倉敷・大原美術館横「似顔絵・宏プロ」

倉敷・大原美術館横で長年・似顔絵を描き、お世話になっている者です。

こういう女性、日本から消滅しましたね。

2008-04-01 16:13:44 | Weblog
現在、吉備博物館より依頼の制作途中だが、描いていて涙が止まらないのだ。この上品なご夫妻が、なんと憲法第25条が国民に保障した生存権を勝ち得た人なのです。

それにしてもこんな女性、日本からおらなくなりましたね。

昨日も天満屋が税金使って倉敷駅前に移転し、その移転セールに血眼の女が六万人押し寄せたというから、驚き桃の木、山椒の気だよ。

私の祖父さんの話によると、私の家は手広く大阪で昆布屋してましたが、西大寺の片田舎からリヤカーで「灰」を売りつけてにきたのが「天満屋」の始まりだそうです。




話がそれましたが、橋口ご夫妻の「人間裁判」に戻ります。


 橋口ご夫妻の裁判は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」-憲法第25条が国民に保障した生存権ですが、これを本当に根付かせたのが「朝日訴訟」です。憲法を暮らしに生かす出発点となった画期的な裁判闘争です。

 結核患者で生活保護を受けて岡山の療養所生活をしていた朝日茂さんが1957年に訴訟に至ったきっかけは、福祉事務所が30年以上も音信不通にあった兄を探し出し、朝日茂さんへの仕送りを迫ったことにあります。兄は月1500円の仕送りをすることになりましたが福祉事務所はこの1500円のうち日用品費として600円を朝日茂さんに渡すが、残り900円を国庫に取り上げるという決定をしました。
 月600円は、当時の生活保護基準で、肌着は2年に1枚、パンツは1年に1枚、ちり紙は一日に1枚半という、およそ人間らしい最低生活を保障するものではありませんでした。朝日さんは、厚生大臣を相手にせめて月1000円の生活必要品費を認めよと裁判を起こしました。憲法25条の定める最低生活保障を求めて毎日血を吐く重症の結核患者が生命をかけて訴えた「人間裁判」でした。

 そして、1960年10月東京地裁は月600円の生活保護基準は憲法25条違反だとする画期的な判決を下し、「国家は国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障する義務がある」としたのです。まさに憲法25条に勝利というべき判決でした。厚生省は、この判決を不服とし控訴しましたが、生活保護基準を全面改正し、日用品費の基準は一挙に1.8倍に引き上げました。

 人間裁判は、東京高裁では逆転敗訴、そして1964年の朝日さんの無念の死を乗り越え、養子となった朝日健二さんが裁判を引き継ぎましたが、1967年最高裁は「生活保護受給権は一身専属のもので相続は認められない」との訴訟終了判決で幕を閉じました。

 今、社会保障の全面改悪の下で憲法25条は完全に無視され、さらに改憲策動の中では生存権保障規定の見直しさえ言われています。今一度、この人間裁判に学び、憲法25条を守り根付かせる闘いが必要となっています。

 大阪では、それこそ生活保護基準をはるかに下回る月数万円の年金で一人暮らしの高齢者から数千円の介護保険料を年金天引きすることに対し、「憲法違反だ」とする裁判(介護保険違憲訴訟)が2001年に起こされ、介護保険料に怒る一揆の会を中心に闘われています。社会保障の一つであるべき介護保険制度が高齢者の生存権を侵害するという逆立ちした事態を告発し、高齢者の人間らしい生活と尊厳を求めた「現代の人間裁判」というべきこの介護保険料裁判を大きく支援し、介護保険改悪や障害者施策の全面改悪の策動に国民的な反撃を起こしましょう。

 映画「人間裁判」は、最後を憲法第12条を引用しています。
 「第12条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」
 国民の不断の努力-闘いなしには権利は守ることはできません。改憲策動で狙われているのは戦争放棄と戦力不保持をうたった第9条とともに国民の生存権保障をうたった第25条です。今日の年金・介護・医療と続く社会保障の総改悪攻撃はその一環でもあります。
 憲法第25条の旗を高く掲げ、平和と国民の権利を守るために闘い抜きましょう

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