雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
宮沢賢治は、1896年、死者行方不明者2万1959人を数えた、明治三陸地震津波の年、岩手県に生まれました。そして、1933年、この時も主として津波によって死者1522人行方不明者1542を出した、昭和三陸大地震の年に亡くなりました。三陸の大津波は、昨年が初めてではありません。この100年余りの間にも、3回起きているのです。
今、宮澤賢治の”グスコーブドリの伝記”がアニメ化されて上映中です。2年続いた冷害で食べるものがなくなり、わずかな食料を子供に残すため、父が母が次々と家を出て吹雪の森の中に消え、妹は人買いにさらわれた少年ブドリが、農家を手伝いながら農業技術の勉強をし、成長してからは、火山の研究所で働き、最後は再び襲った冷害から人々を救うため、自分が犠牲になって火山を人工的に噴火させ、火山から出るCO2によって気温を上げる、という物語です。
宮澤賢治が三陸大震災大津波の年に生まれ、次の三陸大津波の年に亡くなったのは偶然でしょう。この映画がその次の三陸大津波の翌年にできたのは、資金難から頓挫していたこの映画にたまたま昨年度の文化庁からの補助がついたから完成したそうなので、これも偶然でしょう。
関東地方は今日梅雨が明け、暑い1日でした。