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ヒロちゃんの独り言

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対岸の火事ではすまされない大船渡の森林火災

2025-03-22 06:15:37 | 日記

もう17年前のことになるが、プライベートでアメリカ・ヨセミテ国立公園をハイキングしたことがある。
その際、公園内にあるロッジに宿泊したのだが、フロントで部屋内は停電になっていることを知らされた。
聞けばカリフォルニアの大規模な森林火災の影響だという。
その時は、毎年のように頻繁に起こるカリフォルニアでの森林火災のことであり、日本では無縁なことと思っていた。
それから20年近くが経過したが、まさかお隣の県でこれほどまでの大規模な森林火災が起ころうとは夢にも思わなかった。
確かに身近なところでも山火事は起きていた。
ただし、それは焚火の不始末であったりたばこの消し忘れ等が原因によるものでほとんどはすぐに消し止められていた。
ところが今回の大船渡の森林火災はどうだろう。
大船渡市の外観調査によると、被害を受けた住家のうち76棟が全壊。農業や漁業の多くの作業場も全壊と判定され、全地域の避難指示があった。
原因が何であれ、あまりにも大きな被害になっているではないか。
現在は、避難指示解除が出されたが、それでもまだ避難されている方はいる。
避難所の環境状況や健康管理を思えば、自分事のように心が痛むし、微力ではあったが横手青年会議所を通じて、支援物資をお届けした。
今後は、一日も早い日常を取り戻し、なりわいを再建していくための支援が求められていくだろう。

ところで、これほどまでに延焼が拡大した要因として、どんなことが考えられるのだろう。素人ながら、樹種や環境について考えてみた。
周囲は、やはりスギやヒノキなどの針樹葉が多かったようだ。
スギやヒノキといった針葉樹は、樹皮が薄く、燃えやすい。
スギの葉は着火剤にも使われる。
それが空気の乾燥した状態ではどうなるか。
針葉樹だけではない。
様々なニュースによると周囲には落葉樹が混じっていたという。
落葉樹そのものは燃えにくい樹種もあるが、秋に落葉した葉が乾燥していたらどうなるだろうか。
また、専門家の話によると周囲はリアス式海岸のため、斜面勾配がきつい。
それが延焼方向と斜面の勾配が合った結果、延焼速度があがった可能性があるという。
さらに、地表にある落ち葉が延焼し、火の勢いが強くなると樹木の葉まで焼ける「樹冠火」というものが起こるようだ。
これによって、飛び火まで発生し、さらなる延焼が拡大したという。 
斜面がきつければ消火活動も困難であっただろう。
この時期の太平洋側は、乾燥しそれでありながら強風も吹く。
様々な要因が重なったのだろう。

では、転じて私が住む日本海側特に多雪地域ではどうだろうか。
近年の温暖化に伴い、初雪の時期が遅くなったり雪解けが早まったりしている。
それに異議を唱える方でも近年のソメイヨシノの開花が早くなったり紅葉の時期が遅くなったりしていることは否めないだろう。
つまり、乾燥する期間がそれだけ長くなっているのだ。
まして、近年の夏場の猛暑は、異常を通り越してもはや日常になりつつある。
台風もまた年々巨大化しつつある。
つまり森林火災の起きやすい、広がりやすい条件が増加しつつあるということだ。

現に、近年は先述したカリフォルニアのみならず世界各地で大規模な森林火災が起きていることはニュースで知られる通りである。
このままで推移すれば世界の森林はどうなるのか。
国連環境計画(UNEP)が2022年に発表した報告書がある。
それによれば、地球温暖化によって森林火災の発生リスクは2030年までに14%、2050年までに30%に急上昇、2100年には50%に達するとされている。

今回の大船渡森林火災は大変な事態であった。
同時にこれはどの地域でも起こりうる事象だと捉えられないだろうか。

※手前みそな宣伝になりますが、5月31日午後1時半より横手市十文字庁舎において、「多面的な森林機能」も含めた「あきた里山サミット」を開催します。シンポジウムでは、森林組合の方も発表されます。今の森林や里山について考える良い機会だと思います。どうぞ、たくさんの方においでいただきたいと思います。


