1991年5月に佐敷町津波古で、旧日本軍93式発射魚雷が8発発見されました。
いずれも弾頭、信管が装着されておらず無事発掘、撤去され、そのうちの1基が佐敷町にて保管されることとなり、佐敷町(現南城市)字新開1-240の佐敷町老人福祉センターの敷地内に展示されました。
道路沿いの駐車場後ろの共同作業所の前に93式魚雷が安置されています。
共同作業所さしき。軒下に不釣り合いな物体が・・・。
93式魚雷は皇紀2593年(昭和8年)に完成した全長7.55m、重量2000kgの酸素式魚雷です。500kgの火薬を先端に搭載し雷速36ノット、射程40kmを誇る新兵器でした。燃料の燃焼に酸素を使うエンジンは、連合国も開発できない優れた技術でした。
しかしながら、米航空機による爆撃が中心となった沖縄戦では、ほとんど戦果をあげることができないまま、終戦を迎えることとなりました。
半球になった燃料タンクの先端部。この前部に約500kgの火薬を搭載できた弾頭と信管が装着されました。その破壊力はすさまじく、連合軍を恐怖におとしいれたということです。
連合軍でも開発ができなかった酸素エンジン部分。圧縮酸素により燃料を燃やし、その結果排気ガスは二酸化炭素のみで窒素を含みません。二酸化炭素は水に溶け易く、ほとんど雷跡を残さずに巡行でき、発見は非常に難しかったといいます。
ただし酸素タンクに純粋酸素を充填するのも難しく、事故も多発したということです。
スクリューは二重反転構造になっていて回転モーメントを互いに打ち消し合い、直進性を高めています。この推進装置を流用し、戦争末期には人間魚雷「回天」が製造されました。
実に悲しいことです。
お父様は その事を一生気になさっていたそうです。
造る事が仕事であっても 人の命を奪う事を仕事にしていた事に変わりは無いと・・。
酸素エンジンって初めて聞きました。
すなわち燃料はなんだんですかね?
殺し合いに使うすべてのエネルギ-を、これからは、平和へのエレルギ-に用いられる事を望みます。
私の先のコメント、昨日初めててぃんが-らさんのさとうきび日記を見たのです。美しい映像にお人柄を見る思いがしました。それから、ぜひ、久高島に行かれて下さい。
私と違って、全く視点の違うてぃんが-らさんだからこそ、得る事があり、皆様へのメッセ-ジが多く伝えられるのではないかと思いました。
この技術力が、他の方向で発揮できれば良かったのですが。
恐ろしいもの、見せて貰いました。
殺し合いの道具、これでもか、これでもか、と発達し、持っていれば使ってみたくなるのが、人間の心理ですよね。欲望のシンボルを見る思いがしました。
HPも楽しく、恐ろしいものの後に、サトウキビ、パパイヤで楽しみました。とても美しい映像で、やはり平和は素晴らしい!