倉敷・大原美術館横「似顔絵・宏プロ」

倉敷・大原美術館横で長年・似顔絵を描き、お世話になっている者です。

大道絵師から見た実証的人相考41

2005-04-10 21:44:18 | Weblog
昔から「ハゲにガンなし」「白髪に卒中なし」と言われて来たように毛髪は健康のバロメーターで身体に異常があれば確実に毛にも影響がある。
 例えばユーゴーの「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンが極度な苦悩に依って一夜にして白変したり、フランス革命時のマリー・アントワネットがと共に捕らえられ、ブロンドの髪が驚愕のため、瞬時に白髪になった事は知る人ぞ知る話である。

 この如く髪の毛は血液と深い関係にあって、毛は一つの血管ともいえる。
 話は第二次世界大戦の頃だ。
 物資が不足していた故、髪の毛から代用醤油を造っていたことは戦争経験者ならご存知のはずでこれは毛にアミノ酸が含まれていて、それを引き出していたのである。
 まさに髪の毛は血の結晶で、そこから付会するに髪を長く伸ばしている男は不必要な所にも血液が伸びる結果、思索的になり、優柔不断になる。
 反面スポーツマン、あるいはヤクザの髪のように、髪を短く刈り上げているのは決断力早く、女も男性的になる。
だいたい我々エカキや作家が髪をながくするのはこうした女性的感情移入をはかり、思索的になるためで、何もダテや酔狂で、あるいは不精で伸ばしているわけではないのだ。
音楽に携わる人間でも長髪が多いのは、この感情移入の為で決してカッコが良いからではなく、例えばロックの連中が丸坊主にすると音感が判らなくなるというより、深い所で理解出来なくなるからであろう。

 またこの髪の毛はこれまで多くの研究家が性的な活力との間に、ある強力なる連想が働いている事を示唆してきた。とくにこの難問に取り組んだ史上最初の人はアリストテレスで、彼はハゲの原因は好色の為であり、性交未経験者にハゲがないのはその証拠だという。その理由は精液が頭から脊髄を伝わって流れ、頭髪の養分が失われるためで、その証拠に女にはこの様な生理作用がないからハゲにならない。
 たしかによく観察してみると男性ホルモンの働きが極めて盛んな殿方のオツムの毛は薄いが、反面、ヒゲや胸毛は濃く、顔は油きってテカテカしている。このテカテカするのは男性ホルモンが脂肪の分泌を促進するからである。したがって女性ホルモンの多い男はハゲが少ない事になり、、若くしてアデランスやアートネイチャーのお世話になる方は精力絶倫と云う事になるのだ。

 ところで精力絶倫で悩んだかどうか知らないが、この若ハゲで悩んだのは作曲家・山田耕筰氏で頭の禿げたのを淋しく思い、せめて名前だけでもと「耕作」の上にケを二本増やしている。こんな涙ぐましい努力も世界的皮膚医学の権威ホフマン博士に依ると、神経系統の中心である脳髄が発達するほど頭髪は微弱になるとおっしゃるのだ。故に博士はハゲは文明人の証明でケの多い者はケモノ、ケダモノで動物なのだ。
 なるほど、すればどう禿頭を嘆くより、我こそは文明人の先端である。と胸を張ってもいい訳である。

 さて髪の毛もなんだが、紙数も心細くなってきた。しかし頭髪を書けばヒゲも書かなければ片手落ちであろう。ではヒゲを厳密に漢字にすると鼻の下の口髭、顎にあるのを顎鬚、両頬にあるのを頬ひげというごとく色々あるが、いずれにしろヒゲは人間を己以上に見せようとする演出が見られる。ただ一面、ヒゲはサングラスと同じく単に己の素顔を隠すというだけでなく、顔と心の関連を断ち切り、己を世間的な心から開放するというより積極的な目的も忘れてはならない。そこにはヒゲやサングラスに頼っても、心の軌範から開放されて限りなく自由に振舞いたい願望も含まれているのだ。
 ここで蛇足ながら画家ルネ・マグリットは何故髪が頭に生えるのか。ヒゲが口の廻りに生えるのか。おそらく髪の毛も口の毛も、当然、暗に下の毛が予想されても当然だと錬金術的手法で絵を描いている。つまり彼は骨相学的に言い表すならば頭蓋骨と恥骨との関係。女体の性器としての口唇形態の類縁関係、そこから顔貌は性貌にも通いあると言いたかったのではないか。

