残暑が厳しい8月下旬、鹿屋市にある串良麓を訪れました
串良郷の旧地頭仮屋跡
串良支所
串良麓は現在の串良総合支所(旧役場)から串良小学校のあたりを中心として広がっていたと思われる
鹿屋市立串良小学校。麓の小学校らしく武家門をデザインした正門。スケールが大きいですね
岡崎郵便局の角を曲がって道沿いに歩くと、武家門に出会う。背の高い生垣が続く
用水路に沿って曲がってみた
麓らしい雰囲気をそこかしこに感じる
突然、素晴らしい空間が現れる。石垣と生垣がずっと続いている
武家門に三段積みの石垣と生垣
藩政時代の麓がそのまま残っているようだ。江戸時代にタイムスリップしたように感じる
秋(春?)には生垣が色付いて目を楽しませてくれそう。背後の木々にも歴史を感じる
串良郷は志布志、根占と並ぶ大郷で、薩摩藩時代は1万8千石以上を産する豊かな土地であった。串良郷は明治22年の町村制施行により串良川を境に東西に分かれ、西串良村と東串良村に分かれた。昭和7年に串良町と東串良町に改められ、串良町は高山町、鹿屋市などと合併し、現在は新生鹿屋市の一部となっている。
旧串良町は大隅半島のほぼ中央部に位置し、国道220号線の要衝にあたる。東は東串良町、南は旧高山町、西は旧鹿屋市、東北は大崎町に接する。
(続く)
色々教えて頂き有難うございます。地頭館の門や石垣は当時のままだったんですね。新しく道路ができる前はどんな状況だったんでしょう。串良郷土史を読むと「町役場の前の道路は、仮屋馬場といって昔から広い通りだった」らしいですが、ちょっと当時を想像できmません。今の公民館前の駐車場に道があったということでしょうか?
用水路脇の小道は戦後に作られたんですか。昔からの通りだと思ったんですが、違うんですねえ。
それにしても素晴らしい一画を良くぞ残してくださったと思います。自然と調和した薩摩独自の美しさ。これだけ東西に長いと生垣や木々のお手入れがさぞかし大変だろうなあと実感しました。
串良は大郷だけあって奥行きが深そうです。今度訪問するときは残る武家門に出会えることを期待していきます。高山の流鏑馬の時期に合せて行けるといいなあと思う私です。
昔は道路のところ(旧地頭館の敷地)が小学校の敷地でした。城山を削って小学校が何十年もかけて少し移動したということですね。
今の小学校の校庭は シラス山でした。
武家門は あと3ヶ所はありますね。30年ぐらいで
私が知る限りでも 4ヶ所消えました。敷地ごと 跡形もありません。住む人がいなくなり、荒廃 家屋解体、敷地荒廃 門朽ち果てると同時ぐらいに敷地整地
転売。 以外と武家門は朽ち果てながら最後まで のこるんですよね。不思議なもんです。
用水路脇の小道も40年位前に作られた道です。
道を作って 敷地を切り売りされたということですね。もう少し先まで行かれると 1つ 武家門があります。