ウフ壕は糸満市真栄里1789番地、真栄里集落の東側丘陵にある自然壕です。戦時中、地元住民が避難するために整備されました。
真栄里には日本軍の最後の防衛戦として多くの陣地壕が構築され、日本軍が配備されました。陣地壕だけでは足りずに、民間の避難壕にも日本軍が入り込みました。
首里陥落後の6月4日、歩兵第32連隊第3大隊の連隊長以下50名が撤退してきてウフ壕に布陣しました、壕の中に避難していた住民たちは、日本軍に壕から追い出されました。
6月22日に牛島中将、長参謀が自決し、日本軍の組織的戦闘が終わった後でも第32連隊は抵抗を続けました。米軍は壕内の日本軍に対し、執拗に爆撃を繰り返し、ようやく8月28日になって日本軍は捧持していた軍隊旗を壕内で奉焼し、翌日米軍に降伏しました。
真栄里の山形の塔。沖縄戦で犠牲となった山形県出身者約4万柱の霊を祀っています。ウフ壕はこの塔の下にあります。
岩の隙間に壕口があります。入り口はフェンスで塞がれ、内部に入ることはできません。
山形の塔と道路を挟んだ反対側に、歩兵第32連隊終焉の地の碑が立てられています。
それだけ多くの人々がこんな小さな島で亡くなったのですね。