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ヒロちゃんの独り言

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「あきた里山サミット」を初開催します

2025-04-30 05:46:00 | 日記

 すでに周知済みだが、5月31日(土)の午後の時間帯に初めてとなる「あきた里山サミット」を開催することとなった。
 原案は、昨年末から考えていたのだが、20名となる実行委員会を結成し、様々な角度からのご意見をいただくことによって内容も膨らんできた。
 これまでにも述べてきたのだが、現在、私たちにとって身近な里山を考える絶好の機会になることは間違いないと考える。
 本来、里山は私たちのエネルギーを供給してくれていたが、戦後、生活スタイルが大きく変化することによって、ともすれば忘れさられる存在であった。
 せいぜい、林業にかかわる方々や山歩き愛好者や山菜を取る方にとってかかわりのある存在ではなかったか。
 それが近年、松枯れやナラ枯れに伴う里山風景の急変のみならず、ツキノワグマなどの街への出没それになんといっても相次ぐ山林火災は、いったい身近な里山はどうなっているのかという危惧と共に皮肉にもどんなにも今まで関心を持たなかった人々の眼にも里山を見つめざるを得なくなってきた。
 私たちのライフスタイルから離れれば離れるほどいやというほど里山に目を向けざるを得なくなってきたと言えるだろう。

 その里山を今回の「あきた里山サミット」(以下サミットと記述)で3つの視点から考えていきたい。
 一つは、多面的公益的な機能を持つ森林を抱える里山である。
 近年の気候変動に伴う大雨や洪水は本来、森林がいくらかでも防止してくれた。
 もともとは、保水機能を持つ森林によって私たちの命のもととなる水を供給してくれた。                           また、炭素固定機能を持つ森林は、近年の温暖化の原因と考えられる二酸化炭素の増加を少しでも和らいでくれるものと期待されている。
 その森林が今はどうなっているのか?
 それを実際現場で森林管理に向き合っているリーダーに語ってもらうことになる。
 基調講演でもシンポジウムでもその現状と課題に迫っていきたい。
 二つ目は、山歩きや山菜取りを楽しむといった里山の魅力についてより多くの方に広げていきたい。
 最近、山歩きをしましょう!と呼び掛けるとまず出てくる言葉は「熊(ツキノワグマ)がいませんか?」である。
 その度に私は、「確かに熊はいますよ。でもそんなことを心配していたら私の体がいくつあっても足りない。」と半分冗談とも思えるような返事をしている。
 それだけ、準備と共に慎重に行動しているということだ。
 もっとも強調しているのは、一人ではなくグループなどの複数人数で歩きましょうということだ。
 今回は、いつも複数で歩いている横手山岳協会の会長さんにお願いした。
 みんなで歩くことが、どれだけ安心で楽しいかを伝えてくれるはずだ。 
 さらには、毎年開催されている「山の写真展」に出展されている写真パネルを会場に展示するとともにシンポジウムの際にもスクリーンに映し出していただく。
 普段、山歩きや山菜取りにも縁のない方にも魅力が伝わるはずだ。
 三つ目は、ある意味、今回の目玉でもあるのだが、「里山で子どもは育つ」という視点である。
 もしかすると多くの方には、ピンとこない視点かもしれない。
 しかし、それをシンポジストの高校1年生が彼自身の言葉で証明してくれる。
 なぜなら、彼自身が小学校3年生以来、8年間自然観察会という観察会、自然に関する講座講演に何百日も通い続けている彼自身からのメッセージだからだ。
 私の創り出した言葉ではないが、まさに「里山は子育て道場」ということが理解されるはずだ。
 だからこそ、この視点に関して強く言うならば、子育て世代、現在子育て中という方々に多く参加してほしいのだ。
 そのため、これもまた実行委員会からの提案だったのだが、キッズルーム(託児所)を会場のすぐ隣に設けることにした。
 もちろん、そこには保育士さんが交代で常駐し、絵本も準備されている。
 片時も子どもを離せないという方でも安心して預けられる。
 以上、3つの視点から里山の魅力と課題について迫っていきたい。

 さらに忘れられないもう一つの楽しみがある。
 それは、オープニングに秋田市で音楽スタジオを開いている声楽家・茂木美竹さんの歌が2曲聞けるということだ。
 それも「故郷」と「夏は来ぬ」という里山に関連した歌だ。
 さらに、驚いたことだが、今回歌を披露してくれる茂木さんのお子さんが、同じく今回基調講演される佐藤清太郎さんの森で育ったということだ。
 偶然とはいえ、大人になったお子さんがまさに里山で育ったという証でもある。
 総合司会は、横手かまくらFMのパーソナリティのゆこリン♪こと柴田優子さん。
 こう書いていくと本当に充実した陣容であると言える。

