goo blog サービス終了のお知らせ 

ヒロちゃんの独り言

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

カンボジアで授業をして考えたこと

2024-09-20 16:22:26 | 日記

これまでにも海外の小学校で理科実験にチャレンジしてきた。
一つは、アメリカのサンディエゴでおよそ20年前。
二つは、モンゴルの村の小学校で5年前のことだ。
内容は、いずれも空飛ぶ種子の実験で種子模型を作った。
どちらも日本の子ども同様に反応が良く、楽しかった。
そして、今回はカンボジアの村の小学校で。
せっかくだから、空飛ぶ種子だけでなく様々な理科実験をしようと考えた。
流れも考えた。
最初のあいさつは、動物のパペットから。
続いて、空気砲。
残念ながら、スモークマシーンは現地に持っていけなかったため、また線香の火もうまくいかなかったため、空気そのものを発射し、子どもたちに体験してもらうことだったが、空気を受けた子どもたちの笑顔が印象的だった。
それから、こちらから一方的な演示実験だけに終わらないよう個別の実験にも挑む。
それは、定規を使った反応時間の測定であったり鳴くニワトリ工作であったりする。
もちろん、空飛ぶ種子模型も作った。
他にもアルコールロケットを飛ばして見せたり輪になってブザーを鳴らしたりする実験にもチャレンジした。
これらの内容で、90分。
ブザーは野外に出てやってみたので、およそ100分の実験授業となった。
その間の子どもたちの目の輝きや驚きの声が忘れられない。
終わった後、通訳を通して感想を聞いてみた。
子どもたちからは、アルコールロケットが人気があったようだ。
また、担任の先生からは、手をつないてブザーがなったことに驚いていたようだ。
そして、今回同行した10代から20代の若者やNPO法人の方にも協力してもらいながら試行したので、多くの感想を聞くことができた。
現地で、学校教育や学校建設などの他医療支援に当たっておられる、授業当日も協力してくれたNPO法人の方が感想を寄せてくれた。一部紹介する。

 ヒロちゃん先生の授業自体は、プログラムもしっかりと作成されており、事前にシミュレーションがされているのが伝わったので私としてもとてもやりやすかったです。今後もヒロちゃん先生の授業で、日本を含め世界の子どもたちの笑顔が広がることを祈っています。

 また、このツアーに参加し、当日授業を見学した高校生からも感想をいただいた。

 高校3年生になり文理選択で文系を選んでおり、科学の授業を目の前で見ることはとても久しぶりのことだったので、授業が始まる前からワクワクが止まりませんでした。授業内容は、科学が苦手な僕でもとても親しみやすい内容だったので、楽しく授業に入っていけました。(中略)授業を終えてもこの興奮が冷めることなく科学への興味が沸いてくる一方なので、生活の中に科学が結びついていることも感じ、これからも興味を持って勉強をしていきたいと思いました。ヒロちゃん先生の授業はもちろん現地の子どもたちにとってもかけがえのないものになったと思いますが、僕のような科学等に苦手意識を持っていた日本の教育を受けた学生にとっても良い経験になりました。

 科学は、万国共通の魅力を持っている。
 それが言語の壁を越えていくらかでも伝わったのだろう。
 なぜなら、授業で子どもたちの表情が輝き続けていたからだ。

 授業を終えた一人の子が感想を述べながら、「私は将来お医者さんになりたい。だから科学をしっかり勉強したい。」と話してくれた。
 するともう一人の男の子もやはり医師になりたいと答えていた。
 おそらく現地での医療の現実は、ままならないことが多いのだろう。
  だからこそ勉強して医師になりたいという気持ちが沸いているのではないだろうか。
 ただ、この国はまだまだ発展途上だ。
 長い内戦によって疲弊した経済や国土。
 地雷はほとんど除去したというが、まだ国境付近には処理されていないものがあるという。
 幸い、志を持った少なからぬ日本の若者が、カンボジアで医療活動を始め、教育支援に当たっている。
 私は、現地でこうした若者を見て、頼もしくもありうれしくなった。
 何が彼らを母国の日本を離れてまでも、生活環境がまだまだ厳しいカンボジアでの支援に当たらせたのか?
 ただ、単にやりたい気持ちがあるからでは済まないだろう。
 
  かの宮沢賢治は、次のように述べている。

  「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

彼らは、カンボジアという国を通して、日本のみならず世界を見ているのではないだろうか。
ふと自分の胸に手を当ててみた。
もう少し自分が若かったら・・・・
とどうしようもないことを考えていた。
ただ、今の私でもできることはある。
元気なうちにチャレンジしてみたいと思う。
そう考えたら、ますます元気が湧いてきた。


なぜ、カンボジアの村の子どもは、きらきら目が輝いていたのか?

