「風の見える丘」 スタジオ・あいづ暮らし!

HIRO-Music 地域創造文化・音楽コミュニケーション

その昔、バンドマンだった

2012年03月22日 | インポート
二十歳頃、R&BもどきE・Bassをいじっていた僕は・・・
会津で有名な高級ナイトクラブからの誘いで、バンドマンになった
メンバーは地元・会津若松を代表するJazz Man 面
当時はカラオケなど無く、バンドの生オケ時代なのである
クラブのキレイなお姉さん達のダンス曲は・・・ラテン・Jazz等・・
そんな世界に飛び込んだ・・・そして、4ビートに出会う
と、同時にプロの厳しさをもろに体験する
プロのショウダンサー公演の時、
開始2時間前・・12ページに折りたたんであるパート楽譜をメンバーそれぞれに渡されたのです
これ、お願いね・・・本番ヨロシク
楽譜を読めない・・・僕は焦った
唯一、頼れたのはバンマスでドラムのネモちゃんだった
バンマスを中心に、楽譜を通しで読み合わせ・・・それぞれに楽器のカラ弾き・・・
そしてワン・ステージの本番、おどおどした僕の緊張感で、リズムが弾まない
半裸のショウダンサー・・・なんかノリが無いわね・・・と一言
ステージの合間にバンドミーティング・・・プライド高きバンマスからの一言
音符にこだわるな・・・ドラムは譜面どおりに小節を刻んでいくから
小節のあたまさえしっかり合っていればイイから、あとはノリで・・・
ツー・ステージ終了後、ショウダンサーの肌には官能的汗がにじんで・・・
ステージを無事終えた充実感からか・・楽屋の明るい空気色を記憶している
それからというもの、
16ビートを弾ければプロになれると思い込み、日夜練習に励んだのであります
あとは、音楽への情熱とセンスさえ備われば・・・
そんな時代でした