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ヒロちゃんの独り言

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2024年を振り返る~備忘録に代えて~

2024-12-31 07:09:17 | 日記

まもなく2024年も終わろうとしている。
 しばしば著名な方は、今年1年を表す漢字一文字を発表されているが、私にはそんな才がないし、表し切れない。
 それほど私にとっては、日々激動ともいえる時間であった。
 それでも思い出に残る時間をあえて3つに絞るとしたら次のことになるだろうか。

 〇カンボジアの小学生に理科の授業を行う
 〇一生に一度しかいただけない賞を2つもいただく
 〇60年以上実家であり続けた自宅と別れる

 カンボジアは初の訪問であり、そもそもは好奇心だけで足を運んだようなものであったが、実際行ってみて驚いた。
 貧困の中で暮らしているはずの子どもたちがいきいきとしていたからである。
 学校建設終了後、児童宅を家庭訪問し、そこで暮らす祖母から困っていることは何か?と聞いたら「貧困」と「医療支援」を挙げられていた。
 そもそもこの国は内戦が終わってまだ20年余り。
 地雷こそ村から撤去されたが、国境付近にはまだ存在するという。
 地雷で足を失った方々の姿も見た。
 疲弊した村には、まだ水道設備も教育施設も十分ではない。
 学校は建築の最中なのだ。
 それでも子どもたちは、学びたがっていた。
 どんな知識にも飢えていた。
 別れ際に集まっていた子どもたちが、気温35度の中、私たち一行を追いかけてきた姿が今も脳裏に焼き付く。

 一生に一度しかいただけない賞とは、「環境大臣表彰(地域環境保全功労者賞)」であり「山下太郎地域文化奨励賞」である。
 ただ、どちらも自分一人の力でいただけたとは思っていない。
 多くの方の支えがあったし、推薦の力があったことは忘れてはならない。
 そして、これら2つの授賞に関して、たくさんの方からお祝いのメッセージやお祝いの席を設けていただいた。
 ただ、感謝するのみである。

 さらに、いつかこの日が来るとは思っていたが、自分が生まれ、青年期まで両親と共に暮らしていた実家を離れることになった。
 当初は、解体も考えていたが、あまりにその費用がかさみ、困難であることを知り、お譲りすることを模索していた。
 幸い、こんな自宅でも引き受けたいという方の申し出があり、無事明け渡すことができた。
 ただ、その片付けに半年間は、時間を作っては、毎日のように実家に通い、汗を流したことも忘れられない一コマである。
 片付けの際、出てくる一つ一つの品がどれも子どものころからの思い出の品であり、両親との思い出の宝でもあった。
 両親が遠くに旅立ち、早2年が過ぎようとしているが、実家との別れは両親との別れでもあり、胸が締め付けられそうでもある。
 ただ、せめてもの実家本体を残したことは実家を通るたび、両親との懐かしい思い出を想起させるものだ。

 この1年の活動を一覧表に起こしてみた。
 自然体験活動のガイド、講演会、ワークショップは86日に及んだ(ただし、カタクリの会や秋田自然史研究会それに仙北道歩きや熊講座、森林インストラクターの研修会は入っていない)。
 これに下見や打ち合わせそれに研修会を加えるとおよそ150日となる。
 また、カンボジアでの体験それに東京に戻ってからの研修を加えると160日。
 さらに、この1年で真人公園もしくは真人公園に通った日数は、リス調査(今年は20日)を含め、67日なので少なくとも3分の2は何かしらの活動をしていたことになる。
  次に私が案内した方また講演などの話を聞いてくれた方は、延べ人数にして1890人。
 ただし、およその数であるが、少なくとも1500人以上の方とはお会いしたことになるだろう。

