平成17年、西原町幸地の壕跡から日本軍の九六式一五糎榴弾砲が発掘されました。町では原型をとどめないほど破壊されたこの榴弾砲を復元し、町立図書館に展示しました。
榴弾砲の前に置かれた石碑には次のように書かれています。
「この榴弾砲は、去る太平洋戦争の沖縄戦において、日本軍が使用した大砲で、平成16年12月、西原町幸地集落南西部の陣地壕跡から発見された。西原町は、この榴弾砲が原型を留めないほどにすさまじい日・米両軍の銭湯がくりひろげられた激戦地で、当時の住民の役47%の尊い命が犠牲になった。破壊された榴弾砲をこの地に展示することにより、戦争の悲惨さ愚かさを認識するとともに戦争のもたらす恐ろしさ、悲しさを語り継いでいく手がかりとしてほしい。二度とあの忌まわしい戦争を起こしてはならないという近いと、平和の尊さを実感し、さらには平和教育の資料として役立つことを願い、終戦60年の節目にあたりこの榴弾砲を展示する。 平成17年8月15日 西原町」
ところが、この展示が住民たちの物議をかもすことになりました。
西原町は町(当時は村)全体が戦場となり、戦跡は街の中に残り、また住民の記憶の中にもとどまっています。町を戦場とし多くの犠牲を生んだ日本軍の武器を飾るとは何事か、というわけです。
大砲が自分を狙っているようで、怖くて図書館に行けない、という住民もいます。
それに対して図書館の館長は「だったら他の図書館に行けばいい」と発言したものだから問題はこじれた、と当時の沖縄タイムス紙で読みました。
この問題、現在は落ち着いているようですが、実際に図書館の入り口から見るとこんな感じです。
戦争を体験した人にとっては悪夢がよみがえる感じなのでしょうね。戦争を知らない私でも、確かにあまり気持ちのいいものではありません。
図書館はそれぞれの地域の歴史をとどめ、資料を保管し、未来に繋ぐという重要な使命があります。遺物を保存するということは大切なことではありますが、その保存方法が住民に理解されていないという残念な結果になっています。
また、この榴弾砲は綺麗に復元され、塗料も塗られています。はたしてここまで手をいれていいのかどうかも今後検討されるべき問題であると考えます。
原型をとどめないくらい朽ち果てているほうがいいかもしれないです。
一番いいのは「現場」で保存。それができないのであれば、そのままの姿を保存するのが価値を損ねないと思うのですが。
らなこ、
見たい。いつか行くぞ、鹿児島。