横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

自然災害はくり返す

2011-09-07 18:55:00 | 院長ブログ

今回の台風の被害は、とても大きなものになってしまいました。震災に続いて、自然災害の恐ろしさに呆然とし、それでもその地で生きてこうとする方たちの姿に心を動かされました。

震災直後に急いで帰国された、はす向かいのドイツの御一家の奥様が、すべてそのままだった家具などの整理をするために、1週間だけ日本にいらっしゃり、昨日ドイツへ発たれました。地震、原発事故に続いて台風のニュースは、ドイツへの帰国を決断したのが間違いではなかったと、あらためて確信されたそうです。聞くところによると、ドイツ大使館は、一時帰国であったはずの大使館職員の多くが日本に戻って来たがらず、多くの役職が空席のままだそうです。

今日、小児耳鼻咽喉科の原稿を書き上げ郵送しました。ここしばらく時間をとられていた仕事がひとつ片付いたので、読めずにたまっていた本のひとつを読みました。吉村昭の”三陸海岸大津波”です。最初に発刊されたのが1970年ですから、もちろん今回の津波のことではありません。主に、明治29年と昭和8年の2回の大津波について書かれた本です。

読んで驚いたのは、三陸海岸では、100年に1回か2回は、必ずこのような大津波が起こっていること。明治29年の津波の高さは、最も高いところで25メートルほどだったとの記録があります。このときの死者は、岩手県で22,563名、宮城県で3,452名、青森県で343名。当時は、人口も今よりずっと少なかったにもかかわらず、今回よりも死者は多かったのです。今回の津波がけして想定外であったわけではないことが分かります。

それでも故郷を去らなかった人たちの子孫の方たちが今回の被害を受けたのです。他の土地に比べれば、津波の備えはあったと思いますが、それも自然の力の前には無力だったのです。

福島原発の事故は、けっして2度と起こらないような特別な自然災害によって起きたのではありません。自然災害は、これからもそれほど遠くない将来、起こり得るのです。ひとりで脱原発を叫んだ菅さんは、思いつきだとマスコミにこぞって非難されましたが、何事もなかったかのように、今後も原発を続けていこうという経済界と経産省へ対する非難は、あまり聞かれません。原発の可否は、国民投票で決められるとよいのですが、日本にはそのような法律はありません。

日本人は我慢強く、それは大きな美点です。しかし、何事も終わってしまうと忘れてしまいがちです。経験を未来に生かすことを考えることも必要です。

 

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