倉敷・大原美術館横「似顔絵・宏プロ」

倉敷・大原美術館横で長年・似顔絵を描き、お世話になっている者です。

お遍路を終えて・・・・・

2009-03-10 10:32:57 | 掲示版(感想、批評何でもよろしく)
人とは、存在の側面と関 係の側面を生きている。ともすれば、高齢化率、社会 資産、細胞の集合など、人間存在のみが議論され、本当のの人間性を見失いがちである。


 人とは他者と出会う瞬間、多様 な瞬間をアンサンブルする場を生きている。その知性は、情報知というよりは、アート的感動をともなう情意知、ダイナミックな知なのである。


なぜなら、そこでは、命令や法ではなく、内 発 的なルールに従って秩序の生成がなされているからだろう。
こうした非線形カオスは、お遍路という自由デザインのコミュニケーション文化を通じでのみ可能であったのかしれない。


お遍路は、
統一的な宗教 的作法が明確ではない、個人の自由にまかされている
88箇所連続しようが、区切り打ちにするかは自由である。



弘法大師の開いた場での、人と人とのコミュニケーション、人と自然とのコミュニケーション、人と暮らしの場・風景とのコミュニケーションが、立ち現れるシステムである。お遍路という総 体が、世代を越えて永続 し、各個人のなかに再生産され、社会的な複雑 性を再生する。これを本当の文化というのではなかろうか、と思った。




いみじくも日本文化研究を開拓した柳田國男は言う。

民俗学とは「世のため人のためのルーラルエコノミーである」と。実 際の民俗学 がそういう方向をとれたかどうは別として、文化の深みから、経 世済 民のため、エリア・マネージメントを考えようとしている方向に進んでいると再確認しました。 合掌


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