倉敷・大原美術館横「似顔絵・宏プロ」

倉敷・大原美術館横で長年・似顔絵を描き、お世話になっている者です。

倉敷にがおえエレジー 72回鼻学③

2004-10-25 19:58:51 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
*段鼻・・・眼鏡の脚がかかる所がまた高く突き出ている鼻。この人は鼻っ柱強く実行力に富むが、妥協性無く頑固で傲慢。余談だがナポレオンは部下を選ぶ場合、この鼻を選んだのは有名な話で、勇敢で心臓強く、攻撃的で身体も概して強健な人が多いことを知っていたのであろう。
 女は気性激しく男を圧倒し、自我にこだわり、セックスも変態性を好む。
 *ユダヤ鼻・・・横から見ると鼻先が垂れ下がっている鼻。この人は常に感情を押し殺し、利己的であらゆる物を金銭で割り切っていこうとする黄金主義者。金を作るコツも心得ていて、イザ金になると知ると義理や人情や、恥をかいても平気でいられるし、人から嘲笑されても全く気にしない人で日本には少なくアラビア人に多く見られる。
* 獅子鼻・・・小鼻が横に広がり張っている人。この人は善悪強く生活意欲旺盛。ただ知的な事や細かい仕事には向いていず、どうしても世間的見栄より実際に即した事に力を入れる。
 女でこの鼻は女と書いて嬶(かかあ)というごとく、夫を尻に敷くぐらい気迫をもっている。故にか、水商売か料理屋のオカミ等、とかく男勝さりの仕事をしている人に多い。

ここで一寸小鼻の事について触れてみたい。人相学では小鼻の事を金甲といい、小人形法(顔を人間全体の縮図と見なす方、これは逆に見る)では男の金玉にあたる。まさに「小鼻は金庫」であり、貯蓄や理財性を見る。また「金甲の張った男は亀頭も大なり」とあるがはたしてどんなものであろうか。これは筆者が一考するに小鼻はスポンジ状の勃起組織を持っていて、性的に興奮すると血管が充血し、鼻孔も広がって性器とよく似ている。なお「人物画への投影」でのマコーバ博士(精神科医)が「絵の中で鼻は性的シンボルである」と言うのも興味深い。ただ、ここの張った人は前にも言ったように生活意欲旺盛ゆえ、精力あれば自然、肉欲旺盛になるのも必然で、また性器も大きくなるのである。ただし、これだけの判断では他人の息子に対して礼儀を失する故「首筋の太い男はペニスも太し」「頭大にして声剛なる者は亀頭も大きい」と別本にもあるので、この三説揃った男がペニスも大きいと判断して間違いないだろう。
 女ではここは逆人形法でバストにあたり、ここの肉付きの良いのは確かにバストも大きい。また生理中の女はここが必ず赤味を帯びているもので、現在、生理中であるかないかはここで判断出きる。
* アグラ鼻・・・この鼻で鼻孔が大きく書面から穴がハッキリ見える人は、極端なくらい開放的であらゆる面で秘密を保てない性格。
 また俗に「鼻息が荒い」というごとく金銭等は自ら使うものと心得、計画性もなく気前よくパッパと浪費する。筆者がニガオエを描いていた時の経験によると例えば三人連れの場合、こういう相の持ち主が三人分払っていく。そこで客を勧誘する場合こういう相の持ち主に向かって誘いかけるとたいてい描かせてくれる。
 ここで一言注意しておきたいのは鼻穴が横に大きく広がって人である。この人は無節操ですぐカッとし、すぐ手を出してくるが絶対相手にしてはいけない。喧嘩に執念深く、何をされるかわからない。あの世界一の暴れん坊モハメッド・アリを初め、凶暴性を帯びた暴力団、犯罪者はたいていこの鼻穴の持ち主である・・・

