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ヒロちゃんの独り言

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「花びらの白色は恋人の色」-野草はいかにして昆虫たちを引き寄せる?

2025-06-29 05:54:14 | 日記

かつて「白い色は恋人の色」という歌があった。
1969年にリリースされたというから、年配の方しかわからないかもしれない。
「花びらの白色は恋人の色」で始まるこの歌。
以前、早春は。黄色の花が多いとこちらのブログで書いたが、梅雨の今はどうだろうか?
近くの里山を見るとノリウツギ、ミズキ、ツルアジサイ、イワガラミといった白色の花が目立つようだ。
さらには、多くの緑色の葉に混じって白色のマタタビの葉も目立つ。
早春の花に集まる虫たちは、アブやハエなど小さな虫たちであった。
では、白い花たちに集まる恋人たち(虫)たちは?
オオハナウドのような大型の花にでもちょこんと飛んでくる虫たちを見るとチョウたちの吸蜜もそうだが、花に乗っても花がつぶれないカミキリムシなどの甲虫が多いのではないだろうか?
もともとは花の色で一番多いのは、白色だし、これからの季節は気温が高くなるにつれて様々な昆虫たちが現れる。
また、マタタビの葉の白色に関しても本当はマタタビにしてみれば花にダイレクトに来てほしいのだろうが、花は下向きで小さくしかも多くの葉に囲まれているので目立ちにくい。
そのため、あえて葉を白くさせることで、この場合はハチの仲間であるようだが、受粉の時期に白色の葉で呼び寄せているようだ。
ちなみに、この白色は葉の表面側に空気が入った状態で水の中でこの白のふくらみを指でつぶすとわずかながら空気の泡が出てくる。
決して葉緑素がなくなったわけではない。
あえて葉に空気を含むことで、乱反射により白く虫たちに目立たせるのだ。

今の時期、ツユクサも見られるようになってきた。、
あでやかな青色は、小さな花だが遠くからでも良く目立つ。
ところでおしべは鮮やかな黄色だ。
これは誰を呼び寄せたいのか?
黄色といえば早春の花ーそう、アブたちであった。
ただ、ツユクサのまわりは夏の花だらけ。
これでは、アブたちにも気づかれないのではないか。
ところが、ツユクサもなかなかのものだ。
あの鮮やかな青色の花びらと黄色のおしべは、補色関係だったのだ。
それでアブたちを呼び寄せる。
ところがツユクサの深謀遠慮はこれで終わらない。
実は、この黄色のおしべがダミーというから驚きだ。
つまりたっぷりの花粉があるように見えるダミーには花粉がない。
そして、アブたちが本当の花粉を探している間にダミーおしべの手前にあるおしべに花粉が付けられていく。
これで、一件落着と行きたいところだが、話はまだ終わらない。
本当のおしべにありつけたというところだが、このおしべも花粉が少ない。
ツユクサの花には、さらに花粉をたっぷりつけたおしべがある。
これこそ目立たないが花粉をたっぷり含んだおしべである。
なぜ、ツユクサはこれほどまで手の込んだアブたちを呼び寄せるのか?
私にはわからないが、いずれこの時期少なくなったアブたちに花粉を運んでもらいたいという一心なのかもしれない(擬人化させてはいけないでしょうがあえて)。
ちなみに、このツユクサ、一日花、厳密には朝早く開花し、昼過ぎには閉じてしまうようなので受粉も急いで行わなければいけない。
それがゆえに、受粉されなかった場合の保険代わりに花を閉じることによって自殖をしているというからこれもまた驚きだ。
自分の花粉を自分のめしべにつけることつまり自殖は、遺伝的に弱い子孫ができてしまう(自殖弱勢)。
それでもツユクサはこの方法を取り入れている。
それだけ、子孫を残すことが難しくもありこれまで生き続けてきた理由にもなるだろう。