 あとは、番外編であるが、今年人生初のコロナにかかって自宅に1週間は閉じこもったこと、白内障手術で視力が以前のように回復したことも記憶としても残る。
 また、映画はあまり見ていないのだが、大曲イオンで見た室井慎次の「敗れざる者」「生き続ける者」の2作品は心を強く動かされた。
 また、私の推しである半崎美子さんのコンサートを弘前で初めて聞いた。
 普段、CDで聞いていただけだったが、本当に人間的にもすばらしい方であると強く印象に残っている。
 残念だったことは、読書冊数が近年になく少なかったこと。
 いつもの年なら100冊ほどです!といえるのだが(これでも少ないと思う)、今年は69冊である(ただし、雑誌はのぞく)。
 言い訳をするならば、白内障手術前には視力がかなり落ち、文字を目にするにもイライラ感が募っていた。
 また、活動日数が増え、読書の時間を十分に確保できなかった。
 読書の達人なら、どのようにして克服されているだろうか。
 私の知り合いの方は、お風呂に入りながら本と向き合っているようだが・・・・私の場合、お風呂もさっさと入りあがるのでこれもまた難しそうだ。
 いずれ、視力も回復したことだし、来年への課題としたい。
 アッという間の1年だった。
 自分の年齢も少しずつ古希に近づいている。
 ということは、健康寿命に達するのも近いということだ。
 ただ、寅さんの言葉を借りるまでもなく「人間生きていりゃそのうちいいことが何度となくあるさ。」である。
 今年もたくさんの良き思い出もあった。
 つい先日の市内小学校での講演会にも38年前に担任した児童がおり、現在は40代の母親になっている方も聞いてくれ、うれしい感想もいただいた。
 まさに、長く生きていて良かった!と思える瞬間でもあった。

 さて、来年はどんな年になるだろうか。
 来年も新しい企画を仕掛けていくつもりだ。
 ただ、これもまた自分に言い聞かせているのだが、未来を生きる子どもたちのためにもやってよかったと思える企画に仕上げていくことに変わりはない。

※秋田県南情報誌「まっちゅ」の「みんな集まれ!里山たんけん隊」に毎月連載中

 月刊「理科教室」(メトロポリタンプレス発行)に、表紙写真ならびに目次写真毎月掲載中


講演会の席で私の話を聞いていた母親は38年前に担任した児童であった

2024-12-28 06:58:14 | 日記

私は、「寅さんシリーズ」の大ファンで、同じ作品を何度も見ている。
 その中で、甥の満男と寅さんとの間にこんな会話場面がある。

 満男「伯父さん、人間てさ、人間は何のために生きてんのかな?」
 寅「難しい事聞くな・・・何というかなあぁ、生まれて来てよかったな、って
   思う事が何べんかあるんじゃない。そのために生きてんじゃねえか」
 満男「ふーん」
 寅「そのうち、お前にもそう言う時が来るよ なまぁ、がんばれ」
               男はつらいよ第39作「寅次郎物語」より 

 先日、講演の機会をいただいた小学校から、講演を聞いたPTA会員から感想文をいただいた。
 その中に一人、私にとっては衝撃的ともいえる感想文をいただいた。
 それがこちらの感想文である。

 38年ぶりに酒井先生のお話を聞くことができ、昔から変わらない、優しい口調で、とても懐かしい気持ちになりました。
 子を持つ親となり、時代についていこうと必死になっていましたが、ふと立ち止まって子どもと周り(自然)を見渡すのもありなんだなと思える時間でした。
 真人公園の登山はぜひやってみたいです。
 楽しいお話をありがとうございました。
                〇〇小〇年時お世話になりました。〇〇より

 その方は、お名前しかも旧姓まで書かれていたので、すぐに顔を思い出すことができた。 38年前といえば、初任校である。
 もちろん、私はまだ20代で、右も左もわからないような頼りない教師であったはずだ。
 ただ、教師という仕事にどうしてもなりたくて、数年もかかってやっと憧れの仕事に就けた、それだけにただ、毎日が仕事=趣味のような日々であったことが思い出される。
 当然ながらこの子のことも忘れることがなく、当時日々の暮らしを生活綴方のごとく書かせていた時にきらりと輝く文章を書く子でもあった。
 毎日、担任する児童全員と日記を交換するのが楽しみでもあった。
 時々は、当時秋田魁新報に児童生徒の作品コーナーがあり、子どもたちを励まそうと子どもたちの作文や詩を投稿していたことも懐かしく思い出される。