小学校3年生以来7年間自然体験活動に参加してきた子が高校生に

2025-03-15 05:28:49 | 日記

13日の夕方のことだ。
突然ラインが入ってきた。
「横手高校に合格しました!」
と。
鈴木君からだ。
合格は間違いなしと信じていたが、うれしくなりすぐに電話した。
鈴木君は、私が公職を定年退職、本格的に活動を始めて以来、7年間ずっと私が案内する活動に参加してきた子だ。
当初は、恐竜が好きだという話だったが、いつの間にかリアルな爬虫類や両生類に関心を持ち始め、自宅でもへびを飼うようになっていた。
彼は、3年生の頃から私にぴたりと付いてきては、すぐに不思議なものを見つける。
そして、すぐに何だろう?と考え、図鑑でしらべたり私に聴いてきたりした。
活動だけではない。
私が講師を務めた講演会や講座にも必ずといってよいほど足を運び、私の話を真剣に聞いてはメモをする。
中学生ともなれば、自然観察会など離れる傾向にあるものだが、彼は違っていた。
相変わらず、自分自身の生き物に対する興味を追求しているが、同時に人間的に大きく成長してきた姿がわかった。
それは、私へのサポートであり、小さな子に対して接する姿であった。
私の案内は、時々紹介したいものを解説できずにスルーしてしまうことがある。
彼は、それを後ろからさりげなく「先生、これもあるよ。」と指摘してくれたり私の足りない部分を補足解説してくれるのだ。
小さな子に対しては、生き物例えば爬虫類や両生類をわしづかみにしようとする子に優しく指摘する。
「それだと(爬虫類や両生類が)人の体温でやけどしてしまうよ。軽く乗せるだけでいいよ。」
というように。
小学生でやんちゃな子が山の中を私より先に走り出そうとするとすぐにその場に行き、「危ないよ。」と注意してあげるという姿も見られた。
まさに私の片腕、時には、私以上に活躍してくれるようになった。
彼が、中学2年生の時だ。
大人と一緒の観察会だったが、中学生で参加している彼の姿を見て、一人の女性が声をかけた。
「どうして、観察会に参加しているの。」
中学生で参加している姿が珍しかったのかもしれない。
彼はすぐに答えていた。
「もし、僕が観察会に参加していなかったらただのゲーム野郎になっていたと思うから。」
と。
ある観察会のことだ。

年下の子にへびのつかみ方を教えている姿に小学生が私に話しかけた。
「ぼくもお兄さんのように(小さな子に教えられるように)なりたい。」
いつの間にか彼は小学生からもあこがれる存在になっていたのだ。
もしかすると彼は、もともと特別に頭の良い子だったのかもしれない。
ご両親の育て方が良かったのかもしれない。
それは事実だろう。
しかし、そのことを差し引いても誰にでも鈴木君のように育つ可能性はあるのではないかと思うのだ。
それは、小さなころから仲間と共に自然に親しみ、しっかりとした大人から学ぶ(私を指しているわけではない)、わからないことがあればそのままにせずに調べたり質問したりするーごく当たり前のことだが、その積み重ねでいくらでも子どもは成長していけるのではないか。
彼の合格しましたという弾んだ声を聴きながら、強く思った。
彼が私の関わってきた活動に参加し続けて7年。
日数にして200日は超えただろう。
私も彼からたくさんの大事なことを教わった。
それは、知識だけではない。
年下の子や生き物に対する接し方、ひたむきに学ぼうとする姿・・・・
ある意味、彼は私の教師でもあったのだ。
感謝すべきは、私の方なのかもしれない。
彼の弾んだ声を聴きながら、我が子の合格のようにこの日は特別にうれしかった。


