那覇市若狭の海辺沿いの小高い丘にある旭ヶ丘公園。園内には波の上宮や護国寺、波の上ビーチがあり、市民の憩いの場となっています。この丘に日本軍が陣地壕を構築しています。都市部の公園とあって、現在すべての壕口はブロックにより閉鎖されていますが、公園を一周すると数多くの壕口を確認することができます。
公園の南東にある壕口。道路から3mほどの高さにあります。斜面が道路により削られたために露呈したものです。
南側にある壕口。
同じく南側の丘の中腹にある壕口。
ビーチ近く公園内にあるトーチカ跡。
同じく公園内にあるトーチカ跡。海岸線を狙ったものです。
公園の一角にある対馬丸記念館。昭和19年8月22日、那覇国民学校の疎開学童、引率教員、一般疎開者、乗組員1788名が乗った対馬丸は、鹿児島県悪石島付近で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没、1418名が犠牲となりました。
この事実を後世に伝え、平和教育の一環となるように設立された記念館です。HPはこちら。
市内唯一の海水浴場である波の上ビーチ。観光客も多く訪れます。
植物で覆われ隠されてしまった 大切な目を表に出して見せて貰っている…そんな気がします。鹿児島から沖縄に帰るとき、家族4人で対馬丸の映画を観ました。子供二人は私達の前の席にいたのでしたが、当時3年生の娘が泣き出して、後席の私の顔ばかり見て、アニメをとうとう見ることが出来ませんでした。そんなことなど思い出して、対馬丸の探索をし、実際対馬丸に乗船されたという、祖父を持つ方のメッセ-ジなどを読み、コメントを書いています。
幼少にB29に出会ったのが最初の飛行機で、今だに、飛行機を見ると恐怖が蘇ります。
てぃんが-ら様が 花に詳しくお好きなのも、ご自分のバランスを取っておられるのでは、と勝手に想像してしまいました。
安全が確保できたら、
できる限り現状のまま公開できればいいと思います。
安全対策や今後の行政の方針、働きかけ、等が気になりますね。それによって、永遠に残して行くには、どうすれば良いか、考えなければなりませんね。
旭ヶ丘公園は、市内でも大きな公園です。
おそらく丘の中は蟻の巣のように壕が掘られていると想います。
都市部の公園ですから、壕口が封鎖されるのは致し方ないところ。
整備・管理されるのが望ましいのですが、沢山の戦跡を抱える沖縄では難しい面があるのでしょうね。
硫黄島でもそうでしたが、戦闘に邪魔な住民は島外に疎開させました。追い出すことが目的で、安全な輸送は二の次だった感があります。
というか、このころ海上はすでに米軍に押さえられていたのですね。
読みながら 泣いてしまった子どもの頭をなでていた事を思い出しました。
軍はこのことは極秘にし、関係者にも事実は伝えられなかったそうです。