暖かくなって・・足が求めている・・散歩です。

2006年03月24日 01時44分36秒 | 思いつくままに。。
寒い内は車でお出掛けが多く中々自分の足で
歩こうとはしない。

食事に行った帰り道に近くのお城の跡に登って
みた。

大きな木や広々とした雑木林武蔵野の面影が
未だ残っている。

久し振りの長閑な散歩で気分が晴れやかになって寒さで堅くなっていた身体が
ほぐれたような感じがして軽くなったような気がした。

歩く事の大切さと自然の中に身を置くことの大切さを感じた日でした。




身近にこんなに良い自然が有るのに楽しまない
何て勿体ない。

時間を見付けてこまめに出掛けて行きたいと
思った。

暖かくなって新緑の季節が直ぐそこまで来ている
深い緑の中での深呼吸は気分が良いだろう。

寒さに耐えた野の花たちがキット綺麗に咲いて出迎えてくれると思う。

又来たいと思いながら山を下りたのでした。

夏にはカブトムシが捕まえられそうだ。

楢の木が多かったから子供達の天国なのかも知れない。



この日を・・忘れないで・・いて欲しい!!

2006年03月10日 10時52分47秒 | 思いつくままに。。
昨晩調子に乗りすぎてかなり遅くまで編み物を
していたので。

目が覚めたらオヤオヤもうこんな時間だわと慌て
て今日のゴミカレンダーに飛んで行くと。

何もなくてホットする外は春の煙るような小糠雨
が降っている静かな日。

もう10日なんだぁ~三月も三分の一が終わろうとしている。

60年前の今日は東京大空襲が有った日でこれを境にしたかのように
日本は敗戦への道を一途に辿って行ったのでした。

私には今日どうしても読み返したい一冊の本がある。

敗戦時の首相「広田 弘毅」を書いた(城山 三郎)の「落日燃ゆ」である。

この本を手にする時何時も涙無しには読むことが出来ない。

極東裁判でイエスとノーがどれだけ重みの或る物かを知らしめてくれた人だから。

福岡の石屋の息子で非常に「字」が上手で「水鏡天満宮」の「天満宮」の掲額は
この人が、小学生の時に書いた文字だと本に書いてあった。

一ヶ月を35日働くと噂された働き者の律儀な父親を見て育った息子らしい生涯
を送った人だと思う。

これから来る春休みに次の時代が間違った方向に動き出さない為にも是非読ん
で欲しい一冊です。


水鏡天満宮のサイトは此方です



触れもせで・・逝ってしまった・・人(TT);

2006年03月07日 20時08分26秒 | 思いつくままに。。
私は、向田 邦子さんが飛行機事故で命を
落とされたとき一人の愛読者としてかなりの
ショックを受けた。

まるで男性が書いている様な文章の流れに
夜が明けるのを忘れて読み耽って居たから。

暫くして「作品集」が無くなるかも知れないと聞いて文庫本で凡て買いあさり
手にしたときはホットしたものです。

巷の一読者にしか過ぎませんが、人に惚れるという事はこうゆうことなのだと
思いました。

今日は悲しい日でした。

向田さんをこよなく愛し「触れもせで」をお書きになった方がお亡くなりに成った
のです。

TVのワイドショーウで泣いているタレントさんを見て何が有ったのかと思って
居りましたら。

この世で一番向田さんを理解し愛していた方だと思います。

男とか女とかの垣根などはこの二人には必要がなかったのだろうと思うのです。

向田 邦子との20年・・・「触れもせで」をお書きになったのは単なる追悼文では
ない感じが致します。

凡てを理解して男女の枠を越えて一人の作家と演出家として良い連れ合いを
亡くしてから元気を無くして居たのでしょうか。

一人の「向田 邦子」フアンが旅立ちました。



コストコ・・引っ越し・・ヒッコスとややこしいこと???・

2006年02月25日 01時10分26秒 | 思いつくままに。。
陣馬高原の下を通学路にしているspringは大変な
健脚家です。

暑くも寒くも元気に歩いたりある時は自転車で2Kに
近い道を通学しております。

お友達が沢山いて楽しい通学時間のようです。

時々ずっこけた会話に華が咲いて大笑いになる時もあるようですが
長閑な通学路には若々しい声が響いて楽しくて良いかも知れません。

ある日友達が「昨日コストコに行ってきたけど」と話しかけるや否や
あわてん坊ですから。

「えぇー引っ越しちゃうの~」となったそうです。

驚いたのは友達の方で話しが噛み合いませんから「うぅん??」
だったようで。

「ねぇ~何処に越すの」・・・気が気でなくなって来ておりますから
思い込みは激しく引っ越す事しか脳裏に無いのです・・・

話しはやたらにややこしくなって来るばかりで・・・「あのね」「うん」
「こ・す・と・こ・に行ってきたの」・・・「何処に越すの」・・・???

後で気が付いて二人して笑い転げたそうですが・・・学校から家に帰って
来て楽しそうに話して呉れました。

「コストコ」とは、アメリカから進出してきた大きなスーパーマーケットの事
なのですが、近くに相模原の米軍基地が有りますので日曜日は大変に
混みます。

一度行ってみましたが、広すぎて迷子になりそうで、売っている物も単位が
大きくて量が有りすぎてとても使い切れません。

コストコ騒ぎの顛末は私がシッカッリと引き受けました「ヒッコス」と覚えて
しまい、ご近所さんに笑われました・・・こうゆうことは遺伝するのでしょうか。

孫とお婆ちゃんの二人漫才でした・・・♪

springのサイトは此方です



子供の意外性を・・思い知った日・・でした(>_<)

2006年02月23日 01時42分42秒 | 思いつくままに。。
[関連したBlog]
私の今の病気が未だハッキリと診断されないために
重体の妊娠中毒症の母から生まれた娘は低体重児
として生まれてきたのでした。

2140gと言う小ささでしたから保育器の中に二人の
赤ちゃんが這入れる大きさです。

お陰様で無事に育ってくれまして心配しておりました目の障害もなく
大きくなってくれました。

2歳の時に東京オリンピックが有り、朝から晩までTVで放送されて
おりましたから。

彼女の気分はすっかりオリンピック選手気取りで危なくて目が離せ
ませんでした。

玄関の敷居は平均台に早変わりです、危ない足捌きで歩き始められ
ますとお台所から慌てて飛んでいった物です。

ある時水泳の競技が始まって間もなくの事です。

気分は水泳の選手に成りきっていたのでしょう・・・テーブルの上から
飛び降りてしまいまして。

あっと言う間に側に有りました大きなボールに載って玄関の三和土に
落ちていったのです。

私は、足がすくんで動くことが出来ませんでした。

玄関の三和土には大きな踏み石が置いてありまして、広い玄関でした
から毬に乗った娘は毬の弾みで玄関を出て行ったのでした。

寿命が縮むとはこう言う事を言うのだと思います。

お陰様で何事もなく無事に我が胸に抱きしめることが出来ましたが。

子供とは、時には飛んでもない事をやって呉れるものです。

こんな想いで育てた娘も今では二児の母親を遣っております。

あの頃は可愛い赤ちゃんだったのですが・・・

私のオリンピックがある度に思い出す子育て奮戦記です。

可愛かった赤ちゃんは此方の方です。

「子育ても 思い返せば 泣き笑い 親の気持ちを 知るや知らずや」