備中国分尼寺跡を観てから元来た道とは違うルートを選択して漫ろ歩いて
いると行く手に民俗資料館を発見しました。しかし喜んだのも束の間でした。
良く視ると人の気配を感じず、どうも閉鎖されているようでした。
その代わり直ぐ近くに由緒有りそうな古民家を発見しました。一番上の写真を
ご覧下さい。この古民家が旧松井家住宅で、元は岡山市東区沼に所在しました。
当家は旧山陽道に面して、道行く旅人に昼食や茶、菓子などを提供し、休憩所の
役割も担った「茶屋」でした。
屋根は茅葺、入母屋造りとなっていて当時としては一般的な民家の構造であると
説明されています。その当時というのが江戸時代末期といえます。
建築の様式や手法から江戸時代の末期に建築されたものと推定されています。
話は変わりますがテレビで長年に渡り放映され人気を博してきた「水戸黄門」が
大変残念なことに視聴率低迷の煽りをうけて今年一杯で放送打ち切りの結論に
なっているようです。
その水戸黄門の放送の中で一行が腰掛け、食いしん坊の八兵衛が美味そうな
団子を食べるシーンが度々登場しますが、この場所が所謂茶屋だと思います。
この茶屋で時には殺伐とした場面があったかもしれませんが、概ねは長閑で和やかな
一時が経過したのではではないでしょうか。
それから旧松井家住宅の直ぐ前に旧山手村役場があったので上方写真に収めました。
この家もやはり茅葺で歴史を感じました。確か文化財に指定されていると思います。
旧松井住宅から国分寺に向かう途中で「松井の井戸」の案内板を見つけその示す
方向に歩きました。すると池の畔に発見しました。上方写真のような井戸です。
現在使用されている形跡が窺えませんが、その昔天皇が即位をする時にそれを
祝う和歌がその当時勢力を誇ったと思われる藤原家の歌人によって詠まれています。
その中に松井の井戸の水を讃える歌が有り、その歌が案内板に書かれていました。
松井の井戸から国分寺に向かう途中に、国分寺の遠景を撮りましたのでご覧下さい。
以上今回のリポートを終わります。