鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 甑島麓・手打 02

2008-12-06 | 麓-薩摩川内

翌朝、出航までの時間を利用し手打の武家屋敷通りを散歩しました

手打集落の西の端にある武家屋敷通り入口。フェリー乗り場の近く

 

武家屋敷通りを歩いて新田神社までは約2km。徒歩30分の散策コース 

手打では民宿に泊まる

屋根の軒下に屋号らしき看板が小さく下げられている。手打の商店はつつましい

台風対策か屋根の瓦が塗り固められている。

 

武家屋敷通りに面した法雲寺。門柱の色が派手だ

 

玉石垣の上にピンク色の花が咲いている

 

玉石垣の上にソテツが植えられている

 

小柄な円柱の左右の門、正面には生垣の目隠し、奥に見える低い屋根

 

 

 

大照寺。このお寺にも廃仏毀釈の跡があった

 

朝方だが、前日夕方の景色とあまり変わりないようだ

 

 

武家屋敷通りから少し離れた高台にある、釣りバカ日誌のロケに使用された民家。

 

里港フェリー乗り場。串木野港行きの高速船シーホークがやってきた

(訪問記)

甑島を初めて訪問し、念願の里、手打の武家集落を見て回った。串木野からフェリーで1時間かかる東シナ海の洋上の島に薩摩藩の武家集落が形成されたこと、当時の麓集落の面影がいまも残ることに強い感銘を受けた。

薩摩藩時代、貿易の取り締まりの拠点として甑島が重要視された証であろうと思う。

甑島への入込み客は年間で1万人ほど。ほとんどが釣り客。観光目的の客は少ないようだ。武家屋敷通りを歩いても観光客目的の土産屋は見かけない。皮肉にもそれが良好な景観を保持する要因になっている。

「自然遺産と伝統的な薩摩の武家集落が残る島」甑島はそんな感じの島。

※里、手打の両地区は伝統的建造物群保存地区に指定されてもおかしくない。



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