 5月31日といえば、昨年案を練っていたころは、遠い先のことだと考えていた。
 それがいよいよ開催まで1か月となった。
 当日は、これもまた実行委員の提案によるものだが、来場者にはもれなく花の種をプレゼントする予定だ。
 来場者目標は、100名。
 当日は会場にたくさんの笑顔の花を咲かせたい。


第1回釣りキチ三平の里自然体験塾に60名の親子が参加

2025-04-21 14:33:18 | 日記

釣りキチ三平の里自然体験塾も5年目に入った。
大雨による1回の中止を除いて、年10回実施してきたので今回がちょうど40回目となる。
続けて良かったなと思うことがある。
それは例えば、続けることによって噂が広がり初めて参加してくれる親子がいることだ。
もちろん、リピーターが増えていくのはうれしいのだが、初めて参加するということは、勇気がいることであり、それを乗り越えて参加してくれるからだ。
様々な事情があってもあえてこの体験塾を選んでくれたのだからこれほどうれしいことはない。
それだけに関わるこちら側にしても力が入る。
やってやろうと思う。
どう工夫したら喜んでくれるか頭を悩ますこともあるが、参加してくれる親子の喜ぶ顔を想像するとワクワク感がたまらない。
悩んでも他にもスタッフがいる。
自分一人で悩む必要はない。
皆、上手にサポートしてくれる。
あとは、自然が思わぬ出会いを準備してくれる。
時には、驚くような動物が現れたり不思議な自然現象が待っていたりする。
毎回違う姿を見せてくれるものだからそのドキドキ感もたまらない。

今回も親子20名の募集の予定だった。
それが日が近づくにつれ、申込者が増えていった。
ある日、体験学習館から連絡が入った。
聞けば参加者数が50名に達したという。
抽選にするかどうかの相談だった。
初めての参加者が多いという。
もし、勇気をもって参加申し込みをしたのに抽選で外れたとしたらどうだろう。
もう二度と申し込まないかもしれない。
まして、今回は定員が決まっているバスに乗るわけでもない。
体験学習館から自然観察しながら広いフィールドを歩いていくのだ。
もうこれ以上の人数は増えないだろう、せっかくだから受け入れましょうと体験学習館にはお願いした。
それがどうだろう、ついに申込者が60名を超えたという。
通常、ガイドは2名なのだが、ガイドも増やしたいとお願いした。
幸い見守り役も含め4名のガイドが決まった。
体験学習館のスタッフ2名を入れて、6名のメンバーがガイドとなる。
子どもだけの申し込みもいるが、ほとんどは親子なのでそれは親御さんの力を借りながら見守ってもらうしかない。

当日を迎えた。
申込者が一時70名に達したようだが、キャンセルもあってちょうど60名になった。
今までにない数になっただけに、開会式となる広い教室がいっぱいとなった。
期待感あふれる親子のまなざしがまぶしい。
心配していた天気も味方してくれた。
過去の例からいっても天気が悪ければそれだけでキャンセルが続出する。
いつも思うのだ。
より多くの親子に自然体験をさせたい、自然の中で遊ぶことの楽しさを伝えたいと。
今回は確かに多人数なのだが、その願いがかなえられると思うととにかくうれしかった。
ゆっくり歩きながら、前日急きょ100均で手に入れたスケッチブックを広げる。
それには、例えば「ばっけにはおすとめすがある」と書いている上、雄株と雌株が並んだ写真を貼り付けているという簡単なものだ。
これなら多人数でも言わんとすることが少しでも伝わるはずだ。
話には、ハンディマイクを通す。
全体に話すときには、一か所に集まってから話す。
多人数になればなるほど注意しなかればならないことは増えてくる。

