平蔵日記

クサガメ平蔵の日記。他に徒然なるまま気の向くまま・・・

「剣客商売 辻斬り」 池波正太郎

2006年07月23日 20時21分06秒 | 読書
「剣客商売」シリーズの第2作。
収録作品は
・鬼熊酒屋
・辻斬り
・老虎
・悪い虫
・三冬の乳房
・妖怪・小雨坊
・不二楼・蘭の間
の7編。
自分より強い男が好き、という佐々木三冬。
彼女は最初、秋山小兵衛に心を寄せていたんですが、段々とその息子、大治郎に惹かれていく様子が可愛いですね。
こういう1話完結の物語の脇で流れていくストーリー展開を楽しむというのも、短編シリーズ物の醍醐味でしょうか。


辻斬り―剣客商売

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「剣客商売」 池波正太郎

2006年07月22日 20時05分34秒 | 読書
最近本屋さんにも行ってなく、読む本もないので、何気なく手に取った一冊。
一番最初に読んだのは、自分の汚い字で本に書き込んだ記録によると「1995年4月20日」。
それから何度読んだか覚えてませんが、結局またはまりました。
「鬼平犯課帳」「藤枝梅安」とあわせて、池波正太郎さんの3大シリーズ物の一つということになるかと思いますが、基本的にテンポのいい勧善懲悪ものという感じで、読んでて心地よいです。
年代が明記されてはいませんが、シリーズ第1作目にあたる本巻の第1話「女武芸者」の中に、田沼意次が「今年の春に将軍から七千石の加増をうけ」とあるので、1777年以降の話かと思われます。徳川家康が幕府を開いてから170年以上が経ち、大政奉還により幕府が終わる100年近く前の期間かな。
一般的に田沼意次という人は、賄賂政治の代名詞みたいに悪く言われてたりしますが、本作品では山本周五郎の「栄花物語」と同様に、志の高い政治家として描かれています。
主人公は秋山小兵衛という剣術の達人。いわゆるスーパーマンです。
彼の息子、大治郎という、これまた剣術の達人や田沼意次の隠し子で女武芸者の佐々木三冬、江戸のご用聞き四谷の弥七らとともに、悪い奴らを懲らしめていく、という短編シリーズ物です。
たまに(っていっても滅多にないわけですが)暇も金ももてあました(しかも田沼の権勢を背景にした)隠居老人が、野次馬的に事件に関わろうとする秋山小兵衛の態度が、自分には鼻についたりしますが、大治郎の素朴さや佐々木三冬の可憐さ、小兵衛の40も年の離れた女房(初登場時はまだ女房ではありませんが)おはるの天真爛漫さが、物語に花を添え、文句なしに面白い物語です。

本編に収録されているのは、
・女武芸者
・剣の誓約
・芸者変転
・井関道場・四天王
・雨の鈴鹿川
・まゆ墨の金ちゃん
・御老中毒殺
の7編。

長編シリーズ物の開始という訳ですが、自分としては大好きな秋山大治郎の成長ぶりを楽しみながら、読み返していきたいと思います。

剣客商売

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「20年目のクラスメート」 メアリ・H・クラーク

2006年07月16日 20時38分46秒 | 読書
久しぶりのクラークです。
この人、自分でも絶対にハッピーエンドしか書かない、と仰ってるだけあって、とても安心して読めます(自分はハッピーエンドじゃないと嫌です)。
ジャンルはミステリということになるかと思いますが、この人の作品はヒロインが謎の犯人に精神的に(あるいは肉体的にも)追いつめられ、最後はヒロイン及びその協力者達の手によって逆に犯人を追いつめ、事件を解決していくという、悪く言えばワンパターンの展開です。
ですがその道具立ては幅広く、決して退屈させないまま一気に最後まで読ませるその技量は、さすがって感じです。
この「20年目のクラスメート」でも、やっぱり主人公は女性で、彼女の20年前の秘密を謎の犯人が利用して、彼女を追いつめていく、という物語です。
また物語が20年ぶりの同窓会から始まる、ということもあり謎の犯人の目的も20年間複数人に及ぶ復讐劇であるという舞台設定で、最後までいったい誰が彼女の味方なのか敵なのかがわからないまま進んでいきます。
途中までは登場人物も多く(自分どうもカタカナの名前が覚えられなくて・・・)、なかなか読むスピードは上がりませんでしたが、物語が進むにつれ引き込まれていき、結局最後は一気に読んでしまいました。
今回もしっかりとハッピーエンドで、心温まる読了感でした。

