ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

太陽は東か西か、中庸か。

2017-11-20 17:23:08 | 日本古代史
ふと思ったんですが、
7世紀後半に、それまでの「倭」や「ヤマト」から、国号が「日本」に定着したといいます。それから1300年あまり。。

聖徳太子が遣隋使、小野妹子に持たせた文書、
「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや・・」は第2回遣隋使派遣の607年。
日本という国号の起因の一つでしょうか。
「日出る」・・極東の島ですからね。

そして、私が疑問に思ったのは、それまでの「倭」「ヤマト」以前、日本という国は、民は自国を何と呼び、外部から何と呼ばれていたのだろうか、ということです。

というのは、アナトリア半島(現在のトルコ共和国のアジア地域)の「アナトリア」という名称は「アナトリコン(ギリシャ語で日出る処)」から由来していることを知ったことと(年代にすると900年くらい)、

出雲の日御碕神社では、天照大御神を「日沈の宮」に祀っていること、

又、日が沈むの英語、サンセット(Sun sets)の "set"という語彙は、
「あるべきところに戻す」
「本来の場所に収める」という意味を持っていることに、共通し、貫通する何かがあるのではと感じたからです。


※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※

東は、物理的に、太陽がが昇る方角。
西は、思想上、太陽が本来収まる場所。

上記事由により、そう捉えることも可能ではないかと思います。

例えば、トルコ(古代ではヒッタイト)、エジプト、キリスト教から関連するとエルサレムやローマ帝国が、その威厳を我が物とするために「西が太陽」とするのは分るような気もしますが、日本でさえ、我が国の神話上での太陽神であり、皇祖神の天照大御神を「日本の夜を守る聖地」と呼ばれる神社で、「日沈の宮」とする殿に祀っている神社が存在します。

そう考えると、現在の日本という国号が定着したのが7世紀後半であるという点からも...その時期は決して「古代」ではなく、現代に近い地点であることもあり、この国には、倭やヤマト(大和)の前の国号が存在していたのではないだろうか・・という思いを持ちます。

「日出づる」とは全く関係のないような、現在の解釈で読んだ場合、全く違う意味に捉えてしまうであろう呼び名だったかもしれない。もし、そうであれば、その当時はどんな呼び名だったのだろうと、つい思いを馳せてしまうのでした。

例えば、卑弥呼共立以前の倭国大乱にも「倭国」と残されているので、縄文時代後期・・紀元前300年くらいのときに、日本国の名称がどのようなものであったのか。でも当時は、国号も何もなかったかもしれないですね。当時は、一つの国ではなく、地域の共同集合体だったでしょうか。

また、こう書いてみると、古今東西問わず、太陽(の力)を我がものにしようとする背景を想像してしまいます。
でも、結局それが、太陽に支配「されている」になってしまっている。
太陽を欲し、一方で怖れ、畏れるが故に、民を支配せざるを得ない循環と言うか。。

「太陽」は、地に住む我々からすると空に見え、又、宇宙に存在する恒星ですが、
エネルギーとしては(そう呼べるものなのかちょっと分りませんが)、人間の内に存在するもの、
いわゆる「個の象徴=均衡を司る中庸の力=自分軸」ではないかと思います。

世の権力を持つ、地球的上のほんの少数の人々は、民が個に目覚めるのが、最も怖いことでしょうから。。
私の勝手な推測ですが、民がかつて、存分に個に生きていた古い時代を思い出さないように、彼らは、民を押さえ付け、迫害し、力を奪ってきたのかもしれません。

そうやって、権力者の思惑に利用されたり、戦乱で命を散らした兵士など、建国の過程過程で犠牲となった多くの方々のことを、かつてこの国では「ヤマトタケルノミコト」と呼んだのではないかと、私は思っています。


今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、皆さんの全てが輝き、光を与え合える一日でありますように。


歴史について

2016-08-22 23:55:10 | 日本古代史
日本の歴史では、私は、古代から飛鳥時代の頃までが圧倒的に好きです。
奈良・東大寺の大仏を建立した聖武天皇(45代)の頃になると、興味は少なくなり…と言っても、桓武天皇(50代)は好きですね。周囲の権力争い、陰謀、策略の果てに天皇となった感があり、立太子から即位していないせいか、皇族という感じがあまりしないのも何だかいいです(と、甚だ勝手な私の思い込みです)。それから、お母様の高野新笠も、とても興味深い存在の方です。

NHKの大河ドラマも「その時代ををやって欲しい!」と常々思っているのですが、時代考証等いろいろ難しいところがあるのでしょうね。

その中でも、好きな人物、そして、出来るなら仮説を展開していきたい人物は、この5名です。

1.卑弥呼
2.聖徳太子
3.天智天皇、中臣鎌足、額田王

神話の中では、猿田彦大神、豊玉姫、饒速日尊、日本武尊、手白香皇女。

こういった歴史の謎解きは、考古学的実証がないと何が本当か分かりません。
でも、埋もれていた何かが、もしも誰かの目に止まり、その人の何かに影響を与えるとも限らないのだと思います。こう言葉にすれば大袈裟で、実際、私に何ができるとも全く思ってもいませんが、好きな気持ちの赴くまま、勉強していきたいと思います。

邪馬台国って、分からないものなんですね。
それとも、発表できないのでしょうか。



今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。

今日も皆さんの愉しく、健やかな一日でありますように。