あきた里山サミットを開催します

2025-03-07 06:28:33 | 日記

 日本の昔話である桃太郎に冒頭こんな一節がある。
「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。まいにち、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」
では、毎日おじいさんがしば刈りにいくのはなぜか。
ここでいう「しば」とは何か。
もちろん「芝」ではなく「柴」のことだ。
「柴」は、薪のこと。
電気や灯油などない時代は、まさに近くの今でいうところの里山から薪となる灌木や落ち葉などを刈っては集めていたことだろう。
こうした生活は、少なくとも電気が家庭内まで普及する昭和20年代ぐらいまではあったはずだ。
つまり、里山から日常生活に必要なエネルギーを得ていたということになるだろう。
つまり私たちの生活と里山は切っても切り離されない関係にあったはずだ。
そのころの里山と言えば、景観もまた美しかったはずだ。
私もおぼろげながら、昭和30年代から40年代くらいまでの幼少時代の真人山のことを思い出せば美しい森林風景のある景色だったことが思い出される。
ところが、そのエネルギーが電気や灯油などに代わってからの里山はどうだろうか。
生活と密着していたはずの里山が人々の生活から離れるにしたがって、里山と関わる人は少なくなってきた。
生活の一部としてではなく、里山が一部山歩きする人や山菜・キノコ採りする人のために開かれているようになってきた
言っておくが、私はここで電気や灯油などのエネルギーをやめて以前のように薪や炭の生活に戻れといっているわけではない。
私だって電気や灯油、ガソリンの生活にどっぷり漬かっている。
今さら昭和の始めの生活に戻ろうとしても無理がある。
では、どうすべきか。
大事なことは、田舎に住みながら都市化した生活にどっぷりつかるだけでなく私たちが暮らす土地面積の半分以上を占める里山にも目を向けるということだ。
それによって、森林の公益的機能や動植物の生態系に目を向け、生活が都市化しても恩恵を受けていることをより多くの皆さんの皆さんの気づきにつながるように。
 では、森林の公益的機能とは何か?
 そもそも森林の持つ公益的機能は、その森林の持ち主であるか否かに関わらず、わたしたちの生活に恩恵をもたらしている。
 例えばそれは、
・水源かん養機能
・土砂災害防止機能・土壌保全機能
・地球環境保全機能
・生物多様性保全機能
・快適環境形成機能
・保健・レクリェーション機能
・森林の文化機能
・物質生産機能
が考えられている。(以上、林野庁のホームページより)
 自然豊かな生態系については、森林が豊かである限り保たれていくはずだ。
 近年は、松枯れやナラ枯れそれにツキノワグマなど野生動物の問題は大きな問題となっている。
 もはや決して他人事ではないし、熊問題はただ恐れるだけの問題にとどまらない。
 なぜ、深山に棲んでいるはずの熊が街部まで出没するのか、なぜ冬眠するはずの熊が冬も街中を堂々と歩いているのか。
 これは、決して熊だけの問題でないはずだ。彼らの住処に何が起きているのか関連させて考えていかねばならないだろう。
 一方、里山は昔から子どもが育つ場所であったはずだ。
 つまり、遊園地やゲームセンターなどなかった時代の子どもはどこで遊んだのか。
 それは近くの里山であり野原であり川であったりしたはずだ。
 そこで子どもたちは群れ、仲間との思いやりを育み、たくましく生きる力というものが育ったはずだ。
 実際、里山をフィールドとした子ども向けの自然観察会では、自然を背景に五感を磨く場となっている。
 季節ごとの香りや生き物たちの姿は、多感な子どもたちをよりいっそう感性を磨いてくれる。
 共に歩く子どもたちは、危険を避けるためまた新たな発見を友だち同士でシェアしたり年上の子が年下の子に教える場となっている。
 思いやりの気持ちが育まれているのだ。
 また、多様な生き物とのふれあいは、どんな生き物も生きているという実感を自然に持てるようになっている。
 では、他に里山が活性化できるすべはないだろうか。
 実は、年配の方々とりわけ都会の方々のし好に現れる。
 例えば、山行のツアーは大人気だ。
 主に中高年層だが、たとえ高額なツアー料金がかかったとしても参加してくれる。
 それだけ価値を認めてくれているのだ。
 かくいう私もある旅行会社から湿原めぐりのツアーガイドを依頼されそうだ。
 主に首都圏の客層だという。
 こちらでは身近過ぎて当たり前のように見える里山や湿原であっても遠く離れた都市部の方々がその深い価値を押してくれるのだ。
 つまり、里山は観光資源としても位置づけられることが可能なのだ。
 すべてお金儲けの場所になることは避けたいが、観光や経済的な機能も持ち合わせているといっても良いだろう。
 活動によって、都市部と里山を抱える地域との交流人口の増加にも寄与できるものと考える。

