まだtwitterとの連携は不具合が続いているようです。
早く復旧するといいのですが。。只今確認作業を取って頂いているようですので、引き続き待ちたいと思います。
と、言うのも、私個人としても、こちらに記録が残るというのは非常に嬉しいことなんですね。
以前に書いていたことも、すっかり忘れていることが多いものですから、見返すと非常に有益な一言が見つかるのです。「時を超える」「時はない」もこのようなときに何度でも思います。かなり以前の文でも、まるで、今この時のことを書いていたかのようなものも多々ありますので。。
また、「記録は命」
特に今は、日本という一国家としても、変化の真っ只中・・・大きな分岐点の只中にることは間違いないと思います。今、私たち一人ひとりが感じていることは間違いなく宝であり、後でどれほどの意味と価値を持つものか・・きっと分ると思います。
さて、ここ数日、夢を見ることが本当に多く、それも一晩に何本ものストーリーを短編小説風に見ていました。疲れたのは仕事からの帰宅途中、電車の中で(時間にして約1時間)、20本ほど細切れで夢を見つ続けた日もありました。これには疲れた・・・。
少し話がずれましたが。
今日のタイトルに関係する夢は、これも実際の時間にすれば恐らく10分くらいだと思うのですが、非常に印象的なものでした。
以下、徒然と書いてみます。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
南の島・・・国内だと思いましたので、沖縄かその離島。
私は長い長い、道路、時として廊下を、ある場所を目指して歩いていました。
ジーンズとミュール。トップスはNY風なのか、ヨーロッパ風なのか、あまり日本では見かけないデザイントと色。
懐かしさと、静かな嬉しさを全身から漂わせているのが、自分でも分かる。
到着したのは、石を積み上げたような門構え、一歩入ると大きな植物、木が上手い具合にバランスよく配置されてる。
そんなダイニング・バーみたいな所でした。
噴水もあって、ウェイテイングプレイスと呼んでいいのでしょうか、
待ち合わせの人をそこで待ちたい場合は、入り口付近のカウンターで一杯先に飲むことも出来る。
とにかく、とても大きなダイニング・バーでした。
私が待ち合わせしていたのは、4人の男性。私を入れて5人で飲む予定だったようです。
ふと窓の外に目をやると、その4人の姿が。間もなく彼らも到着するようです。
そこで次の夢に変わりました。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・
「ずっとここに来たかったのよ」
「やっと来ることが出来た」
夢の中の私は、そのダイニング・バーの存在を知っていて、それも遥か遥か昔から。
やっと来れた嬉しさ・・・ただ手放しで大喜びという感じはなくて、静かに、言葉や態度には出さなくても、身体全体でその喜びを感じていました。胸はとても高鳴っていたと記憶しています。
「やっと来ることが出来た」、厳密に言うと、「やっと私の前に現れてくれた」が近いです。
そのバーは、その場所に物質として存在するのではなく、何の前触れもなく突如その人の前に現れるバーのようです。
まるで、村上龍さん著、『恋はいつも未知なもの』に登場する幻のジャズ・バーのようでした。
※一話完結が一つのストーリーとなって続いていくこの小説・・・メチャクチャお勧めです。ジャズ・ナンバーと共に、葉巻から吐き出されるくゆる煙、強いカクテル、唇の端を少しねじった苦笑いと共に、幻のジャズ・バーをテーマとして綴られた素敵な恋愛小説です。
『恋はいつも未知なもの』Amazonページはこちら
そして、このとき待ち合わせした4人の男性。
夢の中では、彼らの顔は良く見えませんでした。
でも、とても安心できる人たちだったことは確かです。
友達でもない、恋愛関係でもない、兄弟でもない、家族でもない。でも長い間、ずっと忘れることはなかった私と彼ら4人。その再会の夢でもありました。そしてその再会の前に、互いに顔を合わし、言葉を交わす前に、次の夢へと切り替わってしまいました。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・
この夢を見た翌朝、何かが変わったように感じて目覚めました。
私が住む部屋の中を、今までは違う目で見渡すような、そんな感触でした。
現れたダイニング・バー、そして5人の再会。
この「夢」からの目覚めは、日々を眠ったまま過ごしていた私の「夢」からの帰還だったようにも思います。
ただ、その二つの「夢」が意味するところは、まだ私には理解できていません。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も皆さん一人ひとりの愉しく健やかな一日でありますように。
