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傾聴2 オープン・ハート 許しと裁き

2011-06-08 09:19:22 | 心理学
心を開く。

ハートを開く。

これらは、傾聴することによって得られる著しく大きな恩寵です。
私個人的には、これは「効果」や「結果」という言葉では表せないくらい大きな大きなものです。

心を開く。自分を曝け出す。
自分では思いっきりオープンなつもりでも、実は頑なに閉じていたりバリアを作っていたりすることがあります。一例として、自分ではとても社交的だと思っていても、どうも人付き合いで問題が起きてしまう。開いているつもりでも、心の扉をパタンと締め切っている場合、このような現実が起きる場合があるかもしれません。顕在意識上と無意識上との認識の違いですね。

又、難しいと私自身も思う一つとして、
上述と矛盾しますが、実は、心は割りと簡単に開いたりします。ただし、開き続けることは難しい。
そして、開き続ければいいというものでもない。場合によっては、ガードするために閉じることも大切です。

これを意識的にコントロールするのは・・・是非、目指したいものですが、私などが言うまでもなくとても難関です。
コントロールするからには、自分がどのような自分でいなければならないか。そこが焦点になってくるからです。


さて、この「心を開く」。

「心を開く」とは、自分を許すことではないかと思いました。
自分を許し、自分への裁きを終えることです。そして、自分を許せるとは「恩寵」の何物でもないと私は思います。


そして、どのようなときに心は開いていくでしょう。

自分の感情に共感してもらったとき。又、同じことかもしれませんが、自分の感情が排除されなかったとき。

言葉だけでなく、その後ろに控えている気持ちまで触れ合えたとき、孤独が拭い去られ、閉じていた心の扉が開いていくのだと思います。そしてそれは、耳を傾けてもらった片側だけの心が開いただけではありません。耳を傾けた聴き手の心も開いたからこそ生まれた温かさです。

また、心理的な変化というのは、自分以外の何か、自分が持っていない何か=外部を受け入れたときに起きるものだと思います。
聴き手が心を開いて、話し手の感情を受け止めた。
話し手の心に救いが生まれ、回復の灯りが灯り始める。そして自分以外の何か・・・今、自分が知り得ている以外の何かを受け入れようとする力が生まれ、その受け入れスペースのために心が開く。

これは、その人の今まで心を閉じさせていた理由まで触れ、溶かすことが出来たということと言えないでしょうか。


恐らくその理由とは、過去の出来事、振り返りたくない闇の部分、思い出したくない気持ち。
自分の意図だけでは主体的に近づこうとしない、もしかしたら気付くことさえも難しい場所。

そんな場所に他者(聴き手)が傾聴という行為を媒体として介在することで、話し手が自ら近付こうとする。触れようとする。手触りさえ感じようとする。これは「恩寵」としか思えない変化だと、私はやはり思います。

そして自ら触れていこうとすることは、そのまま自らへの許しなのだと思いました。
他者や境遇、環境からもたらされた傷よりも、私たちは、それをきっかけに自分で自分を裁き、更に傷付けている場合が意外と多いのではないかと思うときがあります。

「裁き」「許し」は、どちらかと言うとキリスト教の世界であり、ましてや宗教や哲学がさほど社会に根付いていない昨今の日本では、馴染みが少ない言葉かもしれません。しかし自らを裁いているかもしれない、そして自らを許していないのかもしれない。そのような別視点を持つことで、何らかのヒントになる場合もあるのでは・・・と思い、この記事を書いてみました。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆

今日も皆さんの全てが輝く一日でありますように。


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