 以上、現在的な里山の意義について3つの視点で私見を述べてきた。
 繰り返しになるが、以上のことをまとめると以下のようになる。
 ①多面的な森林機能を持つ里山
 ②子どもたちの健全育成の場としての里山
 ③地域おこし・観光資源としての里山
 最終的には、これらを追求していくことで、ふるさとの良さを見直す郷土愛につながるものだと確信している。 
 5月には、初めての試みとして、「守りたい秋田の里地里山50」助成事業による「あきた里山サミット」を開催したいと考えている。
 私にしては、自分一人で頑張ろうとせず、実行委員会を結成し、開催にこぎつけたいと考えている。
 いわば地域住民に対する一つの提案である。
 微力ではあるが、今度はこちらからムーブメントを起こしたい。
 ご協力のほどよろしくお願いいたします。


今年度の「釣りキチ三平の里自然体験塾」が終了しました

2025-02-18 15:00:51 | 日記

先日の第10回釣りキチ三平の里自然体験塾で今年度の体験塾の活動が終了した。
今年度は、10回の活動で、親子の参加者が延べ人数にして215人。
4年目にして初めて参加者数が200名を超えた。
この体験塾を始めたのは、ちょうど4年前。
おりしもコロナ禍に入ったまさにその時期であった。
もともとは、横手市の社会教育施設である「釣りキチ三平の里体験学習館」は旧小学校を食事も宿泊もできる施設にリニューアルしたものである。
当初は、小中学校の部活動や一般グループの合宿や活動に使われていたが、冬は子どもを対象にスキー合宿、同じく夏はキャンプも行われていた。
せっかくの立派な施設でこれは使わない手はないなと考え、早速体験塾を提案した。
この場所や周辺のフィールドをベースにして年に何回か子どもを対象にした自然体験活動ができないかと。
これを聞いた担当者も乗り気で早速1年目の活動がスタートした。
その年の3月に市長や教育長それにたくさんのメディアを前にして担当者と共に記者会見に臨んだことが懐かしく思い出される。
さて、1年目は秋田県内の小中学生を対象にした。
参加者の中には、不安で子どもに付いてくる親御さんもいた。
記念すべき1回目のこと。
忘れられない子どもの声があった。
活動の終盤、「つまんない!こんなの来るんじゃなかった!」と大きな声で叫んだのだ。
その時は、子どもの言葉に反応するわけではないが、「体験塾など始めなければ良かった!」とさえ思った。
それでも時間が経つにつれ、ただ生き物を観察しているだけではだめだ、もっと活動に遊び心というかワクワク感が生まれるものでなければならないと思えるようになった。
まさに私の未熟さから生まれた子どもの言葉だったのだろう。
それからというもの、夏の登山は別にして、とにかく子どもが活動できる場面を増やすようにした。
2年目からは、親子でも子どもだけでもどちらでも参加できるようにした。
ただし、子どもだけといっても3年生以上の子どもである。
それでもたいがいは、親子で参加した。
その中で親も子どもと一緒に楽しんでいる様子が見られた。
フィールドは、子どもがワクワクできる場所を選ぶようにした。
例えば、川をフィールドにしたのは2年目からである。
川に入れば必然的に自分の身は自分で守らねばならない。
それでいながら、川独特のにおいそれにぬめぬめ感は入ったものでなければわからない。
その中で今では珍しくなったカジカやカジカガエルに会えるのだからまさに五感をたっぷり使った活動になる。
同じく2年目の第1回目からは、まだ雪が消えたばかりの釣り堀池に入ってアカハライモリ(以下イモリと記述)探しをした。
池の泥をかきまわしては、イモリが現れるのだからワクワク感が違う。
生き物好き、嫌いに関わらず、本来、子どもは探すことには夢中になれるのだろう。
他にも人気のフィールドは、三平の里から数キロ入ったところにある滝だ。
小さな滝だが、滝つぼには貴重な生き物がいる。
キタオウシュウサンショウウオ(以下サンショウウオと記述)とサワガニである。
サンショウウオは清流でなければすめない生き物だ。
サワガニは、子どもたちはまず手に触れたことがないだろう。
恐る恐るサワガニを手に乗せては、その感触を確かめることができる。
大人になればこの感動は忘れがちだが、おそらく生まれて初めてサワガニを手に乗せたその感触は決して忘れることができないはずだ。
他には、バスで体験学習館から1時間ほど移動したところにある栗駒野鳥の森も貴重な体験ができる。
それは例えば「つり橋を渡る体験」だ。
今でこそ珍しくなったつり橋た。
まさか歩くたびにゆらゆら揺れる橋などこれまた生まれて初めての体験のはずだ。
今年度も最年少だった1年生の子が歩いたが、緊張しながらも必死になって歩いていた姿が忘れられない。
同時に、そのすぐ後ろで我が子を見守る父親の真剣なまなざしも忘れられない。
このように、体験型だと堂々と言えるように、とにかく解説型ではなく五感を活用したまさにワクワクできる体験を中心において4年間進めてきた。

