額学② 無難な事ばかり書いていると読者は欠伸をするであろうゆえ、少々、極論に走るかも知れないが、犯罪人の額を付記しておく。
ドイツの一骨相学者が刑務所で犯罪者の額を調べて見ると、五犯六犯、罪を重ねたいわゆる重犯罪人は概ね額が変則に発達している事に気がついた。例えば天狗か、類人猿みたいに額が極度に後退しているのは注意人物で、こういう相は脳髄も小さく、脳の働きにどこか欠陥がある。また道徳観念に乏しく、行動にもたえず動物的である。法医学者ロンブローゾもこういう額を犯罪者の一つにあげているのは余程、実証的なのであろう。
また反対に額が幾ら広くても異常発達やアンバランスのある、ドイツの劇作家・グラッペを引き合いに出して結論しておる。このグラツペは額が異常に広く、窮乏のうちに狂乱自殺するのだが「顔にとって危険なのは額があくまで顔の中で君臨するのを止めないならば、異常な人間をつくりあげるだろう」と。何事も調和なのであろう。
調和といえば犯罪者ほど調和を乱した顔はない。下顎骨が異常に発達していたり、歯では犬歯が大きく、智歯を欠き、耳の内殻が異様に飛び出していたり、削り取られたような額とか。眼が気味悪いまで凹んでいるとか往々形が不規則である。
それはそうだろう。人間の顔が不規則を嫌うのは顔の造形部分、とくに表情筋を保っているのは自我であるからである。したがって自我が脆弱であったり、傷付いたりしていると、顔の表情が歪み、凸凹の変形された顔になるからだ。
ただ人相では三権面といって、一つの部位が悪くても、他の部位において補える事が救いである。
例えばニーチェの「ソクラテスの問題」にこんな話がある。
昔、ギリシャのツオルピルスという所にどんな人間の性格でも一発で当てる骨相学者が居た。ある時、ソクラテスの顔を見て、彼の顔から数々の悪徳を読み取る事が出来ると看破すると、これを聞いた周囲の人は「とんでもない。あのソクラテス様に数々の悪徳の相があるなんて、そんなバカげた事はない」といたく、この骨相学者を非難したそうである。
所がソクラテス自身だけは笑いはしなかった。ソクラテスは骨相学者の言葉を是認してこういった。「自分は確かにその様な色々の悪徳を背負ってこの世に生まれた。しかし、己の克己心、理性の助けによって抑制しているのだ」
この話はキケロの「トウスクルム談義」にも載っている有名な話であるが人相、されど人相だがゆめゆめおろそかにする勿れだ。
ここでどうしても古今東西の天才・偉人達が「顔」をどのように解釈しているか。次の扉を開く為にも、読者に少しでも人相に興味持って頂く為にもフラグメントを提示してこの項を終わる。
*眼にするもの全てに我々が捕らまえるべきカリカチュアがある。そのカリカチュアがある。そのカリカチュアを発見する為には画家たるもの観相家でなくてはならない。 (画家・アングル)
*一つの出来事が多数の場合に起こったとするならば、それを偶然とする訳にはいかない。その出来事の繰り返しは一つの普遍的な法則、すならち確かさを示し、その確かさは実践によって厳密に証明出来るはずである。
(生理学者・トピアス・ダンチィブ)
*言葉と動作が全てではない。無言で動かぬ顔の表情は無言で冷静な返答を持つ。(哲学者・アラン)
*賢明な観察者から見れば人間は皆、その顔に自分の肉体や精神の明細書を看板の様に掲げているのである。 (フランシス・ボー)
*神は貴方に一つの顔を与えた。所が貴方は別の顔に作り直した。(作家・シェークスピア)
*外面は内部を描いた様に映し出す。そして顔が人間の全本質を発表し具現する。むしろ全ての人間の顔はある象形文字であり、しかも確かに解読し得るものであって、そのアルファベットはもはや我々に了解されているのである。のみならず人間の顔は、その口よりもはるかに多く更に興味深い事を言う。また日常生活においても人々は、自分の前に現れる人々の人相を鑑定し、ひそかにその人の容貌からその道徳的及び知性的な本質を探り、知ろうと努める。尚、その人の考えや願望はその人の顔に浮かび上がらせるし、その傷跡はしばしば反復される事により、容貌の上に深い皺となって刻み付けられ、顔をすっかり凸凹にしてしまうのだ。(ショーペンハウエル)
*芸術家が人間を表現するのに顔だけに切り詰める事が出来る。顔によってその人間の全体像も見られる。 (和辻哲郎)
*私は顔という魔物に取り付かれた。(画家・林武)
*俺なんぞの顔は閲歴が段々疵を刻み付けた顔で、親に生み付けて貰った顔ではない。(森鴎外)
*人間の顔は壊滅してしまった。人間は神を信ずる時のみ顔を、個の神の似姿を保持する事が出来るだけである。(作家・ドフトエフスキー)
