栴檀は・・双葉より・・芳し^^;

2006年02月16日 01時05分27秒 | 思いつくままに。。
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あの日は会社でボーナスが出た日だったと思う
いつもより早く定時に帰宅したパパが。

食卓を家族と囲む事など年に数日しかない我が家は
子供のはしゃぐ声とパパの嬉しそうな声が。

今から思えばこんな日が彼の人生で幾日有っただろうか・・・。

未だ2歳にならない息子をお風呂上がりの膝に載せてビールを美味しそうに
飲み始めて居たその時に。

息子が手を伸ばしてパパのビールに口を付けたのでダメと言うより早く口に
持って行って呑んでしまって。

美味しと・・・良いお顔をして満足そうににっこり!

悪戯好きのパパが喜んで又舐めさせたのが切っ掛けで大のビール好きの
赤ちゃんに成ってしまい。

小児科の先生に怒られて(勿論呑ませては居ませんでしたが)手を替え品を
替えても騙せないで、パパの晩酌は当分息子が寝てからに。

今の時代だったら、息子と楽しい晩酌が出来たのに・・・ね。

用事で立ち寄ったお店で見付けて胸がキュウンとしてしまった私。

息子との晩酌を夢見ながら旅立っていった貴方が偲ばれた日でした。

大人になった息子は父親譲りでお酒は飲みますが自分の量を知っていて
深酒をしないところはパパに似ています。



「父と子と 酌み交わしてる 夕餉時 幻のよう 時に偲ばれ」



天井が・・落ちた話し・・その2(TT);

2006年02月13日 01時49分26秒 | 思いつくままに。。
公営住宅ですから新聞に載って仕舞いましたし
公社の方でも動かないわけには行かずに。

早い時点で一斉点検が始まったのは良いの
ですが色々と制約が有るらしく中々思うようには
往きませんでした。

落ちた35号棟を全戸点検することは話が尽き
ましたが主人が帰ってきてよく見ますと蛍光灯のカバーの所に亀裂が入り
漆喰が浮いているとのこと。

出来るだけ此処に居ないようにと言い残して勤めに出て行きましたが、
三度の食事の支度とそこしか出入り口がないのですから。

点検に来た方も出来るだけ早く落としに来ますからダイニングの荷物を
退かして於いて下さいとの事。

そして、何時落ちても可笑しくない状態ですから、ヘルメットを被って台所を
して下さいねと言って帰って行きました。

沢山の倍率を運良く当選して這入れた憧れの団地で起きた天井落下事件
でした。

今の時代でしたら大変だったでしょうと思います。

昭和45年の出来事です。

賃貸住宅の悲しさで何の騒ぎも起きないでうやむやの内に事が片付いて
仕舞ったようでした。





何の音??・・まさかの・・出来事でした(‥;)

2006年02月12日 22時19分02秒 | 思いつくままに。。
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未だ引っ越して一年半ばかり経った頃の団地で
の出来事でした。

下の奥さんと子供を遊ばせながら二人して子供の
編み物をして居るときに。

突然に山崩れのような音がして一瞬「大きな地震」
と・慌てて子供を抱え込んだのでした。

電気の笠が揺れておりませんから「変ね」と二人して顔を見合わせておりますと
玄関をノックする音がして下の103号室の奥様が来て。

天井が落ちたの・・・???話しが通じません。

天井て此の天井が落ちたの??

そうなのです・団地の天井が落ちたのです。

慌てて行ってみますと凄い砂埃の部屋の中は、何も見えない状態でした。

見事に天井が落ちて粗いコンクリートが露わにでて居るではありませんか。

急いで管理事務所に連絡をして、慌ただしく何をどうして過ごしたのか。

同じ団地に新聞記者の方がおりまして翌日の新聞には大きく載りましたが。

このまま済ませるわけには行きません。

何時又何処の家で落ちるか解りませんから。

未だ入居して日も浅く自治会もなくどうする術も解らない私達だったのです。

団地が建ち始めた頃のお話しです。

この所騒がれている違法建築のお話しで思い出しました・・・つづく



優しかった・・父の‥教え(‥;)

2006年02月05日 00時45分25秒 | 思いつくままに。。
先日この記事を書きましてUP致しましたところ
沢山の方に読んで頂きまして、皆様が感心を
持って下さったことでとても救われた思いで
居ります。

母の再婚に寄り俄かな百姓娘と成らざるを
得なかった私の少女時代でしたが、此処で
学んだ事が今の私の生活を豊かな物にしていると思っております。

土を愛でて生活する事を余儀なくされているのが農家の生活です。

凡てが自然との闘いであり、自然の恵みを受けて成り立つている生活なのです
から。

この冬の異常気象で野菜の高騰に驚き買い控えておりましたが、生産者の方達の
ご苦労はそれを上回る大変さだと思われます。

感謝の心を知らないで育っておりましたら、見逃していたあの記事だと思って居り
ます。

それは、或る日の出来事でした。

学校から帰ってきて、急いでお米を研いでご飯の支度をしようと焦っておりました
から土間にお米がこぼれて仕舞ったのです。

初めの内は、手で拾い集めておりましたが、学校の宿題が沢山ありましたので
箒で掃いて捨ててしまおうと思ったのでした。

父が帰ってきて見つかるや否や凄い剣幕で怒られました。

米粒にしたら100粒位の物だったと思いますが、許して貰えず父が五合升に
米を入れて来まして、朝まで掛かっても良いからこの米粒が何粒有るか数えて
置けと言われたことを思い出したのでした。

たかが100粒の米でも1粒、1粒の集まりなのです。

その事を教えてくれた父に今は感謝しております。

小さな事が沢山集まってみんなが努力して良い社会を作ることに心を砕いている
のですから気持ちよく暮らすためにもお互いに感謝の気持ちを持って大切に生き
ていきたいと思ったのでした。




忘れない内に・・思い出すままに・・書いてみたい。

2006年01月18日 02時34分02秒 | 思いつくままに。。
夕暮れになると人恋しく成るような景色に弱いの
は敗戦後の焼け野が原を思い出すからだろか。

あの頃は本当になにもなかったと思う。

壊れた水道から水だけが噴き出していただけだった。

誰も無口で、疲れたような姿の復員の兵隊さんがリック
サックに鉄兜をくつけて丸めた毛布を上に載せて歩いている姿を珍しそうに
眺めていた。

あの焼け野が原から今のような豊な生活を誰が想像しただろうか。

辛い想い出だけれども書き留めていきたいと想う今日この頃です。

消えていきそうな想い出を追いかけて・・・