 講演会では、今の時代はともすれば
「子どもはとにかく早く大人になれ!」と急かしているようでならない。もっと子ども時間それも豊かな子ども時間が心豊かな大人になるために必要なのだ。」
と強調していたのだが、さすがにそのことを捉えておられた。
 それだけでも十分うれしいのに、38年ぶりの再会である。
 心がときめかないはずはない。
 ただ、残念なことに講演会後にその方と対面することはできなかったが、私を見ていたことは間違いないし、この感想文だけでも対面できた気がしている。
 38年間という空白時間は、その子の成長は見ることができないが、この感想文で十分伝わるものであった。
 38年間も生きていれば、まさに
「あ~、生きていて良かったなあ」
と思えた瞬間でもあった。

 もう一人、父親だろうか、その立場でだろう書かれている感想もあった。

 今回は、とても貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
 時代が変わるとともに日々触れるもの、見るものなども変化がありますが、自然はいつもそこにあって共に生きているものだなと思いました。
 子育てに悩むときは、親子で自然に触れてみてたくさんのことを感じあいたいと思います。

 自然の中では、親子も同じ目線になれることの話もしたのだが、それを的確にとらえてくれたと考える。
 
 ついでながら、PTA会員として、20年近く前、同職していた一人の先生からもとても励みになる感想をいただいたので、紹介したい。

 酒井先生の行動力、エネルギッシュさに驚嘆いたしました。
 いつも若々しく、私にとって人生のお手本です。
 海外で学校を作ったり秋田や横手の子どもたちのために里山の自然散策を計画実行したりと主体的に生き、人生を切り開いていく様は、まさに子どもたちにとってのモデルです。
 これからもお元気に、ご活躍を応援しております。

 他にもまだまだ応援メッセージばかりで、単純な私はのぼせそうだが、しっかり応援している方はたくさんいるんだぞ!と自分に言い聞かせたい。
 だからこそ、ありきたりの言葉になるのだが、感謝の気持ちを忘れずにこれからも自分のやれることをより多くの方に届けたい。


保護者向けの講演会でお伝えしたかったこと

2024-12-22 06:54:59 | 日記

先日は、横手市立大森小学校の全校PTAの場で、保護者向けの講演があった。
講演会で話をさせてもらうのは、今年7回目だが、PTAという場は今年は初めてである。
現職時代に機会はあったが、それ以来7年ぶりということになる。
では、どうしてこのような機会が生まれたのか?
実は、一人の保護者の力が大きかった。
昨年から釣りキチ三平の里自然体験塾に子どもと参加し続ける方が学校や研修部員に働きかけてくれたのである。
それは、とてもうれしかっった。
なぜなら、体験塾を肯定的に捉えてくれたことの証拠だからである。
さらに、後でわかったことだが、この保護者だけでなく研修部長も私の活動を知って評価してくれていたのである。
講演途中でも60名余りの参加者に「釣りキチ三平の里自然体験塾」を知っているか?の質問にも挙手してもらったが、おそらく6割から7割の方が少なくともその名前を知っており、また中には、実際体験塾にも参加された方がおり、ありがたかった。
学校側も校長先生を始めとして、私という存在を知っており、とても温かく迎えてくれた。
このようにたくさんの方々の支えがあって講演会が実現できたことは言うまでもない。
では、肝心の講演会は期待に応えられたのか?
いささか不安であるが・・・・

私の講演は、通常およそ2つのテーマに絞られる。
①秋田の里山の自然の魅力について
②自然と子育ての関連について
当然ながら、今回は、②の方であったが、およそ次のような内容である。

