寒さも和らいできた。
花粉も治まってきた。
お天気もいい。
となれば、ツーリングである。
先月、買った愛車「令和ボルティ」に乗りたくて乗りたくて仕方ない今日この頃。
サカリのついた高校生状態だ。
いつかは47都道府県をバイクで一筆書き走破したいが、とりあえずは近場から攻めてみよう。
近場といえば、やっぱり、自分が住んでる東京からだろう。
特に目的もなくバイクを走らせるのも一興だが、せっかくなので東京23区&30市町をそれぞれ五十音順に日帰りツーリングで回ろうかと思う。
日帰りなのであまりあっちこっちは行けぬ。島嶼部(とうしょぶ)も無理だ。
それぞれの区市町で一箇所だけ「ここは!」というトコを選んで、速攻で行って、速攻で写メ撮って、速攻で帰ってくる、という強行軍ツーリングでござる。
体力持つかな。
てか、奥多摩町とかぜんぜん近場じゃないし。
読者の皆様。宜しければ、「◯◯区に行くなら、✖️✖️がおススメ!」という情報もくださいな。
いや、まぁ、情報もらったからって、必ずそこに行くとは限りませんが。
さて第1回は足立区。
ガラが悪いとか、治安があまりよくないとか、ネガティブなイメージが強かったが(あくまでも個人の感想でございます)、意外な歴史的スポットがあったり、お洒落な場所があったりする。
行ってきたのは「千住大橋」
松尾芭蕉が奥の細道の旅に旅立った地だという。
なので、すぐ横には「奥の細道矢立初めの地」なる碑も建っている。手前のカッコいいバイクは我が愛車「令和ボルティ」ですわよ。えっへん。
「矢立」(やたて)とは、筆と墨壺を組み合わせた主に江戸時代の携帯の筆記用具のこと。戦(いくさ)に行くときとか旅に出るときに持っていった。まぁ、現代の子どもたちが学校に持っていく筆箱と思えばよろし。
芭蕉も矢立を携えて奥の細道ツアーに旅立ったわけだから、「矢立初め」(やたてぞめ)とは、要するに芭蕉が奥の細道ツアーの最初の一句を詠んだ、ということ。
あの有名な、「行く春や 鳥啼き 魚の目は泪」である。
芭蕉は弟子の曾良を連れて、奥羽・北陸を回り大垣に至る600里の旅の第一歩をこの地で踏み出した。
奥の細道の全旅程は千住大橋のすぐ横の公園にでっかい看板があるのでこちらをどうぞ。
ちなみに、千住大橋が架かっているのは隅田川。
千住大橋は隅田川を跨ぐ日光街道(国道4号線)の橋で、同じく日光街道が荒川を跨いでいるのが千住新橋である。
バイクを停めて(しかも、交番の真ん前!駐禁とかだいじょぶなのか、俺?)、隅田川の河岸に降りてみる。
おお、芭蕉と曾良がこんなとこに!
↑歌川広重の「名所江戸百景」で描かれた千住大橋(もちろん江戸時代の)が。
屋形船の乗り場にもなっている。隅田川花火大会のときはここから乗るのかしらん。
河岸は綺麗に整備された遊歩道。対岸にそびえる高層マンション群。
いわゆるリバー・フロントってやつ?
練馬区在住の俺には縁のない景色である。
写真だと小さいですが、スカイツリーも見えまする。
ちなみに、日本橋から千住大橋まではわずか7km。意外に近い。
そのすぐ先に、「金網はこちら」とニヤリと笑っているオヤジが。
え、金網?いきなり?奥の細道の出発点で?
いやぁ、足立区は奥が深い。
奥の細道だけに。
うむ、うまくまとまったな。
次回は「うちこそが奥の細道旅立ちの地」と1989年以来、足立区と熾烈な論争(千住論争)を展開している荒川区に行こうと思います。