秋の深まる11月に志布志市を訪れました
古刹大慈寺。創建1340年。臨済宗の禅寺
大慈寺は創建から100年後に臨済宗十刹の一つに加えられた。薩摩藩時代は島津氏の庇護を受ける。16の支院と100人以上の僧坊がいたが明治2年の廃仏毀釈で一度は取り壊され明治12年に再興された。仁王像は廃仏毀釈の際、土中に埋めて破壊を免れ、寺の再建と同時に門前に移された。
7月に訪れた時は生憎の大雨であったが今回は秋らしく晴天に恵まれた
同じ通りの金剛寺。立派な門構えである
武家屋敷群地区へ。右角は平山氏邸
奥は志布志麓の中心、沢目記馬場。左に曲がると西谷馬場
平山氏庭園。志布志麓三庭園の一つ
秋の日差しが柔らかい
左右の袖に短いながらも小屋根が付いた武家門
平山氏邸の向かいの鬼塚茶園。隣に石柱の門が建っている
志布志城跡の登り口(大手門)に武家門が建っている
志布志城跡の登り口。石垣と武家門が残っている
今まで見た武家門の中で、幅が一番狭いかも知れない
黎明館に志布志城の模型が展示されていた
模型を見ると山の頂上を平らに整地して砦のような屋形が建つ
沢目記馬場の井戸。志布志湧水群の一つ
鳥濱氏庭園。業者により庭園内の庭木の剪定作業中
志布志麓三庭園の一つ、天水氏庭園のある天水氏邸
天水氏邸は沢目記馬場の突き当たり。岩盤を削った通路の入口に門がある。他では見られない
奥は鳥濱氏庭園のある鳥濱氏邸
中世に築造された志布志城は、内城・松尾城・高城・新城など複数の城郭からなる山城で、志布志城の谷筋に拓かれた5つの馬場に沿って武家屋敷地が帯状に展開された。志布志麓は海陸の交通の要衝として藩内でも有数の規模を誇った。
(続く)
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