 最後に皺だが昔、顔中に皺を寄せて、その皺にキセルの雁首を引っ掛ける事三十六本という奇妙な芸があったが、それぐらい顔には皺が多い。ある学者は表情筋の集約から出来上がったものが「顔」というものであると規定している程なのだ。
 人相学では皺のことを「紋理」といい、医学では「ランゲル線」といって、確かに皺は生活上の事で様々なことを示しているといえる。イタリアの人相学の権威マルガッツアに依ると、皺によってその人の職業をいいあてる事が出来ると断言したのも別に不思議でなく、マルガッツアだけでなく、人間長い間、ある表情を続けると顔に恒久的な変化が生じ、この種の主張はかくも多くの優れた生理学者が唱えてきたものである。

 筆者でさえ似顔絵のサンプルを描くのに古今東西の偉人・思想家を見ていて、あまりにも美しい皺、人生を刻みこんだ皺に驚嘆した事がある。たとえば執筆する神学者カルル・バルトやマザー・テレサ。指を噛むピカソ。正視する彫刻家ジャコメティなどなど・・・
 日本でも生物学者モースが撮った写真には花を売る老女、漁民、アイヌの人々の美しい皺が浮かんでくる・・・

 それでは何時頃から人の顔皺が面白くなくなったかと言えば高度経済成長時代からではなかろうか。
 その頃より我々は自分で選び取った教育ではなく、自由度の乏しい教育を受け、マスコミから同じような情報を得、同じような生活スタイルと価値観で生きているから、いくら皮膚は年月にさらされているのに皺として受け止めているのを止めているのだ。
 都市に生き、人工環境のみを行き来し、画一的な生活を送る人々には画一的な皺しかなくなって来た。それより今の人は皺を嫌い、美しい皺があった事を忘れているのだ。
 人の顔から皺が少なくなっただけではなく、自然や町からも、そして地球全体からも、襞が消えつつある。その裏に何が皺寄せられているのか、まだハッキリ見えていない。
 いずれにせよ「シワとは幸せなり」という美しい皺があったという事。今なお他国にはあることを思い起こして頂き人相考を塙筆したい。



大道絵師から見た実証的人相考34

2005-04-10 21:27:11 | Weblog
昔から「ハゲにガンなし」「白髪に卒中なし」と言われて来たように毛髪は健康のバロメーターで身体に異常があれば確実に毛にも影響がある。
 例えばユーゴーの「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンが極度な苦悩に依って一夜にして白変したり、フランス革命時のマリー・アントワネットがと共に捕らえられ、ブロンドの髪が驚愕のため、瞬時に白髪になった事は知る人ぞ知る話である。

 この如く髪の毛は血液と深い関係にあって、毛は一つの血管ともいえる。
 話は第二次世界大戦の頃だ。
 物資が不足していた故、髪の毛から代用醤油を造っていたことは戦争経験者ならご存知のはずでこれは毛にアミノ酸が含まれていて、それを引き出していたのである。
 まさに髪の毛は血の結晶で、そこから付会するに髪を長く伸ばしている男は不必要な所にも血液が伸びる結果、思索的になり、優柔不断になる。
 反面スポーツマン、あるいはヤクザの髪のように、髪を短く刈り上げているのは決断力早く、女も男性的になる。
だいたい我々エカキや作家が髪をながくするのはこうした女性的感情移入をはかり、思索的になるためで、何もダテや酔狂で、あるいは不精で伸ばしているわけではないのだ。
音楽に携わる人間でも長髪が多いのは、この感情移入の為で決してカッコが良いからではなく、例えばロックの連中が丸坊主にすると音感が判らなくなるというより、深い所で理解出来なくなるからであろう。

