医者は望診術といって患者口を開けさせ、口の色、歯の形等を重視する。当初、人相学を研究したのは観相家、心理学者ではなく、医業に携わる人達であった。
 現状においてもドイツの医者・B・ゲルトネルは「病人の人相学」を著わし、カラーで様々な病人の顔を掲載している。
 日本でも医学界の御所・榊原博士は「心雑音ある子供で眉毛の広いのは、純形肺動弁狭窄が推定され、頭の四角な子は大血管置換によく見られる」と述べ、人相いうものに真剣に取り組み「病気と人相」の関係に科学的にメスを入れておられる。
 それでは氏の卓見と共に人相において病気を予知する方法を伝授したい。


倉敷にがおえエレジー 67回口、唇、歯診断考①

2004-10-20 18:35:18 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
口、唇、歯診断考

 口は食欲を満足させる為の器官であり、唇は外見的には性感帯で人間の生存意欲と動物的な本能を表徴する器官で、まさに口は食欲、性欲等、人の本能を見る所である。故に食欲、性欲等が貪欲になると口の回りの骨格や肉付きが目立って発達し、知能の低い顔付きになる。
 つまり口を始終宇開けていると云う事は自我意識が弱く、理性に立脚した意志によってコントロールする能力の欠如者である。
 反対に何かに耐えることが出来る人、したがって耐えてきた人は文字通り「唇を噛みしめて」我慢するといった表情があり、唇の両脇に微妙な筋肉の緊張が見られるのだ。
 と言うのも口の回りには七つ以上の口輪筋が分布していて、口ほど表情の豊かな所はなく、口は形も大切だがそれ以上、結び方によってかなり相手の心のあり様を読み取る事も知って頂きたい。
 ところで口は生活力の判断、生理的には消化器官の状態、身体的には肛門。女の場合は陰部の正面を観相する。
 ある作家は「目は感情の窓、唇は欲情の門」と言ったが、まさに至言だろう。

* 大きい口・・・この人は清濁合わせて呑む人物で包容力あり、力強い行動力を持っている。
 大口は古来、貴相とされているが、前にも話したように、口に締まりがあるかないかと言う事をよく観察する必要がある。
 得てして締まりのない大口は人間的にだらしなく、欲望のおもむくまま動物的、本能的に行動しがちである。
 ところが女でこの大口の持ち主は並外れた生活意欲を持ち、独立心旺盛で、まかり間違えば夫を尻に敷き、男は俗にいう「髪結いの亭主」になりがちである。
 とくに口大きく、髪の生え際が乱れ、頬骨高く張っているのは「三権面」といって間違いなく後家相である。
 それにこういう女を妻にすると、夫は働かなくともよいが、性器大味で性感鈍く、「過ぎたるは及ばざる如し」の格言のように、天は二物を与えずとは上手く言ったものである。

*小さい口・・・この人は神経質で気が小さく用心深し。
 男は万事消極的で生活力も「水清ければ魚棲まず」式で人を入れる器量も乏しく、大いなる運命を変える事は困難であろう。
 美の条件として昔は浮世絵美人のように小口だったが、今は大口流行時代だと思う。

* 厚い唇・・・この口は男女とも愛情、情感豊かで、しかもこの口は味覚発達しているゆえに、女房にするならこういう口が良い。
 また女の性感度は口の大小より唇の厚さ、弾力で見る方が真実性があるのだが、ただし、口元に締まりなければ性的にも放縦で、何事にもだらしなくなる。
 さらにこの唇に立て筋が多くあれば「愛嬌紋または歓待紋」といって交際好きで派手好き。
 その上、多産系でこういう女と結婚した男は受胎調節を完全にしないと、知らないうちに子だくさんになって苦労するから、夜の仕事は程ほどがよいだろう。
* 薄い唇・・・この人は情少なく、愛情も蛋白。
 その上「孔子さまでも逃げ出す口」と言われるぐらい味覚に無神経で、その料理の不味さにさすがの孔子様も離婚したという。
 その上、この口で口端がだらしないのは、おしゃべりで重要な事でも秘密に出来ない人と思って間違いない。