ツルアジサイと同じ仲間(アジサイ科)にエゾアジサイといものがある。
ヤマアジサイの変種とされ、主に日本海側の多雪地帯に生息する。
これからの時期、私たち雪国の里山ではおなじみの花だ。
何しろ、見た目が青く良く目立つ。
しかし、近づいてよく見ると青く目立つのは花の周辺部いわゆる飾り花(装飾花)の花弁がそうであって、中心部の両性花は必ずしも目立たない。
これもまた飾り花の鮮やかな青色によって虫たちを呼び寄せているようだ。
あくまでも花粉を作るのは、この青色の飾り花ではなく中心にある両性花なのだ。
おまけにこのアジサイの仲間のすごいところは、受粉が終われば飾り花は裏返ってしまう。
まるで店じまいをしているかのようだ。

ツバキの花の色は赤色だ。
私の住む地域では、里山にユキツバキという多雪地帯に特化した背丈が低くしなり強い種が多く生息している。
もちろん、この花の色も赤色で春先に目立つ。
マンサク(マルバマンサク)ほど早くはないが、近年は雪が消えて間もない4月には開花が見られる。
では、この赤色は誰を引き寄せるため?
虫たちといきたいところだが、早春はアブやハエなどの小さな虫たちである。
どう考えても彼らが訪れるには花が大きすぎるし、花粉を運んでくれそうもない。
そんな時、頼りになるのは野鳥たちだ。
早春でも留鳥であるヒヨドリやメジロたちの出番である。
彼らは、花に嘴を突っ込んで蜜を吸う。
嘴が花粉まみれになってもかまわない。
まさに花の赤色は彼らを呼び寄せるための色なのだ。
そういえば秋の木の実も赤色が多い。
これもまた野鳥たちに食べてもらい、種子を糞と共に遠くに運んでもらうための色なのだろう。

まさに野草たちは、様々な色で花粉を運んでくれる生き物たちを様々な色仕掛けで呼び寄せる。
ただし、色仕掛けは色仕掛けでも野草の色仕掛けは、子孫を残していくために野草の必死な生きざまなのだ。

 


「子ども時代」は「子ども時間」を大切にしたい

2025-06-23 05:47:58 | 日記

先日、第3回釣りキチ三平の里自然体験塾があった。
親子57名が集まってくれた。
1回目も60名、2回目は前日が雨のため運動会が当日に延期になったためキャンセルが相次いだものの19名、森っこ倶楽部主催の6月8日の親子自然体験も湯沢雄勝の親子が30名と最近になく自然体験活動への親子の参加者が増えていることに手ごたえを感じている。
以前なら、コロナ禍の影響も大きかったが、親子での自然体験活動に参加者を集めるのに一苦労だったが、秋田県南を中心に少しずつその良さが広がりつつあるのかなと感じている。
あえて、対象を親子にすると大人一般とは違う風景を見ることができる。
それは、自然に対する向き合い方であり親子の関係性である。
例えば、自然の中を歩くだけでも子どもは様々なものを見つける。
虫や木の実、種子、動物の食痕など子ども目線ならではの発見だ。
大人側から草花の遊びを一つ教えても子どもたちは夢中になって遊ぶ。
やはり「子ども」という存在は「自然」に対して親和性があるというか自然に近い存在なのだと感じる。
その時の子どもたちの目もきらきら輝いている。
こうした子どもの姿を見守る大人の姿も美しい。
親子で同じ風景を見るからだろうか親子の良好な関係を感じるのだ。
きっと家庭に帰ってからも話題になるのだろうなと思う。

私がいつも心に留めている石井桃子さんの言葉に次のようなものがある。

『子どもたちよ』
子ども時代を しっかりと
たのしんで ください。
おとなになってから
老人に なってから
あなたを 支えてくれるのは
子ども時代の 「あなた」 です。

現代は、ともすれば大人ペースで時間が過ぎていく。
道草や回り道するする余裕もなく、まるで「早く大人になれよ!」と急かされているような気がしてならない。
子どもにも大人がやるようなプログラムがたっぷり準備されている。
だから私に言わせると「大人のような子ども」が登場してくる。