天下森スキー場の駐車場から、雪山を乗り越えてふれあい農園をめざす。
ぐるりと農園を取り囲むように上っては風景を見たりユキツバキの葉を太陽にかざしたりする。
オオバクロモジを見つけたら枝を少しだけもらい、香りを嗅いでもらう。
ホオノキの冬芽は、一つだけもらい、ゆっくり芽鱗をはずしていく。
やがて葉になるもとや時には花のもとになるものが見えることがあるが、その芽鱗を外していく過程で香りがしてくる。
それはまるでバニラの香りのようでありこれもまた喜ばれる。
下り始めたところで、雪の残る斜面があった。
一人のスタッフが準備よく肥料袋を取り出した。
子どもたちは大喜びである。
その肥料袋をそり代わりにして尻滑りができるからだ。
あっという間に天然のそり場ができる。
今度は下りたところにミズバショウが咲き始めた場所がある。
ここで、リピーターでもある一人の子どもがミズバショウとツキノワグマとの関係について話してくれる。
いよいよ釣り堀池に到着。
今の時期は、魚は入れていないが、過去4年間でアカハライモリが泥水に隠れていることを知っていたので、この場所でイモリ探しをしてもらう。
ちょうどこの4月、高校生になった子にイモリの扱い方について説明してもらう。
彼は今やサブガイド以上の解説ができるし、小さな子に対する接し方も上手だ。
彼の姿を見るたび、しみじみ自然体験活動を続けてきて良かったと思う。
一番多く参加してきた彼が驚くほどの人間的成長をしているからだ。
今回の参加者の最年少は1歳のおむつをした男の子である。
なんと母親と一緒にはだしになって釣り堀池に入っていくではないか。
親子ともども皆イモリ探しに夢中だ。
あっという間にお昼が近づいた。
泥をかぶった子もいたが、皆きらきら良い表情だ。
自己満足かもしれないが、今回もまた親子が本当に忘れらない体験ができたなと思う。
きっと家庭に帰っても親子の話題になるのだろうと思えばそれを想像するだけで楽しいのだ。
これほどの楽しさや喜びを与えてくれるのは、もちろんスタッフの準備があることを忘れてはならないが、何よりも親子がきらきら輝く表情を見せてくれるからだ。
今回もまた「生きていて良かった」と思える時間でもあった。


「ソメイヨシノ」だけが桜とは限らない

2025-04-13 06:01:18 | 日記

全国各地で桜の便りが聞かれる頃となった。
すでに秋田でも県内一早く桜の花が見られるにかほ市の勢至公園でも9日に開花したという。
と何気なく桜を話題にしたが、基本種の10ないし、11種を基に変種を合わせると100種以上あるといわれている桜の1種「ソメイヨシノ」のことを指している。
マイフィールドである真人山でも桜の自生種は、植栽種の「ソメイヨシノ」をのぞいて「オオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)」「オクチョウジザクラ」「カスミザクラ」「ウワミズザクラ」と少なくとも4種はある。
では、なぜ、桜の代名詞が「ソメイヨシノ」なのか?
そもそも「ソメイヨシノ」は、江戸時代終わりにエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑して生まれた桜の中から特定の1本を選んで接ぎ木で増やしていったものだといわれる。
つまり「ソメイヨシノ」はクローンである。
そのため、ある時期が来れば一斉に開花し、ある時期が来れば一斉に落花する。
しかも花が大き目で花が咲いている間は、葉が開かない。
しかも1本の木に多くの花が咲く。
それだけにいっそう目立つのである。
いわばこの時期の「花」ならぬ「華」なのだ。
にも関わらず、先述したように「ソメイヨシノ」 が生まれたのは、江戸時代の終わりというから生まれでまだ100数十年。
いわば桜の品種の中では、新参者と言ってよいかもしれない、
では、江戸時代の終わりより前には、花見という習慣は人々の中になかったのか?
もちろん、あったはずである。
それは、江戸時代から前の時代のドラマを見てもわかる。
秀吉も花見を好んだといわれるが、この時代「ソメイヨシノ」はまだ生まれていない。
当時は、おそらく「ヤマザクラ」という種をあがめていたはずだ。
ちなみに、秋田には自生の「ヤマザクラ」はまずない。
似たものに「オオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)」がある。
「オオヤマザクラ」は、「ヤマザクラ」と似ているが別種であり、だが山に咲く桜「山桜」の一種である。
真人山には、菅江真澄が「雪の出羽路」で記述した「義経三貫桜」がある。
義経が兄に追われて、平泉に逃げていく途中、見たという伝説の桜だが、伝説だとしても「ソメイヨシノ」ではなく「オオヤマザクラ」だし、現在も昭和の終わりに植栽された「オオヤマザクラ」がある。
「オオヤマザクラ」に関して言えば本州の日本海側や北海道に生息するやや大き目の花を咲かせ、花弁が紅色の特徴から「ベニヤマザクラ」とも呼ばれている。
他にも北海道に多く生息することから「エゾヤマザクラ」とも。
こちらは、花と葉が同時に展開する。
このことが、また「ソメイヨシノ」の華やかさをいっそう際立たせる。
ところで、真人山に関して言えば、いち早く咲く桜は、これもまた山桜の一種なのだが、「オクチョウジザクラ」である。
「ソメイヨシノ」と比べて樹木は小ぶりで、花の付き方もまばらである。
しかし、まだ雪が残る状態でいち早く咲く桜だけにマルバマンサクに続いての木の花登場で心が踊りだす。
例年、「オクチョウジザクラ」の花が終わりごろになると「ソメイヨシノ」が咲き出す。
今年は、4月10日に開花を確認した。
早い年には、3月下旬に、昨年は4月6日だったから今年は最近の記録では、遅い方かもしれない。
「オクチョウジザクラ」は、「ソメイヨシノ」の引き立て役にも思えてしょうがないのだが、真人山を歩いてこの花を見つけると春の到来を一段と感じざるを得ない。
そして、真人山の懐深く入ったところに咲く「カスミザクラ」。
その名は、遠くから見たようすがまるで「霞(かすみ)」のように見えることに由来する。
それだけ、花弁の色も白い。
これもまた花と葉が同時に展開するのだが、それでも咲き始めのようすは見事なまでの「霞色」といえる。
「ソメイヨシノ」と比べるとやや遅く花が見られる。
とここまで書いて、あと真人山に見られる「ウワミズザクラ」の紹介も忘れたくない。
例年、「ソメイヨシノ」の花が散った後、「桜の季節が終わった」と言われる頃、開花している。
いつもその言葉を聞くたびに「桜はまだ終わっていませんよ。ここにありますよ。」と真人公園で紹介する。
一足遅れの桜でしかも花の形がブラシ状でもしかするとこれが桜かといわれそうだが、これもまたれっきとした桜の仲間である。
こちらは、「ソメイヨシノ」とは真逆で、葉が展開してから花が咲く。
それだけに、いっそう目立たない存在なのかもしれない。

