父はよく「七つの子」を歌ってくれた。
音痴だからこれしか歌えないと言いながら、それが子守歌の代わりだった。
母には「ゆりかごのうた」を歌って貰っていたと思う。
娘には必ずこの二つの歌を続けて歌ってやる。
じぃじとばぁばが歌ってくれた歌だと教えながら。
皆様には数々のご心配をおかけしましたが、9月21日午前3時35分に父が永眠いたしました。
長い闘病生活で心身共に疲れ切っていたと思います。
正直、見舞いに行って帰るときに、私を見ながら必死に涙を堪える父を見るのは辛かったです。
でも、それ以上に父の方が辛かったんだろうなぁ。
15日くらいから微妙に意識が混濁しているような発言があったのですが、19日に病院に直行したときには、もう動く力も残っていなかったのに、娘に手を伸ばして目を細めて笑っていました。
私たちが来たのを見て「(大丈夫だから)早く帰れ」と言い続けていました。
ベッドが廊下にあったのですが、どうやら父が「暗い」「外に行きたい」と言っていたようです。
もう意識自体がハッキリとしていなかったんでしょうね。
だんだん暗くなる視界の不安、腹部の痛み、医者に言わせると「生きているのが不思議な数値」の血液中の様々な値。
「このままだと良く保ってひと月。ただ、薬を直接体に入れて痛みや苦しみを取り去ってあげた方がいいのでは?」
と医者に言われ、苦悶のひと月弱を過ごさせるか、意識もなくその代わり痛みもない数日を過ごさせるかの選択を迫られ、父の兄妹が揃う月曜日以降に薬をお願いする。
当然とは言え、また聞かされる医者の保身に辟易しながら、親戚に連絡。
そして土曜、昼の見舞いを終え、もう一つの問題、母の生活費が実は底をついていたのでなんとかしなければ、と、父の貯金を引き出しに行くが、暗証番号違いで結局引き出せず。
とりあえず、60万自分で下ろし、持ってきた10万でやりくり(苦笑)
教訓。
危ないときには、なりふり構わず先にお金を引き出しておきましょう。
夜、従姉を迎えに行って帰ってきた後に眠りにつこうか、という11時頃、病院から電話。
急いで母、従姉、私で病院。
行ってみると先生が心臓マッサージ中。
心停止して自発呼吸もない状態。
聞けば昇圧剤でどうにか血圧を上げているとのこと。
それでも50より上の数字が出ていない。
父を呼ぶ。
こう言うときは大声で呼んでやると戻ってくると、何かで聞いたことがあった。
4人部屋で他の患者さんに迷惑かと思ったけど、大声で呼んでみる。
すると、人工呼吸器を使って1分間に3度ほどの呼吸が少しずつ増え、やがて自発呼吸できるまでに快復。
その後はただひたすら父を呼び、話しかけ、帰ってくるように声をかけ続けました。
手をさすり、虚ろになる目をのぞき込み、まぃよが来るよ、というと、微かに頷く父。
もう一度心停止した場合、薬を使って無理矢理生かせるか、昇圧剤の点滴のみで行くか決めて欲しいと言われるが、どうして良いかわからなかった。
ただ、父を呼び続けて数時間。
昔のことを話し、これから千葉に行って孫と一緒にあちこち遊びに行こうと話し、良くそれだけ話すことがあると母に呆れられながら、せめて朝、まぃよが来るときまでと思っていたのだけど、3時10分を過ぎた頃、次第に呼吸が弱まり、弱々しい目の光りが更に弱まっていくのを見ながら、命はこうやって消えていくのだな、と実感しました。
痛みを感じるほどの意識が無かったせいか、がんの痛みに耐え苦しんだ父とは思えないほど静かに、眠るように息を引き取ったのが幸いでした。
父の痛みがどれほどのものか、わからないけど、本当に最後までよく頑張ったと思います。
娘一家の顔を見るまでと、がんばっていたんだろうなぁ
悲しいんだけど、実際泣いている暇なかった(笑)
ふっとしたときに涙が込み上げるんだけど、やらなきゃいけないことが山積しているし、娘が微妙に笑わせてくれるし(笑)
私も長く実家にいられないので、急いで急いでお通夜も葬儀も終わらせ、色々な届け、年金のことも取りあえず大物以外、すませてきました。
銀行では本当は死んだ人の口座は使えないんだけど(父はキャッシュカードも作ってなかったし)、葬儀代がないからと泣きついてお金を下ろさせてもらったりとかね(笑)
従姉やウチの旦那、それから葬式も教えなかったのに(笑)、書類関係のことを教えにすっ飛んできてくれた母の従弟がいなかったら、まだ途方に暮れてたかも。
とりあえず、四十九日も決めてきたし、車も売ったし。
特に役所や銀行の休みの日を挟んでるから、焦っちゃった。
というわけで、また来週、帰ります。
保険関係や高額医療費の相談、郵便局(難敵らしい)、実家の土地建物の相続について相談しにいかにゃぁならんのよ(笑)
ホント、泣いてる暇ないよ~(笑)
今日はさすがに一杯寝たけど、まだ眠い(笑)
音痴だからこれしか歌えないと言いながら、それが子守歌の代わりだった。
母には「ゆりかごのうた」を歌って貰っていたと思う。
娘には必ずこの二つの歌を続けて歌ってやる。
じぃじとばぁばが歌ってくれた歌だと教えながら。
皆様には数々のご心配をおかけしましたが、9月21日午前3時35分に父が永眠いたしました。
長い闘病生活で心身共に疲れ切っていたと思います。
