家康の天下取りへの執念が、ますます凄まじくなります。
大体秀吉亡き後の豊臣政権は、ホント隙だらけです。
その隙に家康の爺さん、思いっきりつけ込みます。
太閤贔屓の自分としては、家康ってのは生理的に受け付けないんですが、この時期(そして後の冬夏の大坂の陣のころ)の家康は、メチャクチャむかつきますね
だけど、戦国時代をまともに生き抜いてきた人間と、その2世達とでは、まともな喧嘩になりません。
家康の掌の上で、反家康勢力は完全に踊らされ、ほとんど思うがままに展開し、次の巻にていよいよ関ヶ原の戦い、となります。
実際は家康にしても伸るか反るかの、博打的要素が大きかったんですが、徳川家康と石田三成というリーダーとしての資質が、まともに結果に反映した戦いですね。
西暦で1599年12月始めから1600年8月25日です。
およそこの9ヶ月に渡って行われた前哨戦で、関ヶ原の結果が決定したようなもんですから、池波正太郎さん丁寧に書き込んでます。
真田家は、昌幸(お父さん)と幸村(次男)が西軍(石田三成)につき、信之(長男)が東軍(徳川家康)につきます。
真田昌幸が中央の情勢に、もっと詳しかったら、果たして西軍についたかどうか・・・
というよりも、真田昌幸は別として、幸村と信之の生き方の違いが、ここでハッキリとした、ということなんでしょう。
大体秀吉亡き後の豊臣政権は、ホント隙だらけです。
その隙に家康の爺さん、思いっきりつけ込みます。
太閤贔屓の自分としては、家康ってのは生理的に受け付けないんですが、この時期(そして後の冬夏の大坂の陣のころ)の家康は、メチャクチャむかつきますね
だけど、戦国時代をまともに生き抜いてきた人間と、その2世達とでは、まともな喧嘩になりません。
家康の掌の上で、反家康勢力は完全に踊らされ、ほとんど思うがままに展開し、次の巻にていよいよ関ヶ原の戦い、となります。
実際は家康にしても伸るか反るかの、博打的要素が大きかったんですが、徳川家康と石田三成というリーダーとしての資質が、まともに結果に反映した戦いですね。
西暦で1599年12月始めから1600年8月25日です。
およそこの9ヶ月に渡って行われた前哨戦で、関ヶ原の結果が決定したようなもんですから、池波正太郎さん丁寧に書き込んでます。
真田家は、昌幸(お父さん)と幸村(次男)が西軍(石田三成)につき、信之(長男)が東軍(徳川家康)につきます。
真田昌幸が中央の情勢に、もっと詳しかったら、果たして西軍についたかどうか・・・
というよりも、真田昌幸は別として、幸村と信之の生き方の違いが、ここでハッキリとした、ということなんでしょう。
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