* 口の両端が下がっている口・・・この口で口端に力なく、下垂しているのは「ベソ口」といって胸中たえず憂いあり、人生上の難問を背負いやすい。
 ただし、口端が力強く締まっているのは長く苦痛に耐えられる努力家であり「百万人とも我行かん」の気概があり、何でも意志通り行動する。それが極端になれば残忍性を帯びる。
 家庭運は家庭をかえりみず、あまりいい傾向ではない。

* 口の両端が上がっている口・・・この口は仰月口(ぎょうげつこう)ともいい、モナ・リザの口であり、中宮寺観音の弥勒菩薩の口でもある。
 この静かな微笑みは仏教用語で蓮華相という吉相で、東西問わず理想の女性像に対する感覚が共通している点は面白い。
 またこの女は魅惑的で回りには常に人か集まり華やかである。
 しいて欠点をあげれば虚栄心の強いことであろう。




倉敷にがおえエレジー 66回皺、色、人相考②

2004-10-19 15:41:16 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
次は顔色でなく、その人の好む色、あるいは洋服色でその人の性格を考察してみよう。

 * 赤・・・この色の好きな人は野心、欲求等で精力的で行動的な人。こと恋愛に関する限り多情。カージィア女子はこの赤型として詩人バイロンをあげているが、この色は何事につけ衝動的に行動する。何かやる時、この色を用いると効果がある。

 * ピンク・・・この色を好む人は女性的魅力に惹かれる人が多い。つまり一人娘か、末っ子で両親にとっても、友人にとっても「アイドル」として可愛がられることを願う故人気者に多い。

 * オレンジ・・・この人は一人で居れず社交的で愛想はいいが独占的傾向がある。とくに己の崇拝する人物には尽くす。愛情の欠如者に多い。

 * 黄色・・・この人は理想主義者で、人に指図されたり、束縛されたりするのを嫌う。また分裂性格であらぬ事を想起したり、ちょうど画家・ゴッホのように異常な行動をとりがちである。ただこの色はゴールドから連想する如く、金に縁がある。そういえば土産もの屋で売っている財布の布はたいていこの黄色である。

 * 緑・・・自然の代表色で自由と躍動を訴えている。人は自然を模倣するというが保護色で、この色は脈を上げもせず下げもしない。ときには反動として疲労を訴えている場合がある。

 * 青・・・禁欲的性格で保守的な色。何事にも服従、従順しかも責任感あたえられたような気持ちになる。ただし若い女でこの色着ていると口どいても無理也。

 * 紫色・・・日本人が最も愛好する色になっているが、西洋に於いてもクレオパトラは非常に愛したそうである。この色を選ぶ人はプライド高く妖しい神秘的なものを好む。反面精神的未成熟や情緒不安定な人がわりあい好む。職業的にはバーのホステス、ゲイバー、占い師。だいたいこの色好む人は貴族的か精神に異常きたした者が多い。

* 茶色・・・実質的、堅実な色で安定した分別を訴えている。この人は妥協、慎重、保守的で耐えがきく。若者なら真実あり、老成した一面がある。故に銀行員や会計等、金に携わる人間の服飾色といえる。

 * 白・・・清潔感を訴えているが、その実、他人に構われたい、色を変えて貰いたい願望を持っている。この色の示す言葉は清楚、未経験、期待等だが、着こなしにより野暮天へ変化するので注意されたし。

* 黒・・・この色を好む人はデリケートな神経と強固な意志が共存し、人に指図されたり、束縛されるのを嫌う。


 以上だがさて異性を一番惹きつけるのは「赤」である。「赤」の力というのは男の脈拍を早く打たせ、欲望を起こさせるのは生理学的に証明されており、男性ホルモンを盛んにする。故に女性に提言したいのは最初のデートに「赤」を使用しない事だ。逆に青色を着ていくと、男の脈は遅くなる。この両者を上手く使いこなすことですな。では女は? それは「紫」である。女はきずいて居ないかも知れないが、実は生理的に快感を呼び起こしているのである。例えば化粧品のパッケージはたいていこの色だし、あの有名なサカサクラゲさえ入りやすいようにこの色を使っているのである。