早く復旧するといいのですが。。只今確認作業を取って頂いているようですので、引き続き待ちたいと思います。
と、言うのも、私個人としても、こちらに記録が残るというのは非常に嬉しいことなんですね。
以前に書いていたことも、すっかり忘れていることが多いものですから、見返すと非常に有益な一言が見つかるのです。「時を超える」「時はない」もこのようなときに何度でも思います。かなり以前の文でも、まるで、今この時のことを書いていたかのようなものも多々ありますので。。
また、「記録は命」
特に今は、日本という一国家としても、変化の真っ只中・・・大きな分岐点の只中にることは間違いないと思います。今、私たち一人ひとりが感じていることは間違いなく宝であり、後でどれほどの意味と価値を持つものか・・きっと分ると思います。
さて、ここ数日、夢を見ることが本当に多く、それも一晩に何本ものストーリーを短編小説風に見ていました。疲れたのは仕事からの帰宅途中、電車の中で(時間にして約1時間)、20本ほど細切れで夢を見つ続けた日もありました。これには疲れた・・・。
少し話がずれましたが。
今日のタイトルに関係する夢は、これも実際の時間にすれば恐らく10分くらいだと思うのですが、非常に印象的なものでした。
以下、徒然と書いてみます。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
南の島・・・国内だと思いましたので、沖縄かその離島。
私は長い長い、道路、時として廊下を、ある場所を目指して歩いていました。
ジーンズとミュール。トップスはNY風なのか、ヨーロッパ風なのか、あまり日本では見かけないデザイントと色。
懐かしさと、静かな嬉しさを全身から漂わせているのが、自分でも分かる。
到着したのは、石を積み上げたような門構え、一歩入ると大きな植物、木が上手い具合にバランスよく配置されてる。
そんなダイニング・バーみたいな所でした。
噴水もあって、ウェイテイングプレイスと呼んでいいのでしょうか、
待ち合わせの人をそこで待ちたい場合は、入り口付近のカウンターで一杯先に飲むことも出来る。
とにかく、とても大きなダイニング・バーでした。
私が待ち合わせしていたのは、4人の男性。私を入れて5人で飲む予定だったようです。
ふと窓の外に目をやると、その4人の姿が。間もなく彼らも到着するようです。
そこで次の夢に変わりました。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・
「ずっとここに来たかったのよ」
「やっと来ることが出来た」
夢の中の私は、そのダイニング・バーの存在を知っていて、それも遥か遥か昔から。
やっと来れた嬉しさ・・・ただ手放しで大喜びという感じはなくて、静かに、言葉や態度には出さなくても、身体全体でその喜びを感じていました。胸はとても高鳴っていたと記憶しています。
「やっと来ることが出来た」、厳密に言うと、「やっと私の前に現れてくれた」が近いです。
そのバーは、その場所に物質として存在するのではなく、何の前触れもなく突如その人の前に現れるバーのようです。
まるで、村上龍さん著、『恋はいつも未知なもの』に登場する幻のジャズ・バーのようでした。
※一話完結が一つのストーリーとなって続いていくこの小説・・・メチャクチャお勧めです。ジャズ・ナンバーと共に、葉巻から吐き出されるくゆる煙、強いカクテル、唇の端を少しねじった苦笑いと共に、幻のジャズ・バーをテーマとして綴られた素敵な恋愛小説です。
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そして、このとき待ち合わせした4人の男性。
夢の中では、彼らの顔は良く見えませんでした。
でも、とても安心できる人たちだったことは確かです。
友達でもない、恋愛関係でもない、兄弟でもない、家族でもない。でも長い間、ずっと忘れることはなかった私と彼ら4人。その再会の夢でもありました。そしてその再会の前に、互いに顔を合わし、言葉を交わす前に、次の夢へと切り替わってしまいました。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・
この夢を見た翌朝、何かが変わったように感じて目覚めました。
私が住む部屋の中を、今までは違う目で見渡すような、そんな感触でした。
現れたダイニング・バー、そして5人の再会。
この「夢」からの目覚めは、日々を眠ったまま過ごしていた私の「夢」からの帰還だったようにも思います。
ただ、その二つの「夢」が意味するところは、まだ私には理解できていません。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も皆さん一人ひとりの愉しく健やかな一日でありますように。