アハシャガマは伊江村東江前の耕作地の中にある自然壕で、戦時中、東江前や東江上の住民約20世帯(約120人)が避難していました。
米軍が上陸すると、追われた日本軍も壕に合流しました。米軍は戦車やガス弾による攻撃を行いました。
米軍は投降するように呼びかけましたが、ガマの中はパニックになり、945年4月22日住民たちはガマの中央に集まり、防衛隊の持ってきた機雷によって集団自決しました。
村によって作られたプレート。150人が犠牲になったということです。
内部の様子。機雷の爆発によって天井が崩落し、土砂が堆積しています。 首から下が埋まるほどの土砂が落ちたといいます。
内部には遺品が散乱しています。
1971年12月になって、ここから百数十体の遺骨が発掘されました。
むごいことだと 思います。
狭い穴が 余計にそう思わせます。
先日 広島原爆資料館に行きました。
やはり見つめることができない・・辛い事に目を背けてはいけないと思いながら 全部読めませんでした。
ほんとうに残念です。
もっと丁寧にしなきゃぁ~
集団で納骨されたのですか?
こんな狭いとこで集団自決とは無念だったことでしょう
申し訳ありません。
伊江島は沖縄戦の縮図と言われるように、およそ沖縄戦で起きたことが、この小さな島で繰り広げられました。
こうした戦跡は、戦後長らく放置され、今でも遺品が残っているガマは多数あります。
ただ、現在は持ち出すことを禁じています。
遺骨は収拾されています。