体験塾では、3年目から大人向けのプログラムも準備した。
滝をめぐってからソバ打ちをしたり今年度はそれに加え、りんごの山を歩いてからりんご染め体験をしたりした。

4年間を改めて振り返った。
1年目は10回の体験塾で126人。
2年目は10回の体験塾で138人。
3年目は9回(大雨のため1回中止)の体験塾で137人。
そして、4年目が215人で4年間39回の活動で、延べ616人の親子が参加してくれた。

1年目の1回目に出会った子が発した言葉は確かに当時は大変なショックだった。
だが、今思えば、「もっと楽しい体験塾にしてよ!」という率直なメッセージだったに違いない。
彼の言葉があったからこそ今の活動につながっているかもしれないのだ。
その意味では、彼にもし会えたら伝えたい。
「君が正直に言ってくれたおかげで今の活動があるよ。」
と。むしろ彼に感謝しなければならないのだ。

また、来年度に進もう。


冬の自然観察の楽しみといえば

2025-01-17 16:44:02 | 日記

秋田県内で暮らす山大好き自然大好きな方と話をしていてしばしば話題になることがある。
冬になるので、山はお休み!
冬は何もないし、花も咲かないし・・・・
もったいない話だと思うようになった。
まして、私の住む地域の里山は、12月から3月までおよそ1年の3分の1は雪に覆われる。
これでは、1年の3分の1は全く山に行かないことになる(雪が多い地域では、1年の半分かもしれない)。
確かに、普通に考えたらたとえ近くの里山でも冬は行こうとは思わないかもしれない。
かくいう私も以前はそうだった。
冬は、室内で水泳やジョギングなどでトレーニング、野外ではせいぜいスキーだった。
それがどうだろう。
100パーセント安全だという保証はないが、安全や装備に気を付ける、無理な所にはいかないという点を守るなら、冬は冬での楽しみがあることを知るようになった。

