物作り出来るかな?

hige_deka/立体物の物作りブログ

想いをはせて、俺のガンダム原体験!!

2011-01-08 13:11:34 | Weblog
※今回は、かなり長文です。時間の有る方はどうぞ(笑)


今夏、東京ドームシティ プリズムホールで開催された
「ガンダムSUPER EXPO 東京2010」を見てきた。

「ガンダムSUPER EXPO 東京2010」


初期のガンダムプラモから最新のガンダムプラモ迄、ずらりと並び
色々懐かしい事も思い出して見ていた。

そこで、自分の「ガンダム」及び「ガンプラ」の原体験を年表風にまとめてみた。


俺のガンダム原体験年表!!

1979年
4月/「機動戦士ガンダム」放送開始

自分年表(8才)
まだ、ガンダムの「ガ」の字も知らない。
ロボットアニメはス-パーロボしか知らず、敵は宇宙人ばかり。
なので最初はガンダムの敵(ジオン軍)は宇宙人だと思っていた(笑)
シャアは変なマスクを付けているし・・・



画像はアオシマの合体プラモ

この頃からプラモデルを少しは作っていた。
幼稚園の頃はアオシマの合体プラモが大好きだった。
それらのプラモは今もジャンクパーツ・ボックスの中で改造に使われる出番を待っている。


1980年
7月/144分の1スケールのガンダムプラモ第一号発売
7月/徳間書店ロマンアルバム・エクストラ35「機動戦士ガンダム」発売


ゲーム&ウォッチ 発売

自分年表(9才)
親戚のおばちゃんが偶然に、徳間書店ロマンアルバム・エクストラ35「機動戦士ガンダム」を
選んで買ってくれた。

この時点でも「ガンダム」は知らなかったが、ロボットが載っているので何となく読んでいた。


ロマンアルバム・エクストラ

親戚のおばちゃんが何故この本を選んだかは謎。
「ガンダム」の存在や内容を知っているはずも無く、多分偶然だと思う。


1981年
3月/「劇場版 機動戦士ガンダム」公開
7月/「劇場版 機動戦士ガンダムⅡ ~哀・戦士~」公開
7月/ホビージャパン別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」発売
9月/OUT増刊「GUNDAM CENTURY」発売
10月/「月刊コミックボンボン」創刊


レーガン大統領 就任

自分年表(10才)
正確には覚えていないが、80年から81年にかけて、俺の周りでもガンプラ・ブームが起こり始める。
TVでもアニメの再放送が繰り替えされガンダムも大人気になる。
(注/ブームはプラモデルが先だった。当時、アニメはその原作位の感覚で、
内容の面白さに気が付くのはもっと後の事)

ガンプラは大人気なのでお店に入荷する数より買いたい客の数が圧倒的に多く、
開店前に行列が出来、抽選で購入者が決められるという情況だった。
(ガンプラを買う権利が貰えるだけで、どのモビルスーツが買えるかはその時点では選べない)

この様なブームだったので俺らの世代は男子ならば、ほぼ全員(悪ガキも含めて)ガンプラにはまっていた。
それはもう通過儀礼といっても過言では無い状況だった。



最初の100分の1スケールのガンダム

最初に買ったガンプラは100分の1スケールの「ガンダム」。
あの、腹はコアファイターむき出しで脚は膝しか可動しないヤツ。



HOW TO BUILD GUNDAM

兄がホビージャパン別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」を購入して来たので、
読み込んで改造方法や工具の使い方等を学んだ。


1982年
1月/月刊コミックボンボンで「プラモ狂四郎」連載開始
3月/「劇場版 機動戦士ガンダムⅢ ~めぐりあい宇宙(そら)~」公開
5月/ホビージャパン別冊「HOW TO BUILD GUNDAM2」発売


スペースシャトルが初の有人宇宙飛行

自分年表(11才)
劇場版は「めぐりあい宇宙」で初めて劇場に見に行った。
小学校の校則では親と一緒でないと映画館には行けなかったので、父と見に行った。
映画を見終わった後、父が言ったセリフ。
「それで、どれがガンダムだったんだ?」
確かに、前情報無しに3作目を見ても分からなかったかも・・・


ラストシューティング

父よ、これがそのガンダム(連邦の白いヤツ)だ!
既に、頭が無いけど・・・


1983年
3月/「模型情報別冊 MSVハンドブック」発売
4月/ガンプラのMSVシリーズが発売開始
11月/「GUNDAM MSV エースパイロット列伝」連載開始


ファミリーコンピュータ 発売

自分年表(12才)
この頃の数年間が一番プラモデルを多作していた時期かもしれない。
でもこの前、実家に帰ったら作ったプラモデルは捨てられていた・・・

144分の1スケールのガンダムプラモは肩の関節が特殊な構造で組み立てにコツがいる。
子供の頃は上手く接着が出来ずに肩が上に上がらないガンダムが飾られていた(笑)


最初の144分の1スケールのガンダム

画像は最近雑誌の付録で復刻した144分の1スケールのガンダムプラモ。
ほらっ、今なら可動出来る様に接着が出来る!!


