穏やかだった・・日々・・過ぎた日。

2006年04月06日 01時28分39秒 | 秋葉原の電気街で過ごした青春
幼い日の息子です・・・車が大好きで。
古いスバル360です。

貧しい生活でしたが・・・幸せでした。


6歳違いの大好きなお姉ちゃんと何時も
一緒に居たいのに・・・

パパが写した二人の子供達です。


お出掛け前の忙しい朝ご飯風景です。

狭い2DKの団地での生活でした。

夏は涼しく冬暖かく過ごすことが出来た
日々でした。

平凡でひたすら子供の成長を楽しみに過ごしていた頃です。

1970年頃だと思います。



思い出させて・・くれたひと・・(*^_^*)

2006年02月09日 12時53分27秒 | 秋葉原の電気街で過ごした青春
朝PCを開くとこの方から古い記事に
コメントが付いておりました。

昨年の今頃書いた記事だと思います。

コメントも無くションボリとサイトの中に
寂しそうに佇んでおりました。

懐かしく成って読み返してみました。

この所私がブログ熱が冷めたのか、記事が書けなくなったのか悩んでおりますと、
何時もそっと優しく背中を押して励まして下さって救いの手を差し伸べて下さいます。
有りがとう御座います。

コメントのお返事は懐かしさ溢れる物になりました。


[ひなたぼっこ] [2006/02/09 12:52] [ MyDoblog ] [削除]
何気なく書いた記事で此方が忘れて居りましたのに、思い出させて下さって、
有難う御座います。
又秋葉原日記も書かないといけませんね。
今はすっかりと変わり果てたようですが。
何処かですれ違っていたでしょうね・・・もしかしたらお客様だったかも知れませんね。
みんな手作りの時代で理系の学生さんは夜学で学んで今の時代を築いて下さったのですから、感謝しないといけないかも知れません。



懐かしい・・想い出・・待ちぼうけ(‥;)

2005年05月05日 07時04分26秒 | 秋葉原の電気街で過ごした青春
過ぎ去った月日が懐かしく思い出されるのはそれだけ
年を取ったせいかもしれない。想い出は何時までも
美しく、嫌なこともあったのだど思いますが思い出さ
ないのが良いところです。

初対面の時から2ヶ月くらいの月日が経っていた。彼と
二人きりで何処かに出掛けると言うことは無かったの
です。何時も誰かと一緒でそうゆう事を不自然だとは
思っていなかったし・・

二人だけになりたいと思ったことは特別になかったから・・GWの初めの日が初めてのデートの約束の日でした。その頃の彼は或る信号機の会社でアルバイトをしていて忙しく徹夜の日々が続いていたのでした。

新幹線が開通する少し前の時代でしたからATSの試作品の実験が連日続き約束はしたもののどうなることか・・

此方サイトは納品部品の量で想像が付くのでした。日増しに面倒な部品の依頼が多くなっておりましたから・・

デパートの屋上で10時の約束が何と現れたのが12時も過ぎて・・何処の浪人が来たかと思うような風貌でした。

夢と現実の違いをこの時すでに教育されていたのかも知れません。

技術屋の宿命で、実験が始まればキリが付くまでは現場を離れることが出来ないのです。

私も普通の女の子でしたから良く一人で2時間も待っていたと思います。それほど彼をよく知っていたわけでもありませんのに・・

池袋から電車に乗って日暮里まで行きますと彼は私をホームのベンチに待たせて一時間で戻ってくるから此処で待ってて欲しいとは・・

身繕いしてきたい気持ちは理解できましたので・本を読みながら待ちましたがキット駅員さんは気になっていたことでしょう・・今思うと申し訳ないことをしたと思います。

この人に付いていくのには待つことを覚悟しないといけないことを、朧気ながら気が付いていたようです。

此が縁だったのか分かりませんが・初めてのデートにしてはお粗末すぎました。

こうして待つことに成らされ続けた私でした。結婚してから聞いてみますと待てないようでは生活していけないからだと言われました。

何か新しいものを作り出すと言うことは常に時間との戦いの中にいると言うことのよう
です。

あの日怒って帰っていたら・・今の私はいないかも知れません・・つづく

「最初から待たされること教えられ最後まで待つ私がいてる」






秋葉原の電気街で過ごした。。。。私の青春時代その(1)

2004年12月09日 10時20分17秒 | 秋葉原の電気街で過ごした青春
秋葉原の駅くらい分かり難いところはない・・幾つもの階段が有って一つ間違えば、とんでもないところに運ばれてしまう。「山手線」・「京浜東北線」・「常磐線」と混雑の仕方が半端ではなかったホーム・・・一度だけ両国まで行ってしまったことがあります。

私が二十歳頃のお話です。
(あの頃は)TVもステレオもカーラジオも家で聞くラジオもみんな手作りで楽しんだ時代でしたから(S・30年代)・・・家での通信手段を個人的に楽しむのは・アマチュア無線が全盛期でした。


右を観ても、左を観ても、こんなに同じお店があってよくぞ潰れない物だと思ったのが
第一印象でした。

こんな男社会で、仕事が出来るのだろうか??不安ばかりが募る毎日でしたが・・
慣れるに従って(知らないものえの興味)は一旦火点くと留まるところを知りません。

いつの間にか気が付けば・・お客様の探している(特殊部品)が見つけ出せる私がいました。

神田の神保町当たりから・・上野の黒門町当たりまでが・・秋葉原の電気街に、関係有るお店がありました。

こんな下地が、有りまして・・この年でも何とかPCとお付き合いが出来る私がおります。

何処の「サイト」に行きましても、信じてもらえ無いのも辛い物があります。
今日は、これから・・VHSのビデオを二階のTVに接続しようと思っています。

旨くいったら。。拍手喝采で~す^^;

「資材課の 課長相手に 言い合った
 昔を思う 株式欄で」