初夢は、元日また2日に見る夢と言われている。
私は、眠りが浅くしばしば夢を見る。
時に苦しい夢だったり叶わないようなうれしい夢であったりと夢でもしばしばスリルを味わっている。
そして、今年見た初夢はまさに私にとって教訓めいた夢であった。
詳しくは述べることはできないが、私がある中学校教師として勤務する学校の教室で起こったことの夢である。
教室内で生徒に渡す資料だが、通常、教師側からつまり前から一方的に渡す。
それから、教師側から資料について説明する。
ところが、今回の夢は、縦一列に並んでいた生徒たちから横に渡していくというものであった。
要するに、こちらが教卓から一方的に伝えようとしたのではなく縦一列の生徒が横に順に伝えていくというものであった。
渡しながら生徒が横の生徒に説明していくスタイルである。
要するに生徒に任せたのだ。
しかもこれを考え出したのは私ではなく生徒の方だ。
なるほど自分一人でやろうとするのではなく他の方に任せろということか!と妙に自分の夢にしろ納得がいった。
同時に夢の続きには、こんなことがあった。
生徒から信頼されているある先輩の教師がいた。
どうしてこれほどまで信頼されているの?
と思うほどだ。
生徒たちは心も寄せていた。
その方の動きを見てわかった。
あるテスト時間の教室での場面だった。
教室内を回りながら難儀している生徒を自身のシートにチェックしている。
するとその生徒に近づき無言でペンを使って指示している。
解答を教えているわけではないのだが、明らかに考え違いの個所を指摘しているようだ。
確かに現実にはテスト中はこんなやり方は通用しない。
ただ、大切なことは、生徒自身が気づけるようにしていたということだ。
だから杓子定規に不正なことは不正と考えてはならない。
教師は、どの生徒がどの場面で難儀してたのかよく見ていたということでもある。
つまり生徒の中に入り一人一人の生徒の実態に即し、ペンで無言のまま指摘し、生徒自身が気づけるようにしていたということだ。
主体はあくまで生徒自身だということである。
これもまた、単純な私は考えてしまった。
教室内を見渡すとかただ形式的に周回していてはだめだ。
生徒の中に入り柔軟な対応をすること、それが生徒の気づきにつなげることができるということだ。
なるほど短気な私にとっては、どちらの場面もうなずけることであった。
現職時代に全校児童のみならず地域を巻き込むほどの大きなプロジェクトを立ちあげたことがあった。
立場上は、総責任者であったが、一歩間違えば、教育課程上でも問題、1年かけて準備した企画に人も集まらないこともお金も無駄づかいというほどの失敗につながるものだった。
そんな不安をかき消してくれたのが、一人のキーマンの存在であり、キーマンやまわりにいた職員が盛り上げてくれていたことだ。
決して、私一人の力ではなかった。
もし、私一人で音頭を取ろうとしても失敗したに違いない。
そこには優れたキーマンやそれを支えてくれた職員がいたから大成功に導けたのだ。
さらに、翌日も夢の続きがあった。
今度は小学校の教室だ。
そこには、低学年児童が待っていた。
たかが6,7歳の低学年児童と馬鹿にしてはいけない。
対等に私に意見表明をしてきた。
例えば、メダカや金魚のいる水槽は、適切な衛生管理がなされているか、水温は生き物が生きていく上で適切かどうかなどである。
私に訴えてくるだけに私も底の深い水槽に身体を入れてみなければならなかった。
そうしてこそ低学年児童と対等に渡り合えるのだとばかりに。
どんな立場の方であれ、真剣にそれこそリスペクトしながら向き合わなければいけない。
二夜に渡って様々な教訓を突き付けられた夢であった。
教職を退いて8年目になる今年、それが二夜に渡って学校現場での夢をみるとは!
ある意味、笑えてしまうのだが、教訓めいたものを感じた。
まるで、今の私の心境に突き刺さるほどの納得ができる夢であったからだ。
おまけもあった。
さらに、翌日の夢は、職員会議の席。
ある職員がちょっとした問題それも大勢に影響のない失敗を起こしたのだが、本人は知らんぷり。
私もあえて知らないふりをした。
ただ、こちらの提案説明をしているとき、大きな声で明らかに邪魔をしている職員がいた。
こちらの方には、注意した。
全く三夜にわたる学校現場での夢は疲れるものだ。
改めて自分の活動を続けていく際に気を付けなければならないことを振り返った。
「(人に対して)怒るな」→怒りのエネルギーを自分の活動のエネルギーに変換せよ
「くよくよするな」→くよくよする時間があったら本を読め、勉強しろ
「妬むな」→妬む時間があったら自分自身の内面を磨け
である。
今年、私はあるプロジェクトを考えていて、実行委員会も立ち上げようとしている。
これもまたここでは詳しく述べないが、実行委員会を立ち上げられるか、そしてどれだけ動かせるかが大きな成功の鍵を握っている。
同時にキーマンが生まれるかどうかも大切だ。
過去の教訓からもそのことは重々承知しているつもりだ。
第2の人生に転じてから8年目を迎える。
自分が率先して引っ張るのではなく自分が黒子に徹して組織が動いていかなければ成功できないのではないかという思いにかられる。
どちらかというとこれまでは自分が常に先頭に立ち、リードする立場だったからなおさら強く感じる。
今年はこれまでの私とは違う大きな転機の年になりそうだ。
それができなければ「夢」は「夢」でも「夢物語」に終わるだろう。
ただし、これもまた自分自身の人生だ。
うまくいかない時には、あきらめるしかない。
さあ、いつまでも夢の続きは見ておられない。
今日から新年の活動のスタートだ。