自然の中で、「子ども」と「大人」がはっきり分かれている生き物がある。
昆虫がそれだ。
「幼虫」時代と「成虫」時代がある。
幼虫時代は食べることに特化し、成虫時代は子孫を残すことに全力を注ぐ。
もし、幼虫時代にしっかり食べることをしないと成虫にはなれない。
たとえ、なれたとしても命を紡いでいくことはできない。
哺乳類には、生まれてすぐに立って歩けるものがいる。
母乳で育つ時代が過ぎれば、まもなく繁殖できる成体に育つ。
しかし、それでも幼獣時代は母乳をしっかり与えられて育つ。
翻ってヒトの場合はどうだろう。
生まれた時の赤ん坊は何もできない、裸のままだ。
脳の発達も不十分だ。
親やまわりの大人たち社会に囲まれ、思春期を経ながら20年近くもかけ、大人になっていくはずだ。
たっぷり「子ども時間」は存在する。
その子ども時代をどう過ごすかが問われる。

先日の体験塾では、同じ学校の6年生の男の子たち3人が参加していた。
「〇〇も誘いたかったけどスポ少で忙しいと言ってた。」と一人の男の子。
「君たちはスポ少に参加していないの?」と私。
「スポ少あったけどこっち(体験塾)の方が楽しそうだから来たんだ。」と男の子。
改めて思った。
そうか、体験塾以外にも習い事もあったはずなのに体験塾を選んでくれたのか、選択肢がいくつあっても良い、体験塾がすべてとは言わない、だが、それでも体験塾を選んでくれたとしたらこれほどありがたいことはないのではないか。
確かに今の子どもたちは忙しい。
それでも選ばれていく体験塾や自然体験活動でありたい。
男の子たちと話をしながら強く感じた。

本格的に自然体験活動と呼べるものに取り組み始めて8年目を迎えた。
始めの3年間は試行錯誤の連続で人も集まらず、苦労した。
年金も下りずお金も入らず、りんご園でのアルバイトもしながら続けた。
人が集まらなかったり子どもたちから「(活動が)つまらない」と言われたときは、正直やめようかと思った。
それでも応援してくれる子どもたちがいた。
だから何とかここまで続けられた。
だが、まだまだ私の考える理想の自然体験活動の取組は発展途上である。
これからも仲間や主宰してくれる方々と力を合わせて子どもたちから選ばれ続ける活動にしていきたいものだ。
それが何よりも親子や子どものキラキラ輝く姿を見ることができることになる。
そして、それこそが私の本当の生きがいにつながるからだ。


