姫谷焼の色絵の制作年代は水野家の時代であるのは間違いない。
江戸の初期に色絵をつくるには資金がたくさんいる。
藩か寺院ぐらいしか資金はない。野々村仁清は仁和寺がパトロンである。
お寺の関係かもしれない。姫谷焼の窯跡の土地の元の地主は浄土真宗本願寺派正福寺である。
福山藩には姫谷焼が一つも所蔵されていない。
所蔵されているところは浄土真宗本願寺派の寺院である。
大谷派の本願寺ではない。東本願寺ではない。
浄土真宗本願寺派は西本願寺である。
水野家は実の母親が東本願寺に葬られている。
姫谷焼はおそらく福山藩の焼き物ではない。