    次回 実証的人相考 皺・髪論


倉敷にがおえエレジー 65回12色・毛・皺考 ①

2004-10-18 20:07:27 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
29人相学12色・毛・皺考

 「顔に赤味さす者は、困窮を語って聞かすかよい。褐色をなす者とは、汝と食卓を共にせよ。青白い顔の者には、汝、ナイフ構えよ。黒味がかった者には、汝の妻を遠ざけよ。赤ければ情あり。褐色ならば信じられる。青白ければ強情で、黒ければ好色だからだ」
 この詩は十七世紀の心理学者トマス・ライトの「情念論の概念」の一部で在るが現代でも通用するんじゃないか。
例えば赤ら顔の者は誠意があって、情あると述べているが確かにすぐ赤くなる人は道徳観念強く誠実な人が多い。何でも野蛮人や馬鹿は赤面する事ないと言うが、犯罪者も一般に赤面する事が少ないところからある程度証明できる。
 また「青い顔した者にはナイフを構えよ」と言っているのも、イタリアの諺に「青白い顔は疥癬より尚悪し」」とあるのだ。
 「顔黒ければ好色だ」は精力のあり余っている証拠で、自然界に於いても生物、あるいは動物は色素が濃いほど生命力も強い。白猫よりも黒猫、白犬よりも黒犬の方が気が強く荒いのだ。故に「美人(色白)薄命」という言葉も生まれたのであろう。では顔色でその人の体調を読み取ってみたい。

 * 顔にツヤのない黄色をしている人は急性肝炎の疑いもあるが、セックス過度時にも黄味を帯び、俗に「痴漢の顔は黄色い」というのは当を得ている。
 * 額が輝きちょうど風呂上りのような人は現在の運気が良い。ある相場師は毎日鏡を見て、とくに側額がどす黒くなっている時は株の売買は手控えるという。
 * 白目に木の枝のように赤筋が現れている人は、神経質になっていて悩み深き人。大本教の出口ワニ三郎と同棲していた多田という女は白目に巴型の赤筋が出来「我は巴御前なり」と叫んで跳ね回ったという有名な話があるが、これは過度の緊張から来たものであろう。
 * 瞳が茶眼の人は人種的には南方だが、この眼の持ち主はユーモア感覚に富み、人の意表を突き、子供にも似てこういう人を「お茶目」とも呼んでいる。反面この目は常習的な詐欺師に多いと古い人相学にあるので注意されたし。
 * 眼の周り濃くアイ・シャドーしている人は性的な願望を示す。
 * 鼻、とくに小鼻の赤点は金銭上の悩みを示す。女でここに赤みさすのは生理中を指す。
 * 口紅を動物学者デズモンド・モリスは婚姻色と指摘する。動物は交尾可能になると性器は紅潮する事によって受け入れOKのサインを発する。例えばサルは発情するとお尻が赤くなり、イモリは赤い腹をいっそう赤くするのだが、ただ、人の性器は文化が進むにつれ性器を隠すようになった結果、女は蔭口のコピーである唇に口紅を塗って男達に「もう誘いかけても宜しいよ」と言っているのである。
 * 下唇に悪い色は薬違いか、食中毒におかされている場合が多い。極端に赤過ぎるのは好色でデルラントの「人生と運命」の主人公はこの唇で好色故多情荒淫、身を滅ぼす様を描いている。




