管理人のうちなーライフかりゆし日記

管理人てぃんがーらが沖縄の生活を綴ります。

伊江島の戦跡5 アハシャガマ

2012年04月01日 | 博士の研究日記

アハシャガマは伊江村東江前の耕作地の中にある自然壕で、戦時中、東江前や東江上の住民約20世帯(約120人)が避難していました。

 米軍が上陸すると、追われた日本軍も壕に合流しました。米軍は戦車やガス弾による攻撃を行いました。
 米軍は投降するように呼びかけましたが、ガマの中はパニックになり、945年4月22日住民たちはガマの中央に集まり、防衛隊の持ってきた機雷によって集団自決しました。

 村によって作られたプレート。150人が犠牲になったということです。

 内部の様子。機雷の爆発によって天井が崩落し、土砂が堆積しています。 首から下が埋まるほどの土砂が落ちたといいます。

 内部には遺品が散乱しています。
 1971年12月になって、ここから百数十体の遺骨が発掘されました。

 



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8 コメント

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Unknown (osakaken)
2012-04-01 21:11:49
150人も 一つの穴で亡くなる・・。
むごいことだと 思います。
狭い穴が 余計にそう思わせます。

先日 広島原爆資料館に行きました。
やはり見つめることができない・・辛い事に目を背けてはいけないと思いながら 全部読めませんでした。
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まだ押入れに押し込められる方が… (稗島千江)
2012-04-02 01:49:07
こんなに、暗くて淋しい場所で、生きていくことを放棄しなければならなかったかと思うと、しんどい話ですね。
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Unknown (☆アルファ☆)
2012-04-02 06:49:15
シムクガマのようなケースもあったことを考えると、
ほんとうに残念です。
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Unknown (ちんちら ぽっぽ)
2012-04-03 06:47:07
えっ、まだ遺品が散乱してるんですか?
もっと丁寧にしなきゃぁ~
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ぱぴこ (papiko75w@yahoo.co.jp)
2012-04-03 20:12:52
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Unknown (らなこ)
2012-04-06 17:06:48
遺骨はどなったのですか?
集団で納骨されたのですか?
こんな狭いとこで集団自決とは無念だったことでしょう
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Unknown (沖縄のちえさん。)
2012-04-06 20:31:53
皆様のその時の思いがまだまだ残っているようで、自分の用件が終わり次第、壕をお尋ねして、香の良いお線香をたむけたいと思います。写真を見せて頂いたおかげですね。誰にでも行って安易に写真が撮れるわけではありませんね。てぃんが-ら様だから出来たことだと思います。お礼を申し上げます。
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コメントありがとうございます。 (てぃんがーら)
2012-04-07 03:50:31
少々仕事が多忙で放置してました。
申し訳ありません。

伊江島は沖縄戦の縮図と言われるように、およそ沖縄戦で起きたことが、この小さな島で繰り広げられました。
こうした戦跡は、戦後長らく放置され、今でも遺品が残っているガマは多数あります。
ただ、現在は持ち出すことを禁じています。
遺骨は収拾されています。

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