里山の役割を考えるきっかけに~初の「あきた里山サミット」が終了

2025-06-06 05:32:10 | 日記

「感じて、学んで、つながろう」をテーマに行われた「あきた里山サミット」」が大盛況のうちに終わった(「守りたい秋田の里地里山50」助成事業)。
参加者数は、130名ほど。
これに実行委員やスタッフ20数名を併せると150余名だった。
予想していた以上に集まってくれ、驚いた。
内容についてもアンケート結果を見るとアンケートを寄せてくれた65名のうち、「大変満足した」と「満足した」を併せて58名とおよそ9割の方が満足したと回答してくれた。
大成功だったととらえたい。
振り返れば、昨年の暮れ、本サミットを開催したいと周辺に提案したところ、様々な反応があった。
「おもしろそうだ」の声がある一方
「いったい何をどうするの」などの反応もあった。
まずは、テーマや内容を自分自身だけでなくこれから組織するであろう実行委員会の皆さんにイメージしてもらうことが何よりも大切だと考えた。
まずは、増田ネイチャークラブの仲間にそして、つながりのある方々に趣旨を伝えるとともに声をかけた。
基調講演者は、「秋田」と名乗るからにはと考え、秋田では、知る人ぞ知るという佐藤清太郎さんにお願いした。
次にシンポジストの人選である。
まずは、幼少のころから観察会という観察会、講演会という講演会参加といえば、鈴木蒼志くんだ。
間違いなくこの4月からは高校生になるはずなので彼やご両親にお願いした。
所属校の校長先生には、入学式当日に鈴木君をシンポジストにお願いしたいと電話した。
次に森林管理を代表する立場といえばということで真人山に入っておられるNPO法人・森の王国サルパの代表である奥山勝栄さんである。
奥山さんには、いつも真人山でフジづるをつるしてもらったり森の案内人としてもつながりのある方だ。
お願いしやすかった。
次に、山歩きの楽しさを伝えてくれる方だ。
横手市内では、会員が90名と最も多い組織の横手山岳協会会長である赤川秀俊さんだ。
赤川さんには、4年前に横手山岳協会創立の折に記念講演させてもらったことがあるし、昨年は名付け親が私だということで、りんご三山のツアーをご一緒させてもらった。
電話したところ、快く引き受けてもらえた。
また、里山を想起させてくれる歌を歌ってくれるプロということで、認定こども園で存じあげている茂木美竹さんにダイレクトにお願いした。
次は、主催者や後援者だ。
主催は、秋田県の助成を受けている増田ネイチャークラブそれにこれから組織するであろうサミットの実行委員会だ。
そして、共催者として秋田県は難しいにしても横手市ができないかどうか市役所を通してお願いした。
幸いその願いがかなうことができた。
次は、後援団体だ。
とにかく横手湯沢の自然関連団体はチェックしてお願いすることにした。
また、基調講演者である佐藤清太郎さんの森は、秋田市だけに秋田市の関連する団体にお願いした。
あとはメディア関連だ。
十文字映画祭の実行委員を通してどのようにして後援できたか聞いてみた。
県内ほとんどすべてのメディアの後援を得ることができた。
合わせて26もの団体の後援を得ることにつながった。
これで外堀は固まった。
あとは、実行委員である。
理想は、20名と考えていた。
うち半分は増田ネイチャークラブ、残り半分は集まることを考えるなら横手市内の影響力のある方たちである。
一人一人にメールしたり電話をかけたりした。
なんとか20名を組織できることになった。
次は会場だ。
県内各地からお客様に来てもらうには地の利も大切だ。
駅もインターチェンジも近い横手市役所十文字庁舎に目を付けた。
ただ、会場予約するには、2か月前と決まっている。
まして狙っている交流ホールは、大人気だ。
そこで5月31日の会場を押さえるために、3月3日の月曜日、1日と2日は庁舎が休みなので庁舎3月はじまりのその日の朝庁舎が開く直前8時に並んだ。
なんとか会場を押さえることができた。
次は、実行委員会の日取りである。
趣旨を説明する日、当日までの流れを提案する日、そして当日に向けての役割を確認する日の3回である。
少ないかなとも思えたが、実行委員は皆様々な立場を抱えている。
3月、4月、5月と月1回の割合で進めていけばなんとかなるのではないかと考えた。
実行委員会は、平日の夜に行った。
あとは、肝心の内容である。
テーマはどうも堅い。
このテーマで来る方がいるのか?
すると実行委員会でアイディアが飛び出した。
「テーマが堅すぎるのではないか」
「子育て世代にも来てもらえるように託児所を設ければ良いのではないか」
「花の種をプレゼントすれば良いのではないか」
「山の写真展も準備すれば良いのではないか」
「クロモジ茶でもてなせば良いのではないか」
「開会の前に里山のYouTubeを流そう」
「真人山のアイドル。まとっぱの出迎えがあれば良いのではないか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アイディアが次々と出てきた。
いくら助成金を使うといってもまわりからは、驚かれるほどの少額だ。
その中でどう切りまわすのか?
ここは事務局にお金を預け、任せることにした。
周知も徹底した。
司会者が横手かまくらFMの人気パーソナリティで彼女からは毎週金曜日の放送のたびに話してもらえたし、FM放送でも朝昼晩と流してもらった。
市報よこてにもさらに横手経済新聞や地域のヤフーニュースなどそして前日には秋田魁新報で紹介された。
これで周知は十分すぎるほどである。
そして、迎えた当日。
睡眠不足ではあったが、緊張感でいっぱいだ。
まずは、50名は来てくれるだろう。
50名から100名の間かな?
願わくは100名になってくれたら・・・・
お客さんが集まりだした。
受付に3人ついているが、対応するには間に合わないほどの列ができていた。
午後1時30分、開会だ。
司会者は百戦錬磨、オープニングの歌手も大きなステージでも慣れている方だ。
主催者代表のあいさつは私だ。
当初は原稿なしで進めようと思っていたが、どうも緊張しそうなので時々目を離しながらも用意した原稿を読むことにした。
それから基調講演。
DVD画像も説得力があった。
休憩をおいてシンポジウム。
前述したが、皆横手を代表する森や山の専門家そして鈴木君だ。
あっという間に予定時刻になった。
フロアからも2名の質問を受け終了。
片付けもあっという間に終わり閉会の挨拶だ。
振り返れば不思議な時間だった。