では楽しみとは何か?
あえて3つを挙げる。
①冬ならではの景観
②冬芽観察
③アニマルトラッキング
である。
冬ならではの景観の楽しみには理由がある。
それは、広葉樹の葉がすっかり落ち、その間から見える風景である。
例えば、葉が生い茂る季節は、遠くの景色にしろ近くの植物にしろ見えにくい。
それが葉を落とせば別の景色が広がる。
驚くほどの変化である。
冬芽については、樹木が大好きな知り合いとこんな話をしたことがある。
「冬になれば葉を落とすし、花も咲かない。何もないな。」
私はすぐに反応した。
「冬芽の観察がありますよ。」
知り合いは一瞬驚いた表情を見せた。
確かに冬芽は難しいし、花と比べたら地味な姿だ。
それでもわかってくれば多様な世界に見える。
例えば、コブシやタムシバなどのモクレン科。
花芽は大きく毛に覆われている。
触ってみるとふさふさで触り心地がよい。
まるでコートのようだ。
実際、春が近づくにつれてまるでコートを脱ぐように毛が見えなくなり中からは葉や花が現れる。
さらに、葉痕といって葉が枯れ落ちた後の姿がおもしろい。
種の違いによっては、まるで動物か人の顔に見えてくるから不思議だ。
葉痕をモチーフとした絵本も出ているので小さな子どもがいる場合は、併せて観察するときっと興味を持つに違いない。
例えば、オニグルミの葉痕は、猿か羊の顔のように見えてくるのでおもしろい。
また、エゴノキやハクウンボクのように冬芽が主芽だけでなく予備芽を持っているものがある。
これは、主芽に何かあった場合、例えば動物などに食べられた場合に予備芽が生きる。
まるで、保険でもかけているかのごとく用意周到なので感心してしまう。
さらに、しばしば子どもたちにも触れてもらうトチノキの冬芽。
べたつくというほどのねばねば感がある。
詳しいことは、わかっていないようだが、昆虫たちの食害から守るためのねばねばの樹脂であるとか寒さから守るためだと考えられている。
葉をたっぷり付けているときにはわかりにくいのだが、冬場は1年間で枝がどれだけ伸びたかがわかる時期でもある。
すなわち、枝の年度の境目となる芽鱗が落ちた痕、芽鱗痕を境目にして枝先側がこの1年間で伸びた枝、また、幹側が前の1年間で伸びた部分と判断できる。

哺乳類や野鳥などのフィールドでのサインを探し、動物の行動を探ろうとするアニマルトラッキングができるのも冬の自然観察の楽しみだ。
雪上では、足跡や糞が残る。
また、足跡の動きからどちらの方向に向かったのか急いでいたのかなどの行動も読み取れる。
最近は、イノシシが秋田にも入り、雪上を歩く姿も見られるようになった。
イノシシかどうかの足跡は、蹄という点では同じだが、副蹄というものが発達しておりそれは雪上の足跡にも残る。
枝や幹を見れば、食痕やこすり痕がわかる。
ノウサギは、鋭利な刃物で切ったような食痕を残すし、ニホンリスは松ぼっくりをまるでエビフライのような形で残す。
ニホンジカやニホンカモシカは、上あごに前歯がない。
そのため、草や小枝を食いちぎった跡は、植物の一部に繊維が残る。
ウサギ類と比べて雑な食べ方という印象を受ける。
こすり痕は、ニホンジカやニホンカモシカの角研ぎ跡はわかりやすい。
ニホンカモシカは角が高い位置にないので、比較的低い位置に見られる。
糞に至っては、枝先などでかたまりを寄せていくとどんな食べ物を食べていたかが予想できる。
これは、まさに便学ならぬ勉学だ。

最後は、おまけの話だ。
やはり低山とはいえ、冬山を歩けばたっぷり汗をかく。
その後の温泉は格別だ。
できればアルコールもといきたいところだが、こちらは自宅に帰ってからにしよう。