倉敷にがおえエレジー 64回整形手術考④

2004-10-17 23:34:16 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
 画家・中川一政がかって言っていた事に芸術家は作品を創るが、一方において己ずからその顔も創っていくものであるとは、真にしかりと思うのだ。況や顔の美に関する問題は美術家の領分であり、その美術家といえども神の創った肉体に手を加える等という僭越は許されるものではない。ましてや仕事の本質が些かも、美に関係なく、したがって美が何だかも知りもしないエセ美容整形師が、愚かなる若者を唆して酷い顔をこしらえあげしかも金を取っているのである。(週間文春の告発キャンペーン「美容整形」戦慄の内幕より)


 考察するに我々はルネッサンスを依て「過分な装飾の死滅」はあらゆる芸術の発展を推し進めてきたはずである。ベートヴェンの交響曲はサデンやビロードやレースをまとった人間には作曲出来なかったはずだ。それに又、現在ルーベンス風のフェルト帽をかぶり、ビロードの衣を着た男を美観地区で見かけたしても、我々は芸術家などと思ったりしないし、道化か、ヘボ絵描きか、あるいは大久保清ぐらいに思うのが関の山だろう。


ところで話が俺独特の逸脱に走るが、現倉敷ではチボリかチンポパークか知らないが誘致問題で揉めているそうである。たしかに誘致されればこの乞食エカキでさえ「お貰い」が多くなるであろう。しかし、賛意しかねるのだ。何故なら倉敷は倉子城であり、倉屋敷であり、大原をもって世界の顔だからである。もし誘致されればあの古都・奈良に出来たドリームランドを想起しろと云いたいのだ。勿論、廃園になっているが、世界中の心ある人達に顰蹙をかった事は永遠に拭いきれない事であり、その二の舞を恐れるのだ。活性化の美名のもとに大局を誤ってはいけないのだ。クラシキモンなら己自身の損得だけで生きるのではなく、歴史の流れの中に身を置いている事を自覚せぬばならぬ。とくに俺を激怒させるのは自然を破壊、金を費やし、人間の心を逆撫でしながら無駄使いする事である。これこそ悪であり、犯罪であり、倉敷の顔がチボリによって死にボクロにならない為にも手をこまねいてはならないのだ。
 孔子は「身体髪膚これ父母に愛く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり。」と言った。
 孟子は「有料の庭園、公園の類いが増えるのは、統治者のだらしなさを証明するもの」と喝破した。

 燕雀いずくんぞ、煌々の志し知らずんばやだ!



倉敷にがおえエレジー 63回整形手術考 ②

2004-10-16 19:43:19 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
それは一九七四年、名画モナ・ミザがルーブルから日本に貸し出され、全国的にモナ・リザブームになった頃だ。若い娘が大勢「あの様な顔にしてくれ」と整形病院に駆け込んで来たそうであるが、そこに目をつけたテレビ局がモナ・リザによく似ている顔を十人ほど出演させ、そのときの状況を氏は次のように言うのだ。
 「なんという眺めであるか、どれもこれも似ているがモナ・リザの神秘性はない。ただ上面が似ているだけ、どの顔からも深みは勿論、個性はまるっきり感じられない。イミテーションの悲しさ、妙にひんやりして無機的な感じの顔がズラリと十個並んだ状景はマンガと言うより、背筋がゾーッとするような鬼気迫る感じだった」
 また作家・吉行淳之介氏などはもっと手痛い指摘をしている。それは整形した女と寝てもつまらぬ、どんなに顔をしかめてもノッペリしているから・・・そこで氏は昔のイギリスの国会では美容整形する女に対して罰則を科す法令をもうけたというが、現在の日本の法令も考量する必要があると結んでおられるのだ。