里山サミットをやってみようーその間にも大変なことが里山周辺に起きていた。
岩手の山林火災、平成以降最大規模といわれるほどの大きな火災、。相変わらず、収まらない熊の問題。
それどころか熊が街に出没するような騒ぎ。
いったい、熊の生活場所はどうなっているのか?
一方では、コロナ禍も収まりつつあり、里山には山歩き愛好者や親子の観察会でのにぎわいなど秋田が持っている財産といえる豊かな自然にふれたいという願いがあちこちであふれていた。
本来、里山は桃太郎の冒頭に出てくるおじいさんは山へ柴刈りにとあるように私たちの生活としっかり結びついていたはずである。
まして、秋田は森林県だ。
広い横手盆地を抱える田んぼには豊かな水があり、命の源となるお米が育つ、それは里山の持つ森林の働きであるはずだ。
もう一度、私たちの生活と里山の持つ役割について考えてみようというのが本サミットの趣旨でもあった。
そこで、切り口を①森のはたらきと里山②山歩きや山菜取りなどの魅力あふれる里山③子どもが育つ里山以上の3つとした。
一方では、これほど大きな問題に真正面から提案するには、微力な私では到底無理な話だった。
心からお願いして、集まってくれた20名の実行委員。
前述したように様々なアイディアをいただきながら大成功へと導いてくれた。
改めて実行委員に感謝するとともに気持ちはやりとげたという充実感でいっぱいだった。
予算から考えても費やしたエネルギーからいっても今後、このような企画はできないだろう。
ただ、実行委員や参加者のみならず何かしら周りの方々に印象に残ったとしたらこれほどうれしいことはない。


山には熊がいてリスがいる

2025-05-21 16:33:22 | 日記

山という山、森という森に通っていてしばしば聞かれることがある
「山に熊がいませんか?」
がそれだ。
この問いに関しての答えも決まっている。
「いますよ。」
である。
たいていはこの返答に驚かれることになるが、それ以上はほとんど突っ込まれることはない。
突っ込まれるようなことがあれば
「山に熊がいませんかということは里に人間がいませんか。」
と聞かれていることのようなものですと答えたらたいていは怪訝な顔をされる。
そして、心の中では思っているかもしれない。
「それなのにどうして山や森に行くんだ。」
と。
昔は、山に行くといえばそんな事は聞かれることはなかった。
近年のことだ。
それだけ、山や森が変わってきたということだろう。
ここ数年、冬場限定でニホンリスを観察し続けている。
冬場限定とはいえ、トータルにして200日は超えた。
とはいえ、わからないことだらけだ。
彼らとコミュニケーションでも取れたらと思うのだが、そうもいかない。
時に、身体の毛づくろいをしている様子を見るとダニが発生し始めたのかなと考えたり枝葉を運んでいる様子を見たりすると子育ての準備に入ったのかなと考えたりもする。
ただし、それはあくまでも仮説にすぎない。
ニホンリスを観察していると他の動物が出てくることもあった。
キツネがとことこ歩いていったり二ホンアナグマが脇を通っていたこともある。
野鳥の姿や鳴き声もにぎやかだ。
つくづく山には多様な動物たちがいるのだと感じる。
ツキノワグマに関しては、近年の被害を見るにつけ、当然山や森にいることを前提にしながらもばったりと出会い頭には合わないよう準備する。
それには、まずこちらからのサインだ。
心の中で「今から山に入るぞ~。」と叫ぶ(実際叫びもする)。
宮沢賢治の作品に「狼森と笊森、盗森」というものがある。
この中に次のような一節がある。

そこで四人よつたりの男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃そろへて叫びました
「こゝへ畑起してもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
 みんなは又叫びました。
「こゝに家建てゝもいゝかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたへました。
 みんなはまた声をそろへてたづねました。
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
 みんなはまた叫びました。
「すこし木きい貰もらつてもいゝかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたへました。
             宮沢賢治~狼森と笊森、盗人森 ちくま文庫より~

