
今年の「払田の柵跡の歩き方」のイベントが終了した。
参加者数はキャンセルもあって13名と必ずしも多くはなかったが、おそらく参加された方々は満足して帰られたのではないかと勝手に考えている。
それだけ他にはできそうもない企画だからだ。
そもそもフィールドは、秋田県で最初に認定された国の史跡である。
およそ1200年も前の史跡、しかもまだ解明されていないところがあり、現在も発掘され続けているというものだ。
ロマンの多いフィールドだ。
このフィールドで、実際現場で今も発掘作業に当たられている専門の方々が解説してくれるのだから歴史好きにはたまらない企画だ。
そのような楽しい企画に私も解説者の一人として参加させてもらっている。
年に1度の企画で、コロナ禍で1回は中止となったが、すでに6年目を迎えた。
当初は、払田の柵跡のことを知らない上、私の自然に対する知識が足りないことから、下見をしても解説できるだろうかという不安だらけであった。
ただ、フィールドには、エゴノキがあり、企画実施の頃には、実がなり、シャボン玉のような泡を創り出すことはできそうだということがわかった。
また、カタバミの葉があり、その葉で汚れた10円玉を磨くとピカピカになることも知っていた。
少なくともこの2つの実験を行うことにより、参加する子どもたちは喜んでくれるだろうと考えた。
ただ、毎年この2つの実験を重ねただけで、あとはフィールドにある植物名を知らせるだけでは限界がありそうだ。
そこで考えた。
思いついたことは、タイトルが「払田の柵跡の歩き方」に変わった3年前のことだ。
払田の柵跡はおよそ1200年前の政庁跡だ。
しかもそれは、広い平地にぽつんと残る標高数十メートルの長森という場所にある。
おそらく1200年前も政庁を囲む長森には、多くの樹木があったに違いない。
となれば、その当時から日本国内そしてこの地にもあって今も見られる樹木について話すことができるのではないかと考えた。
ただ、1200年も前にあっただろう植物はどうやってわかるのか?
ふと思いついたのは、万葉集だ。
1300年ほど前の奈良時代から作られている歌集だ
万葉集は現存する我が国最古の歌集で全20巻から成り約4500首の歌が詠まれている。
その内3分の1の1500首が何らかの植物を詠み、花名が判明しているものは166種ほど。人気植物は重複して詠まれている。
例えば、木の花で取り上げられていて、多いのは次の順だ。
1位.ハギ141首、2位.ウメ118首、3位.マツ79首、4位.タチバナ68首、5位.サクラ50首。
また、草の花は次の通りだ。
1位.ナデシコ26首、2位.オミナエシ14首、3位.ユリ10首、4位.カキツバタ7首、
どうやら、払田の柵跡には、これらのほとんどの植物がありそうだ。
これなら、払田の柵があった当時から存在していた樹木や草花など自然解説につなげるのではないかと考えた。
万葉集を通して払田の柵当時の植物を解説するなどとはなんてロマンのある話ではないかと自分に酔ってみたりもした。
では、実際どのようにうたわれていたのか?
例えば、クズを取り上げた歌がある。
水茎(みずくき)の、岡の葛葉(くずは)を、吹きかへし、面(おも)知る子らが、見えぬころかも
これは、岡の葛の葉を吹き返したように、はっきりと顔を知っている娘が、この頃は姿を見せてくれないという意味の歌である。
「水茎(みずくき)の」は「岡」を導く枕詞だという。
確かに、葛の葉の裏は、表よりは比較的白く見える。
これは、葛の葉を風が吹いて裏返す様子を詠み込んでいる。
愛しい娘の顔とクズの裏の葉を結び付けているという発想もさることながら、当時の人々の観察眼には驚いてしまう。
他にこんな歌がある。
我が背子が 捧(ささ)げて持てる ほほがしは あたかも似るか 青き蓋(きぬがさ)
意味は、あなたさまが持っていらっしゃるほほがしは、まるで青い蓋(きぬがさ)のようですねということだ。
天平勝宝5年(西暦751年)4月12日に詠まれた歌という。
この歌で「我が背子(せこ)」と詠んでいるのは大伴家持(おおとものやかもち)のことだという。
「蓋(きぬがさ)」は織物の傘で、高貴な人に使われたようだ。
ホオの葉をこのように傘代わりにつかわれていたとは驚きだが、それだけ生活に密着したものだったのだろう。
もう一首紹介したい。
高円(たかまと)の 野辺(のへ)の容花(かほばな) 面影(おもかげ)に 見えつつ妹(いも)は 忘れかねつも
これは、大伴家持がうたったもので、容花(かほばな) とはヒルガオのことである。
意味は、高円(たかまと)の野辺の容花(かほばな)のような、あなたの面影が忘れられないという恋の歌である。
これもまたヒルガオの姿を見ては、恋する人の顔を浮かべるというものだ。
三首だけ紹介したが、いかに万葉時代の人々は自然と近い距離にあったか自然と共にあったのかがよくわかる。
かくして、今年の「払田の柵跡の歩き方」が終了した。
手前みその話かもしれないが、本当に誇れる歴史と自然のコラボした企画が今年もできたと思う。
主催者である秋田県埋蔵文化財センターによると来年も継続してくれる予定だという。
来年もまた、今度はさらに企画の魅力を増すことができるように精進していきたい。
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