 たしかに顔の美しさとは美容整形で治すより内面の開拓、情操のほうが肝心である。健康な肉体と優しい心、そして個人の教養と強い自我がその基盤なのであって、低級文化圏の諸民族の間に流行する入れ墨や不必要な飾り、あるいはその他もろもろの装身具の珍奇独創にかかる事ではないのだ。
 とくに最近、つまらぬ化粧法、美容整形等で己の素顔に責任をとらない卑怯な者が増えている。しかし、それは平気で顔を加工する未開人と何等変わりがないことを知って貰いたい。男なら少々造形的な悪さなどアドラー劣価補償説、つまりナポレオン・コンプレックス(これはナポレオンが目立って背が低く、性器短小にコンプレックスを抱き、その反動としてそれを克服するため烈しい征服欲を燃やし、あの様な大事業をやってのけた事を言う)で突き進み、、己自身のキャラクターを演出しろと云いたい。
 黄熱病の病原体の発見をやってのけた野口英世しかりだ。彼は左手のヤケドと貧乏を克服した。
 ドモリだったデモステネスはそれに打ち克って、あの時代、最大の雄弁家になり、耳の悪かったクララ・シューマンはかえって音楽で成功し、皆、己の欠点を利点に導き、非常に素晴らしい顔に造り変えたのだ。
 いま千円札に納まっている伊藤博文なんかも若い時は猿みたいな顔で、しかも人を殺した暴力志士、暴徒だったのだ。それが明治維新政府になり、西郷や大久保が死んでから総理大臣になったのだが、その時から別人の様な顔になっているから驚く。



倉敷にがおえエレジー 62回整形施術考 ①

2004-10-15 19:48:35 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
28-1 実証的人相考・整形手術考

 前回ではホクロの事を書いた。ホクロは付けたり、取り除いたり簡単に出来るが今回は整形手術について考えて見たい。
 はっきり言って私は整形手術は否である。
 何故なら人間が生きていく上にもルールがあるように、また天地自然の中に和合があるように顔にも生態の持つ「統一性の原理」というものがるからである。生態は全体として統一的にバランスが取れているから、一部分だけ特異な状態を示すことは原則としてない。
 鼻の丸い人は顔も丸いのが普通で、これを統一性の原理と呼び、それをいくら丸顔の人がギリシャ鼻みたいにしても不調和はなはなだしい顔になるのがオチで、創造神である自然が揃え与えてくれるのが一番いい訳であり、顔の造作は皆同じ方向に揃っているものだ。また顔はそれぞれの部位間に密接な関連性があり、一定の法則に作用されているのだから整形するというのはその調和を乱す事になる。

 だいたい整形というものは昔、決闘で敗れた男が鼻をそがれたり、戦争等の負傷者がそれを修復する必要から発達し、技術が修練してきたものである。これはあくまでそがれた皮膚を修復するだけの必要性であって、ちゃんと揃った顔にメスを入れる等はもっての他のことである。
 まして万人向きの造形的な標準美(なんとも面白みのないマネキン人形を想像する)を得るために個性まで殺して整形するというのはいささか現代の悪趣味ではないだろうか。
 ドイツのメイミョ病院での話しだ。自分を手術した美容整形医を不満を募らせたあげくピストルで撃ったというのだが、そこでくだんの整形医は次のように叙階した。
 「美容整形医には、瓜にナスビをならせる様なことは出来ない。この事を患者に納得させるために、整形医はきわめて忍耐強く手術を止めることを説得する必要がある。」
 だが他にもずっと微妙な心理的な問題もあり、顔を整形手術した後で「パーソナリティの退行」が起きる危険性である。例えばあの可愛いかった弘田三枝子嬢の手術後の顔を見よ!アダルト・ビデオに出演している能面みたいな女の顔を想起せよ!それとも読者諸氏は「醜女の日記」の女主人公の話を知っているか。この女は恋人に内緒で顔の整形を受け、造形的に変形したばかりに恋人に捨てられ、ついに汽車に飛び込んで死んでしまうのを・・・・
 また反対にあの造形的に整ったエリザベステーラーは美しさが己自身をスポイルすることを誰よりも本人自身が知っていたのだ。人間はハンサムや美人でない事より、改めて自分の顔と人格とに対し、対決し、そしてそれを乗り越え、またそれに親しむ事によってもう一つの自分を見つける事が出来ることを知っていたのだ。その様に考えれば、そういう対決のない美男・美女はむしろ不幸であって、ここで心理学者・白石浩一氏が面白い話をされているので紹介する・・・