賢治の言葉を借りるまでもなく、彼らの棲むエリアに入らせてもらうという謙虚な気持ちは常に忘れたくない。
それでもこれまで磨いてきたまだ乏しいながらも五感を駆使しながら歩いていく。
こんな私でもにおいや音から何かしらの存在を感じることもある。
そんな時こそ慎重に行動する。
もちろん、いざという時のための準備も怠らない。
ただ、熊とは違う危険な生き物の存在も忘れてはならないと思うのだ。
例えば、スズメバチ。
こちらは、刺されたことによって毎年日本国内で二桁の死者数がいる。
ツキノワグマの比ではない。
マムシだってそうだ。
毎年、噛まれて措置が遅れ亡くなられる方もいる。
ツキノワグマは、山の中複数でにぎやかに歩けばまず出会うことはないが、マムシは違う。
つい先日の親子の観察会でも登山道でマムシがとぐろをまいていた。
幸い、こちらの存在に気づき、逃げていったが、この場合も自分が常に先頭を切って歩くことや見た場合にマムシが立ち去ることを見届けたりそばに近寄せないようにしたりしている。
常に五感のスイッチを入れるようにはしているつもりだ。
ただ、同時に彼らの山や森での役割というものもしっかり知っておく必要がある。
例えば、ツキノワグマは森の中では王者的な存在だが、それは決して肉食動物ということでなくむしろ植物を中心とした雑食性の動物である。
そして大事なことは、ツキノワグマは日本最大の種子散布者であることだ。
つまり山菜や樹木の若葉や果実などを好んで食べる。
ミズキやサルナシでも桜でもイチョウでもなんでも食べる。
ヒトが食べ物を取り入れて糞として出るのに24~48時間なのに対してツキノワグマのそれは15~20時間だという。
おまけに1回で出す種子は5000粒以上、重さにして31~100キロだという。
山歩きされている方には、その糞の量の多さに実感されている方も多いのではないだろうか。
つまりは、彼らの存在によって山や森が維持されているともいえる。
今のツキノワグマの一番の問題は、「アーバンベア」と新語が作られるくらい人が多く住んでいる街に現れていることだろう。
逆の視点でいえば、本来は街にはいない存在で里山から奥山にかけて棲んでいるはずのツキノワグマが、なぜ街や里に下りているのか、ということは、もともとは棲んでいたはずの里山から奥山にかけて何かしら異変が起きているのではないかということだ。
同様にツキノワグマに比べて人間にとっては存在感が薄いかもしれない他の動物たちにも異変が起きているかもしれない。
このことは、ニホンリスの観察を続けていても感じることがある(このことはまた別の機会に)。
つまりは、ツキノワグマが街に現れている問題は、ツキノワグマだけの問題に帰結せず、常に彼らの棲む山や森からのメッセージでもあるととらえていかなければならない問題だと考える。
これ以上のお互い不幸な被害につながらないためにも・・・・