「子ども」という存在は、最も自然に近い存在である。
だから生まれて間もない頃は、感性も豊かで、自然の様々な姿に出会う度、五感を通して心を豊かにすることができる。
ところが、大人に近づくにつれ、様々な人工物やメディアそれにSNSなどの情報に触れ、それは五感を通さなくとも頭に入ってくるようになる。
いわば、視覚中心の情報といって良いかもしれない。
一方、子どもの発達は子どもによって多様で、飲み込みが早い遅いあるいは行動が素早いゆっくりといった違いがある。
現代は、まるで「子ども時代」を急がせ、「早く大人になれよ!」と言っているような気がしてならない。
自然の生き物に目を向ければ、必ず「子ども時代」があり、それは豊かな子ども時代であるといえる。
子ども時代を急かすならば、必ず大人(成虫・成鳥)になってから発達にゆがみが生じる。
これは、自然の摂理ともいえる。
私たちヒトも自然の中の生き物と捉えるならば、この豊かな子ども時代が必要なのだ。
私たちが哺乳類の一員からヒトという存在に進化していく中で忘れ去られてきたものがあるとすれば、それはまさしく自然と共に生きてきたということではないだろうか。
だからこそ、小さな子ども時代に自然の中に身を置き、五感を磨き、子どもが本来持っている感性を磨きたい。
それは、すぐに成績が良くなるとかできないことができるようになるというものではない。
大人になるまでに大切なこと、例えば、植物が豊かに生長していくためには豊かな土壌が必要であるようなものである。
子ども時代に五感や感性を磨いていくということは、ちょうどこの土壌づくりのようなものだと考える。
だからこそ、豊かな子ども時間が保証されなければならないのだ。

というようなことをお伝えしたかったし、話したつもりではある。
私の修行不足の故、まだ十分な内容をお伝えすることはできなかったかもしれない。
ただ、今の時代だからこそ、必要なことだと考える。
幸い、この願いに沿って、今、私は、「釣りキチ三平の里自然体験塾」や「わくわく科学工房」それに「森っこ倶楽部」といった場で思うような活動をさせてもらっている。
また、市内外の小中学校や幼稚園、支援学校からも声がかかり活動を続けている。
このうち、「釣りキチ三平の里自然体験塾」は、今年4年目を迎えたが、4年目にして9回の合計の活動参加者が、延べ200名を超えた(毎年10回続けている)。
ただし、あくまでも延べ人数なので実質参加者はこれよりかなり減るだろう。
願わくば、もっとたくさんの方に存在を知ってもらい、もっと子どもにとって自然体験は大切なものだ必要なものだと感じてほしいものだ。
また、もう一つの願いである「子どもの育ち」であっても7年間活動に参加し、今では小さな子たちや大人に対してもしっかり自然との向き合い方や人や生き物に対しての接し方までしっかりできる、また話せる中学3年生の子がいる。
昨年、ある大人から「あなたはどうして自然体験活動に参加しているの?」と聞かれ、「ボクはこの活動に参加していなければただのゲームばかりしている人間になったと思う。」と話していた男の子である。
もちろん、この子の場合、ご家庭での教育そして協力が一番大きかったと思う。
それは、この子の両親がこの子を毎回のように参加させてくれ、また今は引き続き弟も参加させてくれていることからわかる。
この子だけでなく、一人でも多く活動に参加し、育っていくならば間違いなく自然に触れることは必要なことだ、大切なことだという輪は広がっていくだろう。
ある意味、本格的に活動を始めてまだ7年なのだ。
ただし、私のエネルギーにも必ず終わりがあることを知っている。
その時には、どれだけの輪が広がっているのかそれも試されているようでワクワク感が止まらない。

 


雪が多いところでは、常緑樹の背丈が低い!?