 またこの髪の毛はこれまで多くの研究家が性的な活力との間に、ある強力なる連想が働いている事を示唆してきた。とくにこの難問に取り組んだ史上最初の人はアリストテレスで、彼はハゲの原因は好色の為であり、性交未経験者にハゲがないのはその証拠だという。その理由は精液が頭から脊髄を伝わって流れ、頭髪の養分が失われるためで、その証拠に女にはこの様な生理作用がないからハゲにならない。
 たしかによく観察してみると男性ホルモンの働きが極めて盛んな殿方のオツムの毛は薄いが、反面、ヒゲや胸毛は濃く、顔は油きってテカテカしている。このテカテカするのは男性ホルモンが脂肪の分泌を促進するからである。したがって女性ホルモンの多い男はハゲが少ない事になり、、若くしてアデランスやアートネイチャーのお世話になる方は精力絶倫と云う事になるのだ。

 ところで精力絶倫で悩んだかどうか知らないが、この若ハゲで悩んだのは作曲家・山田耕筰氏で頭の禿げたのを淋しく思い、せめて名前だけでもと「耕作」の上にケを二本増やしている。こんな涙ぐましい努力も世界的皮膚医学の権威ホフマン博士に依ると、神経系統の中心である脳髄が発達するほど頭髪は微弱になるとおっしゃるのだ。故に博士はハゲは文明人の証明でケの多い者はケモノ、ケダモノで動物なのだ。
 なるほど、すればどう禿頭を嘆くより、我こそは文明人の先端である。と胸を張ってもいい訳である。

 さて髪の毛もなんだが、紙数も心細くなってきた。しかし頭髪を書けばヒゲも書かなければ片手落ちであろう。ではヒゲを厳密に漢字にすると鼻の下の口髭、顎にあるのを顎鬚、両頬にあるのを頬ひげというごとく色々あるが、いずれにしろヒゲは人間を己以上に見せようとする演出が見られる。ただ一面、ヒゲはサングラスと同じく単に己の素顔を隠すというだけでなく、顔と心の関連を断ち切り、己を世間的な心から開放するというより積極的な目的も忘れてはならない。そこにはヒゲやサングラスに頼っても、心の軌範から開放されて限りなく自由に振舞いたい願望も含まれているのだ。
 ここで蛇足ながら画家ルネ・マグリットは何故髪が頭に生えるのか。ヒゲが口の廻りに生えるのか。おそらく髪の毛も口の毛も、当然、暗に下の毛が予想されても当然だと錬金術的手法で絵を描いている。つまり彼は骨相学的に言い表すならば頭蓋骨と恥骨との関係。女体の性器としての口唇形態の類縁関係、そこから顔貌は性貌にも通いあると言いたかったのではないか。

 最後に皺だが昔、顔中に皺を寄せて、その皺にキセルの雁首を引っ掛ける事三十六本という奇妙な芸があったが、それぐらい顔には皺が多い。ある学者は表情筋の集約から出来上がったものが「顔」というものであると規定している程なのだ。
 人相学では皺のことを「紋理」といい、医学では「ランゲル線」といって、確かに皺は生活上の事で様々なことを示しているといえる。イタリアの人相学の権威マルガッツアに依ると、皺によってその人の職業をいいあてる事が出来ると断言したのも別に不思議でなく、マルガッツアだけでなく、人間長い間、ある表情を続けると顔に恒久的な変化が生じ、この種の主張はかくも多くの優れた生理学者が唱えてきたものである。

 筆者でさえ似顔絵のサンプルを描くのに古今東西の偉人・思想家を見ていて、あまりにも美しい皺、人生を刻みこんだ皺に驚嘆した事がある。たとえば執筆する神学者カルル・バルトやマザー・テレサ。指を噛むピカソ。正視する彫刻家ジャコメティなどなど・・・
 日本でも生物学者モースが撮った写真には花を売る老女、漁民、アイヌの人々の美しい皺が浮かんでくる・・・

