美しく 齢(よはひ)かさねむ もみじ観て
東福寺
もみじの美しさを観ながら、
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
が思い浮かびます。古今和歌集に収録されている小野小町の歌とか・・・。
「もみじ」も花も、一年経てばまた美しい姿になってこの世に現れることができます。
一方、人は、見た目の容姿だけに限りますと、歳と共に衰えていくと見るのが自然でしょうか?このように思うと、少し寂しくなります。
でも、品の良さに包まれたお年寄りに、時たま出逢います。
心ゆたかに齢を重ねると、あのようになれるのかな~、と時折思います。
京のもみじを観ながら、美しく齢を重ねたいものだと思いました。
以前にも書きましたが、「美しく齢を重ねる・・・」の言葉に出会いますと、吉川英治さんの新・平家物語の最終巻「吉野雛の巻」の最終場面が目に浮かびます。講談社・吉川英治文庫「新・平家物語(16)」、376ページ、麻鳥・蓬夫婦を息子の麻丸が吉野山の千本桜のところで見つける場面です。
「谷を前にした崖ぎわの草の良い所に、二つのまろい背中が見える。— 白髪の雛でも並べたようだ。満山の花に面を向けたまま、行儀よく、そして、いつまでも、ただ黙然と、すわっている。・・・」
377ページの挿絵がこれまた素晴らしい!