1984年
4月/月刊コミックボンボン「機動戦士ガンダム MS戦記(MS戦記 機動戦士ガンダム0079外伝)」連載開始
月刊コミックボンボン「プラモ狂四郎」に「パーフェクト・ガンダム」登場


ロサンゼルス五輪 開幕

自分年表(13才)
ガンダムを見て初めて知った単語も多い。
「量産型」とか「汎用性」とか。

この頃から、自分でロボットデザインを描き始める。
将来の仕事はメカデザイナーに成りたいと考えていた。


コミックボンボンで連載開始された近藤和久さんの「機動戦士ガンダム MS戦記」に
出てくるハード・ディテール版の「ザク」を見て衝撃を受ける。

特にランドセル(バック・パック)の描き込みに惚れ込み、沢山模写した。


画像はその時に模写した漫画


1985年
3月/「機動戦士Zガンダム」放送開始
3月/「月刊ニュータイプ」創刊
11月/「B-CLUB」創刊


日航ジャンボ機 墜落事故

自分年表(14才)
以前にバルキリーの変形デザインを見て感動していたので、
「Zガンダム」の胴体(胸部と背中側)が前後に割れて厚みを薄く変形する方法はパクリだと感じていた。


マラサイ

画像はこの頃に作成した、森永チョコスナック(食玩)のガンプラのマラサイ。(300分の1サイズ)


1986年
3月/「機動戦士ガンダムZZ」放送開始
3月/モデルグラフィックス別冊「ガンダムウォーズ・プロジェクトゼ-タ/モデリングサポートマニュアル」発売


スペースシャトル・チャレンジャー爆発事故
「ドラゴンクエスト」発売


自分年表(15才)
中学の時は運動部しか選択肢が無かったので陸上部に入部したが、
高校では文化部も有ったのでアニメ部に入部しようと見学に行ってみた。
すると数名の上級生がソファーに座って、その周りを下級生が立ちながら並んで話し込んでいる。
少し話したら作業を始めるのかと(絵を描くのかと)思い待っていても、一向にオタク話は止まらない。
30分位経っても誰も絵を描こうとしないので、呆れて入部は辞めて仕舞った。
こんな所にいても画力は上がらないと思い、美術部に入部した。

美術部でデッサンの必要性を学べたので結果的に大正解だった。
あの時にアニメ部に入部していたら、デッサンも分からないただのアニメ好きに成っていたかもしれない。
名も知らないオタク話好きなアニメ部の人達よ、有難う。
あなた達のおかげで美術部に入部する事が出来ました(笑)


この頃の模型雑誌では「過剰ともいえるハード・ディテール」や
「メカ表現の為の、パイピング等」を施した作例が流行っていた。
この様な改造は決して厳密な考証の末に施されている訳では無いと思うので、
様式美に近い表現なのだが好きだ。

最近の模型雑誌では設定通りに綺麗に作った作例ばかりで面白くない。


80年代に模型雑誌で流行った様式美に近い表現

その様式美に近い表現の中心に居たのが(自分解釈)、
小林誠さんと近藤和久さん達の描くモビルスーツの絵だった。

この二人のデザイン・アレンジは、今でも俺の中でのデザイン・センスの師匠として
色濃く根付いている。


画像は87年位に描いた「小林誠さん/近藤和久さんに影響を受けて描いた・ZZガンダム」


1987年
2月/モデルグラフィックス別冊「ガンダムウォーズⅡ・ミッションダブルゼ-タ/パーフェクトモデリングマニュアル」発売
8月/雑誌モデルグラフィックス「ガンダム・センチネル」連載開始


国鉄分割民営化
「ファイナルファンタジー」発売


自分年表(16才)
この頃に、イラストレーターの
開田裕治さん
高荷義之さん
加藤直之さん
等のイラストを見て、セル画表現では表現しきれないイラストの魅力に気が付く。
その影響で、将来の仕事はイラストレーターに成りたいと思い始める。


モデルグラフィックス連載の「ガンダム・センチネル」でカトキハジメさんのデザインに惚れ込んだ。
面取りの重要さを初めて学んだ。
この連載で初めて、理解したガンダム世界の用語も多い。(Iフィールドとか)


カトキハジメさん・デザインが描くMS達


1988年
3月/「劇場版 逆襲のシャア」公開

東京ドーム・オープン

自分年表(17才)
ZやZZ時代の模型の作例で情報過多な立体が好きに成っていたので、
逆襲のシャアのMSの原点に戻った様な(線の少ない)デザインには少しガッカリした。
特に肘や膝の関節は貧弱に見えて嫌いだった。





画像は88年位に描いた「小林誠さん/近藤和久さんに影響を受けて描いた・νガンダム」


1989年
3月/「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」発売

年号が平成に
天安門事件


自分年表(18才)
「ポケットの中の戦争」でも、MSデザインは出渕裕さんだが
劇中でのハイゴックの腕の動きには感動した。
アニメーションの動きで見せるダイナミズムを、初めて実感した気がする。


ハイゴック


1990年以降

自分年表(19才~)
ガンプラは段々作らなく成っていくが、1995年のマスターグレード発売以降は
またガンプラ作りに勤しむ事に成る。


1995年のマスターグレード

以降も「ガンダム」作品はそのまま見続けて現在に至る。

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2 コメント

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懐かしい。 (イチロウ。)
2011-01-17 09:32:04
いや、多くを語らんが感動した。
ガキの頃をマジで振り返ってしまった。
有難う、すごく良かったよ。
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イチロウ。 さん、コメント有難う御座います。 (hige_deka)
2011-01-18 00:48:39
「三つ子の魂百まで」って感じでしょうか?
あれ?使い方間違ってますか(笑)
しかも、ガンダムを知ったのは9歳の時だし(笑)

今度、イチロウ。 さんのガンダム原体験の話も聞かせて下さい。
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