さて次は鼻の下から上唇に伸びるタテの溝を「人中」といい、この輪郭がハッキリしていて不動明王の剣の様なものが最も良い相とされている。
 ここでは節操、道義心を見たりするのは、人間が真剣に努力している時は「人中」も自然にしまって精神の緩みの無い事を示し、ボケッとしている時は「人中」も自然に広がり溝が浅くなるからである。
 またこの「人中」は胎児の頃、左右の肉が両方から集まってきて出産時一体となる故、両親がその時、如何にピッタリ一体となっていたかが判る。調和した家庭に生まれた子は「人中」がハッキリしている所からでも判るであろう。
またこの「人中」は相学の秘法「色情相法」、別名「淫相学」では女の陰核(クリストス)に通じ、性器の良し悪しを見る。例えば図1の様に(鼻下と上唇の真ん中に通じる彫り皺だがこの場合上広く、下狭い人中)陰口狭くなっているは、陰口狭く膣の奥行広いことを示している。故にこういう女とセックス致そうとしても中々入りにくいタイプである。
 図2の様に先ほどと反対に下に行くほど広くなっているのは、性感帯は膣の奥にあって深く挿入しなければ快感は得られない。
 ・・・等々あるがここではこの顛末を書く事が趣旨でないので省き、前出の人相研究家・八木喜三郎氏が人中が深く彫れ、先が尖っている父親は男児を多く作り、反対に人中の彫り浅く、先が丸い父親は女児多く作るとおっしゃっているので、生まれてくる子供が男児であるか、女児であるかを考察してみたい。
 遺伝学の宇多博士に子供の性を決定するのは男であって、女は無関係との事である。例えば男が老いてからの子供はほとんど男の子と言うのは、男が性的に老衰しているからで、その時、男が生まれる確立は高い。よって平均的家庭では一姫二太郎といって第一子に女、第二子、第三子に男が生まれる確立が高い訳である。
 イギリスの遺伝学者・クルーも男が性的過労の時、妊娠すると男が生まれる確立が高いと強調し、また彼は栄養学においても農山村に男の子が多いのは炭水化物摂取過剰ゆえ、性的に疲労しているからであり、漁村に女の子が多いのは蛋白質多く性的に若くなるからだという説をあげている。
 更に自然研究所所長の栗山毅一氏にると、受胎する日に父親が酸性であると男の子が産まれる率が高くなり、父親がアルカリ度が高いと女の子が生まれて来る率が多くなるとデータで証明されていると。
 例えば父親が酸性度の強い酒や肉、あるいは油っこいものを食べるという事は、家の食事ではなく外食的になるから家庭をかえりみない状況に自然なってくる。故に家庭の主婦が上手く夫を操縦出来ない家は、男の子が多く生まれるという先ほどの宇田博士の説と符号するわけだ。
 これからも判るように父親が柔和で愛嬌のある様な人ならば、たいていの子供は女の子が多い。こういう性質の父親は概ね気持ち、つまり精気が弱く、精気弱ければ女の精気に圧倒される。だから男の気が女の気に包まれるのは自然の摂理であろう。
 しかし平常、気持ちの強い女でも何かの拍子で気持ちが崩れている時に、夫婦の交わりを結んで出来た子は自然、女児になる事も在り得る。

 他にも「養子の家は女系家族から逃れられない」「女の方が収入の良い家、地帯では女児が多い」「戦争中は男児が生まれやすい」等々あるが、シュトルス博士の「男児を生むなら排卵日にセックスする」という説。聖マリアンヌ医科大のM教授の「女児を生むには正常位、男児を生むには背後位」というキリスト系らしからぬ説。
 慶大の飯塚教授の「?X精子になると女児、?Y精子になると男児という方法で全て産み分けに成功している由、等々あるが紙数が尽きた。生も根も尽き果てた。
 ただハッキリ言える事は生命の誕生は、全て神の摂理に任せるのが良いのではないか、と言うのが俺自身の結論である。