つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

母が逝きました(2)

2015-01-26 17:44:15 | 日記

お袋を見送り、一夜明けて名古屋は抜けるような真冬の青空だった。

これだけ空が綺麗なら、お袋も天国まで迷わず行けるのではないか、と思った。

無宗教な自分が、「天国」なんてものを真剣に信じていることに少し驚いた。

 

お袋を見送った翌日、お袋が長年、透析でお世話になっていた印場クリニックを訪ね、院長先生とケースワーカーの伊藤さんにお礼の気持ちを伝えた。

お袋が死ぬ直前まで、お袋のことを気遣って透析をしてくれていた人たちである。

1月20日の透析の時には、お袋は既に言葉も発せられないほど衰弱しており、伊藤さんたちがずっとお袋の身体をさすってくれていたという。

本当は、そういうことは、息子の私がしなくちゃいけなかったんだろう。

 

私がお袋の背中をさすったのは、後にも先にも、昨年、肺に水が溜まり始めて呼吸が苦しそうだったお袋に、

「お袋はよく頑張った。四半世紀以上だぞ、透析。もう、苦しかったり辛かったりしたら頑張らなくていいんだ。病院の先生にもホームのスタッフさんにも俺が言っておくから、1日くらいなら透析休んじゃったっていいんだぞ。」

と伝えたときだけである。

骨と皮だけになっていたお袋の背中はとんでもなく小さかった。

自分は、こんな小さな身体から生まれて、育て上げられて、そのくせ、今じゃ一人で世の中に生まれ出て大きくなったような顔をしてるんだな、と思った。

 

印場クリニックで挨拶をした後、お袋が暮らしていた老人ホームの部屋に荷物の引き取りに行った。

カミサンとチビたちは老人ホームの近くの公園で遊んで待っていてもらった。

段ボール1箱程度のお袋の思い出の品を車に積んで、最後に部屋のドアに鍵をかけるとき、「自分がこの部屋を訪れることはもう二度とないのだ」ということに不意に気づいた。

お袋を見舞っても、年老いたお袋の我の強い態度にイライラし、いつも最後は喧嘩になった。

「もう、二度と見舞いになんか来るか。」

と何度も心に決めつつ、結局、数ヶ月経つと再びお袋の様子を見に来た。

「次が永久に来なくなる瞬間」というのは、こんなにも呆気なく訪れるのだ、ということに少し驚いた。

 

部屋に少しだけ残っている、お袋が確かにこの部屋で暮らしていたことを伝える残り香に、

「おつかれさま。よく頑張ったな。もう、透析に苦しむことなく、ゆっくり眠っていいぞ。

世界中の人がお袋のこと忘れても、俺は、お袋を大好きだったことも、お袋を憎んだことも、お袋を許したことも、お袋に許してもらったことも、死ぬまで忘れない。

さよなら。」

と、本当に二度と会えない「さよなら」を大きめの声で告げた。

お袋は死ぬ1年位前から耳が遠くなっていたからね。

 

PS:お袋の死を知らせる電話を受けたときも、名古屋に向かう車の中でも、お袋の死に顔を見たときも、昨日の記事を投稿したときも、一度も出なかった涙が、この記事を書き終わったらいきなり出てきた。

明日はお袋の81回目の誕生日である。

秘書が帰った一人きりの事務所で、心ゆくまで慟哭した。