 それでは何時頃から人の顔皺が面白くなくなったかと言えば高度経済成長時代からではなかろうか。
 その頃より我々は自分で選び取った教育ではなく、自由度の乏しい教育を受け、マスコミから同じような情報を得、同じような生活スタイルと価値観で生きているから、いくら皮膚は年月にさらされているのに皺として受け止めているのを止めているのだ。
 都市に生き、人工環境のみを行き来し、画一的な生活を送る人々には画一的な皺しかなくなって来た。それより今の人は皺を嫌い、美しい皺があった事を忘れているのだ。
 人の顔から皺が少なくなっただけではなく、自然や町からも、そして地球全体からも、襞が消えつつある。その裏に何が皺寄せられているのか、まだハッキリ見えていない。
 いずれにせよ「シワとは幸せなり」という美しい皺があったという事。今なお他国にはあることを思い起こして頂き人相考を塙筆したい。



大道絵師から見た実証的人相考41

2005-04-07 08:29:10 | Weblog
「顔に赤味さす者は、困窮を語って聞かすかよい。褐色をなす者とは、汝と食卓を共にせよ。青白い顔の者には、汝、ナイフ構えよ。黒味がかった者には、汝の妻を遠ざけよ。赤ければ情あり。褐色ならば信じられる。青白ければ強情で、黒ければ好色だからだ」
 この詩は十七世紀の心理学者トマス・ライトの「情念論の概念」の一部で在るが現代でも通用するんじゃないか。
例えば赤ら顔の者は誠意があって、情あると述べているが確かにすぐ赤くなる人は道徳観念強く誠実な人が多い。何でも野蛮人や馬鹿は赤面する事ないと言うが、犯罪者も一般に赤面する事が少ないところからある程度証明できる。
 また「青い顔した者にはナイフを構えよ」と言っているのも、イタリアの諺に「青白い顔は疥癬より尚悪し」」とあるのだ。
 「顔黒ければ好色だ」は精力のあり余っている証拠で、自然界に於いても生物、あるいは動物は色素が濃いほど生命力も強い。白猫よりも黒猫、白犬よりも黒犬の方が気が強く荒いのだ。故に「美人(色白)薄命」という言葉も生まれたのであろう。では顔色でその人の体調を読み取ってみたい。

 * 顔にツヤのない黄色をしている人は急性肝炎の疑いもあるが、セックス過度時にも黄味を帯び、俗に「痴漢の顔は黄色い」というのは当を得ている。
 * 額が輝きちょうど風呂上りのような人は現在の運気が良い。ある相場師は毎日鏡を見て、とくに側額がどす黒くなっている時は株の売買は手控えるという。
 * 白目に木の枝のように赤筋が現れている人は、神経質になっていて悩み深き人。大本教の出口ワニ三郎と同棲していた多田という女は白目に巴型の赤筋が出来「我は巴御前なり」と叫んで跳ね回ったという有名な話があるが、これは過度の緊張から来たものであろう。
 * 瞳が茶眼の人は人種的には南方だが、この眼の持ち主はユーモア感覚に富み、人の意表を突き、子供にも似てこういう人を「お茶目」とも呼んでいる。反面この目は常習的な詐欺師に多いと古い人相学にあるので注意されたし。
 * 眼の周り濃くアイ・シャドーしている人は性的な願望を示す。
 * 鼻、とくに小鼻の赤点は金銭上の悩みを示す。女でここに赤みさすのは生理中を指す。
 * 口紅を動物学者デズモンド・モリスは婚姻色と指摘する。動物は交尾可能になると性器は紅潮する事によって受け入れOKのサインを発する。例えばサルは発情するとお尻が赤くなり、イモリは赤い腹をいっそう赤くするのだが、ただ、人の性器は文化が進むにつれ性器を隠すようになった結果、女は蔭口のコピーである唇に口紅を塗って男達に「もう誘いかけても宜しいよ」と言っているのである。
 * 下唇に悪い色は薬違いか、食中毒におかされている場合が多い。極端に赤過ぎるのは好色でデルラントの「人生と運命」の主人公はこの唇で好色故多情荒淫、身を滅ぼす様を描いている。