2024-12-09 05:56:47 | 日記

周辺の里山では、すっかり広葉樹は葉を落しているが、こんな時、目立つ樹木は常緑樹。
マツやスギなどは、まだ葉を落とさず、緑色が鮮やかだ。
どんなに雪をかぶっても葉を落とさない。
厳密にいえば、年中葉を落とさないのではなく、葉を入れ替えているのだが、見た目にはその名の通り緑色のままである。
ところで、この常緑樹、マツやスギのように背丈が高く目立つのだが、背丈は低くても常緑樹はある。
私の住んでいる里山では、エゾユズリハやヒメアオキなどがそうである。
歩いて気付くのだが、これらの常緑樹は皆背丈が低い。
エゾユズリハは、1~2メートル程度、ヒメアオキにいたってはせいぜい1メートルほどの高さしかない。
では、なぜ、背丈が低いのか?
実は、エゾユズリハやヒメアオキは主に日本海側に生息しており変種と呼ばれる。
母種となる常緑樹はもちろんあるが、こちらは太平洋側に生息する。
樹高は次の通りである。
( )内は、平均的な樹高である。

母種                                       変種
アオキ(4,0)                       ヒメアオキ(1,0)
なし                                     ヒメモチ(1,5)
イヌツゲ(15,0)                  ハイイヌツゲ(1,0)
ユズリハ(15,0)                  エゾユズリハ(1,5)
ミヤマシキミ(1,5)              ツルシキミ(1,0)
イヌガヤ(10,0)                  ハイイヌガヤ(1.0)
カヤ(25,0)                        チャボガヤ(3.0)

母種となる常緑樹は、皆太平洋側に生息しており、私が住む地域では、植栽でもしていない限り見ることができない。
では、母種と変種の違いの環境の違いは何か?
気温の違いも南北方向に目を通すならば、若干ないわけではないが、なんといっても積雪量の違いが大きい。
日本海側とりわけ私の住む地域では、標高が200~400メートルの里山でも積雪が2メートルを越すことも珍しくない。
変種の平均的な樹高を見る限り、ほとんどが雪の中に埋もれる高さである。
まさに冬の間は埋もれてしまう。
それなのに、生きていけるのはなぜなのか?
もちろん、思わぬ大雪で枝が折れてしまうこともある。
それでもほとんどの樹木は、折れずに雪の中に埋もれてしまう。
となると心配なのは、雪の中では凍結さらに凍死しないのかという問題である。
私のふるさとでは、2月に「かまくら」という行事がある。
「かまくら」とは、雪で作った家の中に雪洞を作る。
中には、祭壇を設け、水神様を祀る。
観光行事としても有名である。
いわば雪洞なので、気温がかなり低下しないか?
という疑問があるが、それが全くといってよいほど問題ない。
逆に雪洞の外が零下の状態であっても雪洞の中は、ほぼ0度前後で保たれる。
では、雪の中に埋もれた樹木ではどうか?
原正利氏らの研究によると
雪の下は、積雪のある期間中、摂氏零度に保たれ、日変化もきわめて小さな、安定した環境下にあることがわかった。
また、樹木が小型化することによって、茎を倒れやすくするとともに、その柔軟性を増して、茎が伏条した形をとるのに役立っているのだ。
雪山では、春が近くなるとしばしば覆いかぶっていた雪が融け、隠れていた樹木の姿が現れることがある。
その様子は、まるで、眠っていた樹木が突然立ち上がるようにも見える。
まさに小型化することによって、保温効果や折れにくさという利点を創り出していたのだ。

これから、周辺の里山では雪の季節に入る。
一面、雪に覆われた里山の姿は、眠りについたかのように思える。
だが、確かに樹木たちは(他の生き物たちも)生きている。
その息遣いを探りながら冬もまた歩き続けたい。

〇参考文献
・ブナ林の自然誌
 原正利編 平凡社 1996


初冬に映える赤い実の不思議

2024-12-01 11:44:44 | 日記

どんなに季節の進行が遅いこの地にも葉を落とす時期がやってきた。
枯凋(こちょう)性という性質を持つ、枯れた葉もしばしば残すブナ科の樹木の葉もそろそろ陰りが見えてきた。
そんな時、それを待っていたかのように赤い輝きを増すものがある。
それが樹木の赤い実だ。
私のふるさとの里山でいえば次のような赤い実が目立つ。
ムラサキシキブやサワフタギのような全く違う色を呈するものもあるが、ここでは、あくまでも赤い色の実に限定したい。
例えば、私のフィールドである真人(まと)山では、次のような赤い実が見られる。