次回 実証的人相考 顔の部位とホクロ
ドイツの一骨相学者が刑務所で犯罪者の額を調べて見ると、五犯六犯、罪を重ねたいわゆる重犯罪人は概ね額が変則に発達している事に気がついた。例えば天狗か、類人猿みたいに額が極度に後退しているのは注意人物で、こういう相は脳髄も小さく、脳の働きにどこか欠陥がある。また道徳観念に乏しく、行動にもたえず動物的である。法医学者ロンブローゾもこういう額を犯罪者の一つにあげているのは余程、実証的なのであろう。
また反対に額が幾ら広くても異常発達やアンバランスのある、ドイツの劇作家・グラッペを引き合いに出して結論しておる。このグラツペは額が異常に広く、窮乏のうちに狂乱自殺するのだが「顔にとって危険なのは額があくまで顔の中で君臨するのを止めないならば、異常な人間をつくりあげるだろう」と。何事も調和なのであろう。
調和といえば犯罪者ほど調和を乱した顔はない。下顎骨が異常に発達していたり、歯では犬歯が大きく、智歯を欠き、耳の内殻が異様に飛び出していたり、削り取られたような額とか。眼が気味悪いまで凹んでいるとか往々形が不規則である。
それはそうだろう。人間の顔が不規則を嫌うのは顔の造形部分、とくに表情筋を保っているのは自我であるからである。したがって自我が脆弱であったり、傷付いたりしていると、顔の表情が歪み、凸凹の変形された顔になるからだ。
ただ人相では三権面といって、一つの部位が悪くても、他の部位において補える事が救いである。
例えばニーチェの「ソクラテスの問題」にこんな話がある。
昔、ギリシャのツオルピルスという所にどんな人間の性格でも一発で当てる骨相学者が居た。ある時、ソクラテスの顔を見て、彼の顔から数々の悪徳を読み取る事が出来ると看破すると、これを聞いた周囲の人は「とんでもない。あのソクラテス様に数々の悪徳の相があるなんて、そんなバカげた事はない」といたく、この骨相学者を非難したそうである。
所がソクラテス自身だけは笑いはしなかった。ソクラテスは骨相学者の言葉を是認してこういった。「自分は確かにその様な色々の悪徳を背負ってこの世に生まれた。しかし、己の克己心、理性の助けによって抑制しているのだ」
この話はキケロの「トウスクルム談義」にも載っている有名な話であるが人相、されど人相だがゆめゆめおろそかにする勿れだ。
ここでどうしても古今東西の天才・偉人達が「顔」をどのように解釈しているか。次の扉を開く為にも、読者に少しでも人相に興味持って頂く為にもフラグメントを提示してこの項を終わる。
*眼にするもの全てに我々が捕らまえるべきカリカチュアがある。そのカリカチュアがある。そのカリカチュアを発見する為には画家たるもの観相家でなくてはならない。 (画家・アングル)
*一つの出来事が多数の場合に起こったとするならば、それを偶然とする訳にはいかない。その出来事の繰り返しは一つの普遍的な法則、すならち確かさを示し、その確かさは実践によって厳密に証明出来るはずである。
(生理学者・トピアス・ダンチィブ)
*言葉と動作が全てではない。無言で動かぬ顔の表情は無言で冷静な返答を持つ。(哲学者・アラン)
*賢明な観察者から見れば人間は皆、その顔に自分の肉体や精神の明細書を看板の様に掲げているのである。 (フランシス・ボー)
*神は貴方に一つの顔を与えた。所が貴方は別の顔に作り直した。(作家・シェークスピア)
*外面は内部を描いた様に映し出す。そして顔が人間の全本質を発表し具現する。むしろ全ての人間の顔はある象形文字であり、しかも確かに解読し得るものであって、そのアルファベットはもはや我々に了解されているのである。のみならず人間の顔は、その口よりもはるかに多く更に興味深い事を言う。また日常生活においても人々は、自分の前に現れる人々の人相を鑑定し、ひそかにその人の容貌からその道徳的及び知性的な本質を探り、知ろうと努める。尚、その人の考えや願望はその人の顔に浮かび上がらせるし、その傷跡はしばしば反復される事により、容貌の上に深い皺となって刻み付けられ、顔をすっかり凸凹にしてしまうのだ。(ショーペンハウエル)
*芸術家が人間を表現するのに顔だけに切り詰める事が出来る。顔によってその人間の全体像も見られる。 (和辻哲郎)
*私は顔という魔物に取り付かれた。(画家・林武)
*俺なんぞの顔は閲歴が段々疵を刻み付けた顔で、親に生み付けて貰った顔ではない。(森鴎外)
*人間の顔は壊滅してしまった。人間は神を信ずる時のみ顔を、個の神の似姿を保持する事が出来るだけである。(作家・ドフトエフスキー)
次回 実証的人相考 顔の部位とホクロ