 次は顔色でなく、その人の好む色、あるいは洋服色でその人の性格を考察してみよう。

 * 赤・・・この色の好きな人は野心、欲求等で精力的で行動的な人。こと恋愛に関する限り多情。カージィア女子はこの赤型として詩人バイロンをあげているが、この色は何事につけ衝動的に行動する。何かやる時、この色を用いると効果がある。

 * ピンク・・・この色を好む人は女性的魅力に惹かれる人が多い。つまり一人娘か、末っ子で両親にとっても、友人にとっても「アイドル」として可愛がられることを願う故人気者に多い。

 * オレンジ・・・この人は一人で居れず社交的で愛想はいいが独占的傾向がある。とくに己の崇拝する人物には尽くす。愛情の欠如者に多い。

 * 黄色・・・この人は理想主義者で、人に指図されたり、束縛されたりするのを嫌う。また分裂性格であらぬ事を想起したり、ちょうど画家・ゴッホのように異常な行動をとりがちである。ただこの色はゴールドから連想する如く、金に縁がある。そういえば土産もの屋で売っている財布の布はたいていこの黄色である。

 * 緑・・・自然の代表色で自由と躍動を訴えている。人は自然を模倣するというが保護色で、この色は脈を上げもせず下げもしない。ときには反動として疲労を訴えている場合がある。

 * 青・・・禁欲的性格で保守的な色。何事にも服従、従順しかも責任感あたえられたような気持ちになる。ただし若い女でこの色着ていると口どいても無理也。

 * 紫色・・・日本人が最も愛好する色になっているが、西洋に於いてもクレオパトラは非常に愛したそうである。この色を選ぶ人はプライド高く妖しい神秘的なものを好む。反面精神的未成熟や情緒不安定な人がわりあい好む。職業的にはバーのホステス、ゲイバー、占い師。だいたいこの色好む人は貴族的か精神に異常きたした者が多い。

* 茶色・・・実質的、堅実な色で安定した分別を訴えている。この人は妥協、慎重、保守的で耐えがきく。若者なら真実あり、老成した一面がある。故に銀行員や会計等、金に携わる人間の服飾色といえる。

 * 白・・・清潔感を訴えているが、その実、他人に構われたい、色を変えて貰いたい願望を持っている。この色の示す言葉は清楚、未経験、期待等だが、着こなしにより野暮天へ変化するので注意されたし。

* 黒・・・この色を好む人はデリケートな神経と強固な意志が共存し、人に指図されたり、束縛されるのを嫌う。


 以上だがさて異性を一番惹きつけるのは「赤」である。「赤」の力というのは男の脈拍を早く打たせ、欲望を起こさせるのは生理学的に証明されており、男性ホルモンを盛んにする。故に女性に提言したいのは最初のデートに「赤」を使用しない事だ。逆に青色を着ていくと、男の脈は遅くなる。この両者を上手く使いこなすことですな。では女は? それは「紫」である。女はきずいて居ないかも知れないが、実は生理的に快感を呼び起こしているのである。例えば化粧品のパッケージはたいていこの色だし、あの有名なサカサクラゲさえ入りやすいようにこの色を使っているのである。


