山という山、森という森に通っていてしばしば聞かれることがある
「山に熊がいませんか?」
がそれだ。
この問いに関しての答えも決まっている。
「いますよ。」
である。
たいていはこの返答に驚かれることになるが、それ以上はほとんど突っ込まれることはない。
突っ込まれるようなことがあれば
「山に熊がいませんかということは里に人間がいませんか。」
と聞かれていることのようなものですと答えたらたいていは怪訝な顔をされる。
そして、心の中では思っているかもしれない。
「それなのにどうして山や森に行くんだ。」
と。
昔は、山に行くといえばそんな事は聞かれることはなかった。
近年のことだ。
それだけ、山や森が変わってきたということだろう。
ここ数年、冬場限定でニホンリスを観察し続けている。
冬場限定とはいえ、トータルにして200日は超えた。
とはいえ、わからないことだらけだ。
彼らとコミュニケーションでも取れたらと思うのだが、そうもいかない。
時に、身体の毛づくろいをしている様子を見るとダニが発生し始めたのかなと考えたり枝葉を運んでいる様子を見たりすると子育ての準備に入ったのかなと考えたりもする。
ただし、それはあくまでも仮説にすぎない。
ニホンリスを観察していると他の動物が出てくることもあった。
キツネがとことこ歩いていったり二ホンアナグマが脇を通っていたこともある。
野鳥の姿や鳴き声もにぎやかだ。
つくづく山には多様な動物たちがいるのだと感じる。
ツキノワグマに関しては、近年の被害を見るにつけ、当然山や森にいることを前提にしながらもばったりと出会い頭には合わないよう準備する。
それには、まずこちらからのサインだ。
心の中で「今から山に入るぞ~。」と叫ぶ(実際叫びもする)。
宮沢賢治の作品に「狼森と笊森、盗森」というものがある。
この中に次のような一節がある。
そこで四人よつたりの男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃そろへて叫びました
「こゝへ畑起してもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
みんなは又叫びました。
「こゝに家建てゝもいゝかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた声をそろへてたづねました。
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた叫びました。
「すこし木きい貰もらつてもいゝかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたへました。
宮沢賢治~狼森と笊森、盗人森 ちくま文庫より~
賢治の言葉を借りるまでもなく、彼らの棲むエリアに入らせてもらうという謙虚な気持ちは常に忘れたくない。
それでもこれまで磨いてきたまだ乏しいながらも五感を駆使しながら歩いていく。
こんな私でもにおいや音から何かしらの存在を感じることもある。
そんな時こそ慎重に行動する。
もちろん、いざという時のための準備も怠らない。
ただ、熊とは違う危険な生き物の存在も忘れてはならないと思うのだ。
例えば、スズメバチ。
こちらは、刺されたことによって毎年日本国内で二桁の死者数がいる。
ツキノワグマの比ではない。
マムシだってそうだ。
毎年、噛まれて措置が遅れ亡くなられる方もいる。
ツキノワグマは、山の中複数でにぎやかに歩けばまず出会うことはないが、マムシは違う。
つい先日の親子の観察会でも登山道でマムシがとぐろをまいていた。
幸い、こちらの存在に気づき、逃げていったが、この場合も自分が常に先頭を切って歩くことや見た場合にマムシが立ち去ることを見届けたりそばに近寄せないようにしたりしている。
常に五感のスイッチを入れるようにはしているつもりだ。
ただ、同時に彼らの山や森での役割というものもしっかり知っておく必要がある。
例えば、ツキノワグマは森の中では王者的な存在だが、それは決して肉食動物ということでなくむしろ植物を中心とした雑食性の動物である。
そして大事なことは、ツキノワグマは日本最大の種子散布者であることだ。
つまり山菜や樹木の若葉や果実などを好んで食べる。
ミズキやサルナシでも桜でもイチョウでもなんでも食べる。
ヒトが食べ物を取り入れて糞として出るのに24~48時間なのに対してツキノワグマのそれは15~20時間だという。
おまけに1回で出す種子は5000粒以上、重さにして31~100キロだという。
山歩きされている方には、その糞の量の多さに実感されている方も多いのではないだろうか。
つまりは、彼らの存在によって山や森が維持されているともいえる。
今のツキノワグマの一番の問題は、「アーバンベア」と新語が作られるくらい人が多く住んでいる街に現れていることだろう。
逆の視点でいえば、本来は街にはいない存在で里山から奥山にかけて棲んでいるはずのツキノワグマが、なぜ街や里に下りているのか、ということは、もともとは棲んでいたはずの里山から奥山にかけて何かしら異変が起きているのではないかということだ。
同様にツキノワグマに比べて人間にとっては存在感が薄いかもしれない他の動物たちにも異変が起きているかもしれない。
このことは、ニホンリスの観察を続けていても感じることがある(このことはまた別の機会に)。
つまりは、ツキノワグマが街に現れている問題は、ツキノワグマだけの問題に帰結せず、常に彼らの棲む山や森からのメッセージでもあるととらえていかなければならない問題だと考える。
これ以上のお互い不幸な被害につながらないためにも・・・・
※写真は、先日の体験塾で確認したマムシ