2024-09-04 06:02:41 | 日記

先日、カンボジアの村の2つの小学校を訪れた。
いずれもカンボジア第2の都市「シェムリアップ」から1時間ほど車を走らせたところにある。
ただ、小学校といってもいずれも建設中の校舎であり教室は犬でもニワトリでも入れるような建物である。
最初の学校を訪れた。
休み時間のようだ。
塀越しに子どもたちが顔をのぞかせている。
皆めがきらきら輝き、笑顔だ。
思わず今回同行した女子大生が叫ぶ。
「かわいい!」
初めて対面した異国の子どもたちだ。
女子大生の言葉を借りなくても私も言葉にこそ出なかったが、あまりのたくさんの自然な姿の笑顔に囲まれ、涙が出そうになった。
この感動はどこから出るのだろう?

文部科学省によると日本の子どもは、「ウエルビーイング」が低いという。
「ウエルビーイング」とは、最近、文部科学省が使っている言葉で、
「身体的・精神的・社会的に良い状態であること、短期的な目の前の幸福のみならず生きがいとか人生の意義のような将来にわたる持続的な幸福の概念」
だという。
他にも「自己有用感とか成長意欲、人生に意義や目的を感じている、は低い。全体としてあなたは自分の生活に満足しているかの質問に対して日本は最下位の回答になっている。」という。(以上、全国連合退職校長会会報第232号より)
今回、通訳してくれたカンボジアの方と話した。
現地で、3人の子育てをしている現役の父親だ。
日本の子どもが自殺したりひきこもったりしているということに驚いていた。
カンボジアでは考えられないからだ。
とはいえ、通学率にかんしていえば、カンボジアの小学生は9割を超えるが、中学生にいたっては5割ほどである。
これは、中学生になると仕事をするためだ。

訪れた村の2つの小学校はどちらも2部制だった。
つまり、11時まで勉強した子どもは自宅に帰り、午後1時からは別の子どもたちが学校にやってくる。
肥満児やメガネを欠けている子はいない(もしかすると視力の弱い子はいるかもしれないが)。
皆、動きが敏捷で走るのも速い。
同行した元高校球児二人の大学生もその敏捷さに驚いていた。
ところで、学校にいない半日の時間は、家の仕事であったり遊びであったりするという。
現に、世界遺産であるアンコールワットを訪れた時、歩いている途中、一人の小学生の女の子が何やら片言の日本語でおみやげを売りにきた。
小さな船で湖上クルージングしたときには、船主の子どもだろうか、私たち日本人一人一人に近づき、肩もみをしてきた。
チップをもらうためだ。
一方では、船が岸に近づけばロープを岸に投げてはつないでいた。
聞けば小学4年生だという。
クルージングの途中寄った湖上に浮かぶ店では、小学生と思しき男の子が、欧米人を相手に小さなワニやヘビを手に持ち、見せている。

2つ目の小学校を訪れ、村の一軒の住宅を訪れた。
在校生のお宅だ。
住宅は、学校から歩いて10分ほどのところにあった。
そこまでは、授業が終わったばかりのたくさんの子どもたちが一斉に付いてきた。
同行したメンバーは皆10代から20代と若くすぐに子どもと打ち解け手をつないだり肩車したりしながら住宅まで歩く。
住宅に着いた。
住宅と言っても暑さを避けるため高床式の小さな家だ。
ここに家族数名が暮らしている。
このお宅には、52歳の祖母がいた。
通訳を通して聴いてみた。
「生活で困っていることは何か?」
病気になった時とお金がないことだと話す。
村には電気こそ通ったが、水道設備はない。
井戸水だけだ。
テレビも冷蔵庫や洗濯機もない。
外気温は、1年中ほぼ30度を超す。
この日も35度。
どんな病気にかかるともわからない。
万が一病気になれば、街の病院までは30キロほど。
交通手段とて車はなくバイクだけだ。
カンボジアは必ずしも医療体制が整っているわけではない。
場合によっては、しっかりした医療施設となるとお隣の国タイまで行かなければならないという。
貧困の問題も深刻だ。
買い物をするにも街まで遠い。
自宅で米や野菜を作らねばならない。
いわば自給自足の生活だ。
働く場所もない。
こうした環境の中で子どもは育っている。
訪問している間にもたくさんの子どもたちがついてきた。
そろそろ帰る時間だ。
住宅の近くまで私たちを載せるマイクロバスが来ていた。
同行者らと共にバスに乗り込んだ。
バスが動き始めた。
するとどうだろう。
子どもたちが次々とバスを追いかけてくるではないか。
バスが走る道路は舗装されていない。
その中を子どもたちが走って追いかけてくる。
中にははだしの子もいる。
自転車に乗った子は後ろの席に他の子どもを乗せ、手を振ってくる。
出会った時から別れる時まで子どもたちは目がきらきら輝いている。
もう二度と会えない子どもたちだろう、それだけにいっそう別れがつらい。
いつまでも追いかけてくる子どもたちは、その走る姿と同様にまっすぐな視線だ。
ただ、いつまでも追いかけ手を振る子どもたちに幸せになってくれと願わずにはいられなかった。
とうとう村の子どもたちと離れてしまった。
それでも私の脳裏からは、きらきらした子どもたちの目の輝きがいつまでも離れなかった。