以上のことから「ソメイヨシノ」はやはり春の「華」の存在と言える。
それでも私は「控えめ」に言いたい。
「ソメイヨシノ」だけが桜とは限らない・・・・


早春の花は黄色に染まる?

2025-04-06 06:21:28 | 日記

自宅前の田んぼも3月28日にようやく雪が消えた。
昨年は、3月15日に自宅前が積雪ゼロになっただけに今年の雪消えの遅さを痛感する。
ただ、マイフィールドである真人山は、まだ雪が残っており、標高が300メートルを超える地点では、まだ50センチ近い雪が残る。
そんな中、山には早春の花が咲き出した。
春一番には、マルバマンサクだったし、雪が消えたばかりの場所には、フクジュソウやキクバオウレンなどが見られる。
春が来たなと実感する花々の登場である。
ところで、マルバマンサクやフクジュソウといえば、花の色が黄色で鮮やかだ。
キクバオウレンは白色だが、やや黄色のものも混じる。
アブラチャンの花の色も鮮やかな黄色である。
早春の花の色に着目すると黄色が多い傾向のようだ。
これはなぜか?
残念ながら、この点に着目した論文等は見られないのだが、少なくとも被子植物の花の色は白色が一番多いのだが、早春の季節に関しては黄色が多いようだ。
ただの偶然か?
この点に関しては、植物の繁殖戦略を見るしかないだろう。
ご存じのように、植物は子孫を残すために、受粉を風に頼る場合もあるが、多くは昆虫たちに頼ることが多い。
ただ、3月といえば、とりわけ私の住む地域に関していえば、この時期昆虫たちの動きはまだ活発ではない。
もう少し暖かくなれば、蜂やチョウたちが現れるのだが。
だが、よく見ると小さなハエやアブたちが飛んでいる。
例えば、フクジュソウの花の中心には、ハエのような小さな昆虫がじっと動かず止まっている時もある。
それは、まるでフクジュソウの中で、日向ぼっこをしているかのようだ。
実際、フクジュソウの花の形は、パラボラアンテナ形で光を集めるには、ちょうどよい形をしている。
そして、驚くべきことに花の中心は、花の外の気温よりも数度高いことが確かめられる。
これによって、フクジュソウは、昆虫に受粉を促しているようだ。
また、マルバマンサクの花に関しては開花期間が長い。
例えば、今年の真人山では。3月2日に開花を確認したのだが、4月に入ってもまだ黄色の花が目立つ。
同時に、個体差が目立ち、依然としてまだ開いていないつぼみ状態の花も見られる。
これはなぜか?
これもまた、論文等が見つからず、あくまで私の仮説に過ぎないのだが、この時期昆虫が活動するにはまだ十分な暖かさとはいえず、時に暖かくなるチャンスを待っているからではないか。
長い期間、開花し続けることによって、昆虫たちの活動の機会を待っているのではないかと思えるのだ。
同時に、個体によって、開花時期をずらすことによって、一斉に開花したりすることはなく、あるものには早く受粉活動を始めさせ、あるものには遅れて始めさせるといったことが考えられないだろうか。
ちなみにJSPP(一般社団法人日本植物生理学会)サイエンスアドバイザー・勝見允行氏によると次のような見解がある。
早春にいち早く活動を始める昆虫にはアブやハエの仲間が多いのだが、これらは黄色い色に敏感だといわれている。
昆虫の目には単眼と呼ばれる器官があって、光を受容する。
昆虫が受容出来る光の波長は人に比べて短波長よりで、300nm?650nm (nm: ナノメーター = 10のマイナス9乗メーター)の範囲だといわれている。
だから、紫外線を含む青や紫の短波長の光には昆虫は反応し易く、赤色の様な長波長の光には反応が鈍いというのだ。
人には黄色い花や白い花も昆虫には淡い青色に写るだろうということだ。
もちろん、花に呼び寄せるには、視覚だけでなく香りも必要だ。
マルバマンサクやアブラチャンの花にもわずかながら香りを発しているように思われる。