・ガマズミ(ガマズミ科)
・ミヤマガマズミ(レンプクソウ科) 
・サルトリイバラ(サルトリイバラ科) 
・アオハダ(モチノキ科)
・アズキナシ(バラ科)
・ヒメアオキ(ガリア科)
・ナナカマド(バラ科)
・ヒメモチ(モチノキ科)
・マユミ(ニシキギ科)
・コマユミ(ニシキギ科)
他にも樹木とはいえないが、次のような赤い実も見られる。
・ヒヨドリジョウゴ(ナス科)
・ツルアリドオシ(アカネ科)
・ツルリンドウ(リンドウ科)

では、なぜ赤いのか?
大きくいえば、子孫を残すためである。
赤い実に含まれる種子を親元から離すためでもある。
では、誰が運んでくれるのか?
赤い色を好むといわれる野鳥たちである。
実際、春に赤い花をつけるツバキは野鳥たち向けのようだ。
つまり、甘い蜜は昆虫たちというより野鳥たちを歓迎しているようだ。
しかも花は上を向いている。
空高く飛ぶヒヨドリやメジロなどの野鳥たちにも歓迎されているようだ。
冬を迎え、食料が少なくなったころ、野鳥たちには栄養分を含んだ実は格好の食料となる。
実を食べた野鳥たちを種子ごと飲み込み、含まれた種子は糞ごと他の場所に蒔いてもらうのだ。
植物にしてみると種子を運んでもらうため、野鳥たちにとっては食料になるためとお互いが利益を得ることになる。
では、一斉に赤い実は食べられ、年を越した冬場には食料が足りなくならないのか?
それが不思議なことにある種のものは、冬の始まりの時期には、ほとんど食べられるのに対して、ある種のものは全くと言ってよいほど食べられていない。
例えば、ミヤマガマズミはこの時期だいぶ少なくなってくる。
実際、ミヤマガマズミは口にしてみると酸っぱいがしっかり食べられる。
しかも栄養分も豊富だという。
ところが、ナナカマドはどうだろうか?
近所によく開けた場所ににナナカマドの木がある。
今の時期、行ってみるとほとんど実が残されている。
不思議な話だ。
野鳥たちも良く訪れる場所だが、見向きもされていないようだ。
それがどうだ、年をこし、1月下旬ともなればすっかり木の実が消えている。
足元には落ちているわけではないし、不思議な話だ。
よく調べてみるとナナカマドの実の成分に大きな原因があるようだ、
ナナカマドは、初冬の頃、私たち人間にとってもとても食べられたものではないし、それどころか口にしてはいけない。
なぜなら、ナナカマドには微量ながら、有毒のシアン化合物が含まれているからだ。
では、1月終わりともなればなぜ食べられるのか?
これは、冬の寒さによって、実は冷え、毒素は分解され、苦みも取れてくるからだ。
いわばナナカマドの子孫を残すための戦略といってよいだろう。
他にもカンボクも同様である。
赤い実一つをとっても早く食べられるものと野鳥たちにとって食料不足となる厳冬期に食べられるものと分かれるのである。
それは、まるで木の実たちがお互いいち早く食べてもらうために競争をするのではなく、食べてもらう時期を申し合わせたかのようにも思える。
植物の戦略といえば、もう一つおもしろい話がある。
それは実に含まれる種皮の姿である。
例えば柿だ。
柿の実といえば私たちにとっても野鳥たちにとってもおいしい食料だし種子ごといっきに食べられそうな気になる。
ところが、種子をよく見るとつるつるのゼリー状になっている。
なかなかかみくだくということはできそうもない。
これはよくできたもので、十分消化されずに消化管をスルー出来るかのようだ。

たかが赤い実ではあるし、彼らはモノをいうわけでもない。
ただ、動物同様にしっかり子孫を残していくために彼らなりの戦略は貫いているのだ。