    次回 実証的人相考 皺・髪論


大道絵師から見た実証的人相考39

2005-04-02 08:09:12 | Weblog
口、唇、歯診断考

 口は食欲を満足させる為の器官であり、唇は外見的には性感帯で人間の生存意欲と動物的な本能を表徴する器官で、まさに口は食欲、性欲等、人の本能を見る所である。故に食欲、性欲等が貪欲になると口の回りの骨格や肉付きが目立って発達し、知能の低い顔付きになる。
 つまり口を始終宇開けていると云う事は自我意識が弱く、理性に立脚した意志によってコントロールする能力の欠如者である。
 反対に何かに耐えることが出来る人、したがって耐えてきた人は文字通り「唇を噛みしめて」我慢するといった表情があり、唇の両脇に微妙な筋肉の緊張が見られるのだ。
 と言うのも口の回りには七つ以上の口輪筋が分布していて、口ほど表情の豊かな所はなく、口は形も大切だがそれ以上、結び方によってかなり相手の心のあり様を読み取る事も知って頂きたい。
 ところで口は生活力の判断、生理的には消化器官の状態、身体的には肛門。女の場合は陰部の正面を観相する。
 ある作家は「目は感情の窓、唇は欲情の門」と言ったが、まさに至言だろう。

* 大きい口・・・この人は清濁合わせて呑む人物で包容力あり、力強い行動力を持っている。
 大口は古来、貴相とされているが、前にも話したように、口に締まりがあるかないかと言う事をよく観察する必要がある。
 得てして締まりのない大口は人間的にだらしなく、欲望のおもむくまま動物的、本能的に行動しがちである。
 ところが女でこの大口の持ち主は並外れた生活意欲を持ち、独立心旺盛で、まかり間違えば夫を尻に敷き、男は俗にいう「髪結いの亭主」になりがちである。
 とくに口大きく、髪の生え際が乱れ、頬骨高く張っているのは「三権面」といって間違いなく後家相である。
 それにこういう女を妻にすると、夫は働かなくともよいが、性器大味で性感鈍く、「過ぎたるは及ばざる如し」の格言のように、天は二物を与えずとは上手く言ったものである。

*小さい口・・・この人は神経質で気が小さく用心深し。
 男は万事消極的で生活力も「水清ければ魚棲まず」式で人を入れる器量も乏しく、大いなる運命を変える事は困難であろう。
 美の条件として昔は浮世絵美人のように小口だったが、今は大口流行時代だと思う。

* 厚い唇・・・この口は男女とも愛情、情感豊かで、しかもこの口は味覚発達しているゆえに、女房にするならこういう口が良い。
 また女の性感度は口の大小より唇の厚さ、弾力で見る方が真実性があるのだが、ただし、口元に締まりなければ性的にも放縦で、何事にもだらしなくなる。
 さらにこの唇に立て筋が多くあれば「愛嬌紋または歓待紋」といって交際好きで派手好き。
 その上、多産系でこういう女と結婚した男は受胎調節を完全にしないと、知らないうちに子だくさんになって苦労するから、夜の仕事は程ほどがよいだろう。
* 薄い唇・・・この人は情少なく、愛情も蛋白。
 その上「孔子さまでも逃げ出す口」と言われるぐらい味覚に無神経で、その料理の不味さにさすがの孔子様も離婚したという。
 その上、この口で口端がだらしないのは、おしゃべりで重要な事でも秘密に出来ない人と思って間違いない。

* 口の両端が下がっている口・・・この口で口端に力なく、下垂しているのは「ベソ口」といって胸中たえず憂いあり、人生上の難問を背負いやすい。
 ただし、口端が力強く締まっているのは長く苦痛に耐えられる努力家であり「百万人とも我行かん」の気概があり、何でも意志通り行動する。それが極端になれば残忍性を帯びる。
 家庭運は家庭をかえりみず、あまりいい傾向ではない。

* 口の両端が上がっている口・・・この口は仰月口(ぎょうげつこう)ともいい、モナ・リザの口であり、中宮寺観音の弥勒菩薩の口でもある。
 この静かな微笑みは仏教用語で蓮華相という吉相で、東西問わず理想の女性像に対する感覚が共通している点は面白い。
 またこの女は魅惑的で回りには常に人か集まり華やかである。
 しいて欠点をあげれば虚栄心の強いことであろう。