モノ言わぬ黄色の花々たちにも多くの秘密が隠されているようだ。
それを様々な視点からの観察や昆虫たちとの関わりで見ていけば、見えてくることもある。
それを解き明かしたり想像したりするのも楽しい。
早春の花たちを見ながら、そんなことを考えた。


新年度がスタート

2025-04-01 05:51:33 | 日記

いつものように4時半に起床し、メールを開ける。
お世話になった方からの異動のご挨拶が入っている。
カレンダーをめくる。
まだ色あせていない4月のカレンダーが目にまぶしい。
いよいよ新年度だ。
私にとっては、本当の正月のようなものだ。
それは、長年4月からスタートする仕事に就いてきたというせいかもしれない。
退職して8年目のスタートでもある。
昨年度は、たくさんの方に事業に参加していただいたし、たくさんの賞もいただいた。
いい思いをさせてもらったんだなと強く感じる。
ただ、今日という日は、それらをまずはいったんリセットし、フレッシュな気持ちにならなければ過去を追いかけるばかりの人間になりかねない。
それこそが、私の活動の終わりだと思っている。
問題は、今日からのことだ。
今年度は、5年目に入る「釣りキチ三平の里自然体験塾」をさらに多くの親子に広げ、活動も深化させねばと考えている。
そうでなければマンネリに陥ってしまう。
今年初めて試みる「あきた里山サミット」の準備は現在進行中だ。
思わぬように進まぬ動きに焦りも感じるが、思えば現職時代も一歩間違えばまわりに大きな迷惑をかけるかもしれない事業もやってきた。
それでも仲間を信じ、地域の方々を信じてやってきた。
それしかない。
それが終わると今年度は、大手旅行会社と連携して海外で日本の親子と事業を展開する計画でいる。
まだ、詳細は明らかにできないが、秋田だけではない、より多くの親子と世界を体験してみたいと考えている。
さらに別の旅行会社とは首都圏の方を対象にした秋田の自然を満喫していただくツアーの機会もありそうだ。
いわばもう一歩世界を広げることになる。
とはいえ、日常は地域の子どもであり親子である。
新年度も先述した体験塾の他に「わくわく科学工房」や「森っこ倶楽部」といった仲間と共に事業を展開する予定だし、昨年度以上に保育園や小中学校での活動それに地区交流センターや公民館などの事業が待っていそうだ。
それを考えただけで、ワクワクドキドキ感が止まらない。
まあ、年齢は限りなく古希に近づきつつあるが、活動時はそれほどの疲れを感じないし、終わってからの酒もうまい。
よほどのアクシデントがない限り進めていくことができるだろう。
それほど楽天的な私が自分の強みであると感じている。
いよいよスタートだ。
決して今日述べたことは、「エイプリルフール」であったということのならないように、まずは毎日のやるべきことを明確にして進めていきたい。
どうぞ今年度もよろしくお願いいたします。