※写真は、先日の体験塾で確認したマムシ


親子いきいき「こどもの日」イベント

2025-05-09 05:20:44 | 日記

今年も青少年育成横手市民会議の助成により「こどもの日 親子で野遊びイン真人山」を開催することができた。
3年目となった今年は、14組43名の親子が参加してくれた。
主に横手市内や湯沢市雄勝郡の親子の参加が多いが、中には東京から実家に里帰りしていた親子が実家の母と共に参加してくれた方しかも昨年から続けて参加してくれたといううれしい場面にも立ち会うことができた。
里帰りしたなら実家でゆっくりしたりふるさとの行楽地に行ったりすることが多いのだろうが、このイベントを選んでくれたことにうれしさと同時に意義深さを感じてしまう。
振り返れば、3年前、当時の青少年育成横手市民会議の会長さん宅にお邪魔した。
地域の子どもたちをもっと自然に触れさせたい、それによって地域の良さを感じたり子どもたちの成長につながるはずだと意気込んでご自宅にお邪魔した。
実は、この時点で、私自身の願っているコンセプトは3つあった。
「こどもの日に」
「お金をかけずに(無料で)」
「ふるさとの野山で(親子で)遊ぶ」
がそれである。
しかし、意気込んだまでは良いもののやはり1年目は不安がつきものである。
地元メディアやお世話になっているこども園を通して周知したものの今一つ反応が鈍かった。
まわりからはいろいろ言われたりした。
「だいたいこどもの日は遠くに出かけるものだ。それをあえて真人山で遊ぶなんて・・・・」
「いつも行っている場所だもの、たまには遠くに行きたいと思うものだよ。」
など。
笑えない話だが、「泣いた赤鬼」の話を思い出した。
「おいしいお菓子があります、お茶もあります。あとは青鬼が出てくれないか・・・・」ただ、ふと立ち止まり考えた。
中には、こどもの日とはいえ、遠くまで出かけられない、あるいは事情によってそれほどお金をかけられない親御さんだっているはずだと。
では、どうしたら皆さんが来てくれるか?
そこで考えたのは、おやつを準備できないか、自然の中でのターザンロープを活用できないかなどがそれだ。
おやつは1年目は既成の、ターザンロープは地元の森林管理をされている団体にフジづるの準備をお願いした。
あとはとことん周知活動をくりかえした。
こうして1年目はなんとか20名を超える親子が参加してくれた。
2年目は、おやつは手作りの「リスクッキー」を仲間に準備してもらい、さらに地元の中学校にある着ぐるみを準備した。
こうして30名を超える親子が参加してくれた。
先日の3年目は、少しずつ知られるようになったのか地元のNHKテレビや新聞社も取材しに来てくれた。
増田ネイチャークラブのスタッフに加えて、これまで観察会という観察会に8年間参加してくれた高校生が準スタッフとしてサポートしてくれた。
ターザンロープを使ってのターザンごっこの見本になってくれたりカナヘビやヘビを見つけては子どもたちの前に提示してくれたりした。
まとっぱという着ぐるみをかぶっているスタッフも2年目となり子どもたちへの対応が子ども目線になり良い雰囲気を醸し出していた。
ターザン遊びをしてからはハイキングだ。
三吉神社を目指して、新緑の登山道をゆっくり歩く。
途中、まだ若葉が出たばかりのサンショウやイワガラミそれにオオバクロモジといった枝葉の醸し出す香りを嗅ぐ。
まだ花が出たばかりのウリハダカエデの名前のいわれについて触れたりエゾユズリハの名前の由来となるその姿についても見てもらった。
南の国から渡ってきたばかりの夏鳥であるオオルリやキビタキのさえずりが聞こえてきた。
姿を見つけにくい時には、予め渡ししていた真人山リーフレットでその姿を確認してもらう。
途中休憩を取りながらゆっくり歩くこと1時間。
三吉神社に着いた。
この場所では、鳥海山や近くの山並みそれに増田町や十文字町の姿を見てもらう。
仲間が加工してくれたイタドリ笛も子どもたち全員に渡した。
試行錯誤しながら音を楽しんだ。
飲み物に加えて用意したリスクッキーも試食してもらった。
口々においしいと喜んでくれた。
全員で記念写真を撮り下山路を歩く。
閉会式の場所となった公園駐車場では、まとっぱとの記念写真撮影があいついだ。
準スタッフの高校生がシマヘビを見つけ、解散はしていたが、その場に居合わせた子どもたちに見せた。
子どもたちは、おそるおそるヘビに触れたりした。
桜の木の下では、アミガサタケを見つけた子どもがそれを持ってくる。
イベントを通して子どもたちの眼も肥えたようだ。
こうして、あっという間の3時間が過ぎた。
NHKテレビのインタビューでは、多くのことを語ったが、実際の放映では、
「五感を通して地域の自然に触れ、親子でいきいき活動することができた。」
でまとめられていたようだ。
さらに付け加えるならば次のことだ。
「五感を通して春を感じることができた。」と。
そして、この1月に亡くなられた青少年育成横手市民会議の会長さんの最後となった電話口での言葉を思った。
「お金は大丈夫だ、全部出すから。とても大事なイベントだから。だから、がんばれ!」
と。
会長さんの励ましを力に今年も盛会理に終えたことがとてもうれしかった。

※写真は、今回のイベントで参加者全員に渡された手作りクッキー