正直、見舞いに行って帰るときに、私を見ながら必死に涙を堪える父を見るのは辛かったです。
でも、それ以上に父の方が辛かったんだろうなぁ。
15日くらいから微妙に意識が混濁しているような発言があったのですが、19日に病院に直行したときには、もう動く力も残っていなかったのに、娘に手を伸ばして目を細めて笑っていました。
私たちが来たのを見て「(大丈夫だから)早く帰れ」と言い続けていました。
ベッドが廊下にあったのですが、どうやら父が「暗い」「外に行きたい」と言っていたようです。
もう意識自体がハッキリとしていなかったんでしょうね。
だんだん暗くなる視界の不安、腹部の痛み、医者に言わせると「生きているのが不思議な数値」の血液中の様々な値。
「このままだと良く保ってひと月。ただ、薬を直接体に入れて痛みや苦しみを取り去ってあげた方がいいのでは?」
と医者に言われ、苦悶のひと月弱を過ごさせるか、意識もなくその代わり痛みもない数日を過ごさせるかの選択を迫られ、父の兄妹が揃う月曜日以降に薬をお願いする。
当然とは言え、また聞かされる医者の保身に辟易しながら、親戚に連絡。
そして土曜、昼の見舞いを終え、もう一つの問題、母の生活費が実は底をついていたのでなんとかしなければ、と、父の貯金を引き出しに行くが、暗証番号違いで結局引き出せず。
とりあえず、60万自分で下ろし、持ってきた10万でやりくり(苦笑)
教訓。
危ないときには、なりふり構わず先にお金を引き出しておきましょう。
夜、従姉を迎えに行って帰ってきた後に眠りにつこうか、という11時頃、病院から電話。
急いで母、従姉、私で病院。
行ってみると先生が心臓マッサージ中。
心停止して自発呼吸もない状態。
聞けば昇圧剤でどうにか血圧を上げているとのこと。
それでも50より上の数字が出ていない。
父を呼ぶ。
こう言うときは大声で呼んでやると戻ってくると、何かで聞いたことがあった。
4人部屋で他の患者さんに迷惑かと思ったけど、大声で呼んでみる。
すると、人工呼吸器を使って1分間に3度ほどの呼吸が少しずつ増え、やがて自発呼吸できるまでに快復。
その後はただひたすら父を呼び、話しかけ、帰ってくるように声をかけ続けました。
手をさすり、虚ろになる目をのぞき込み、まぃよが来るよ、というと、微かに頷く父。
もう一度心停止した場合、薬を使って無理矢理生かせるか、昇圧剤の点滴のみで行くか決めて欲しいと言われるが、どうして良いかわからなかった。
ただ、父を呼び続けて数時間。
昔のことを話し、これから千葉に行って孫と一緒にあちこち遊びに行こうと話し、良くそれだけ話すことがあると母に呆れられながら、せめて朝、まぃよが来るときまでと思っていたのだけど、3時10分を過ぎた頃、次第に呼吸が弱まり、弱々しい目の光りが更に弱まっていくのを見ながら、命はこうやって消えていくのだな、と実感しました。
痛みを感じるほどの意識が無かったせいか、がんの痛みに耐え苦しんだ父とは思えないほど静かに、眠るように息を引き取ったのが幸いでした。
父の痛みがどれほどのものか、わからないけど、本当に最後までよく頑張ったと思います。
娘一家の顔を見るまでと、がんばっていたんだろうなぁ
悲しいんだけど、実際泣いている暇なかった(笑)
ふっとしたときに涙が込み上げるんだけど、やらなきゃいけないことが山積しているし、娘が微妙に笑わせてくれるし(笑)
私も長く実家にいられないので、急いで急いでお通夜も葬儀も終わらせ、色々な届け、年金のことも取りあえず大物以外、すませてきました。
銀行では本当は死んだ人の口座は使えないんだけど(父はキャッシュカードも作ってなかったし)、葬儀代がないからと泣きついてお金を下ろさせてもらったりとかね(笑)
従姉やウチの旦那、それから葬式も教えなかったのに(笑)、書類関係のことを教えにすっ飛んできてくれた母の従弟がいなかったら、まだ途方に暮れてたかも。
とりあえず、四十九日も決めてきたし、車も売ったし。
特に役所や銀行の休みの日を挟んでるから、焦っちゃった。
というわけで、また来週、帰ります。
保険関係や高額医療費の相談、郵便局(難敵らしい)、実家の土地建物の相続について相談しにいかにゃぁならんのよ(笑)
ホント、泣いてる暇ないよ~(笑)
今日はさすがに一杯寝たけど、まだ眠い(笑)
意識がもうろうとしててもこちらを気遣ってくれるんですよね。うちのおばあちゃんも癌で亡くなりましたが、わみさまのお父さんのような気遣いをしてくれました。
わみさまや親戚の皆さんも大変だったでしょう。まだまだ大変そうですが・・。体の調子や気持ちの変化に気をつけて無理しないでくださいね。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございます。
何処まで意識がハッキリしてたのか、してなかったのかわからないんですが、やっぱりそうやって気遣ってくれるものなんですね。
実家の母の分の手続きをしないといけないので、二度手間、三度手間なんですがしかたないっす(笑)
適度にがんばりますよ、たまに美味しいものを一人で食べてっ(笑)!
本当にありがとうでした!