20年目のクラスメート

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「呼べばくる亀-亀、心理学に出会う」 中村陽吉

2006年07月09日 19時47分04秒 | 読書
ようやく手に入れました
面白かったですねぇ。
心理学ってのがどんなものか自分は知らないんですが、こんな風に亀にアプローチする人もいるんだな~と、素直に感動しました。
自分も平蔵と、共通のサインというものを見つけたいですね。

呼べばくる亀―亀、心理学に出会う

誠信書房

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「真田太平記(十二)雲の峰」 池波正太郎

2006年07月08日 20時20分49秒 | 読書
いよいよ最終巻。
大坂の陣後、徳川家康が死に政権は二代将軍秀忠に移ります。
この男なかなか執念深く、関ヶ原の折り真田昌幸・幸村から受けた屈辱(間に合わなかった・・・プププです)を忘れられません。
二人ともすでにこの世の人ではないんですが、その怒りは徳川家に忠勤を励んでいた真田信之に向けられます。
家康は信之の忠勤に満足し、何かと目をかけていたんですが、家康が死んだ途端秀忠のねちっこい復讐が始まります。
この男、こういうところが嫌いですね。
実際にどんな人間だったかなんてことは、わかりっこないんですが(見てきたようなことを言う歴史研究家とかいう不思議な人種がいますが・・・)後世の人に、ほぼ共通してこういう陰湿な人間像で語られる人間ってのは、やっぱり当時の行いもしれてたんだと思います。
なんやかんやとありますが、結局草の物お江らの活躍もあり、先祖代々の土地(ってほど真田家は由緒ある家系でもないようですが)を追われてしまいますが、この時期流行った取り潰しにもあわず、結局明治維新まで存続する「真田」の礎を築いた、信之の人間が語られていきます。

全然蛇足ですが・・・この真田信之という人、なんであのコ○エーの「信○の野望」シリーズでの評価が、お父さんと弟に比べてあんなに低いんでしょう?

真田太平記〈第12巻〉雲の峰

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「真田太平記(十一)大坂夏の陣」 池波正太郎

2006年07月04日 22時42分14秒 | 読書
ようやく読み終えました
一ヶ月半ぶりです。
時代背景は、大坂冬の陣が終わり、大坂城が堀を埋め立てられ裸城にされ、夏の陣へ突入。そして豊臣家の滅亡というところです。
西暦で1914年12月から1915年10月ごろ。
大坂方首脳陣のばかばかしさはあえてほっとくとして、この巻は何といっても元和元年(1615年)五月七日(6月4日)の、真田幸村の奮戦に尽きますね。
客観的に見れば、真田幸村の立てた作戦は、この夏の陣においてはことごとく裏目に出て、何一つ実ってはいないわけで、軍略家としての能力は現代においてもてはやされてるほどは大したことないんですが・・・
そんなことは実はどうでもいいわけで、あの徳川軍に馬印を倒されるという「三方ケ原」以来の屈辱を味わわせ、家康に自害を決意させるまで追い込んだという、この痛快さが素晴らしい訳です。
最後は力つきてしまうわけですが、関ヶ原の折りに化け物じみた退却戦を敢行した島津をして「真田も討死にて候。真田日本一の兵(つわもの)、古よりの物語にも、これなき由」と言わしめた幸村の活躍に、自分なんかは血を沸かせてしまうのです

次はいよいよ最終巻。
今度は早く読も。

真田太平記〈第11巻〉大坂夏の陣

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「真田太平記(十)大坂入城」 池波正太郎

2006年05月12日 20時21分42秒 | 読書
いよいよ大坂の陣の始まり。
自分はこの10巻、そして11巻を読みたいがために、この長い小説を読み返してたようなもんです
今まで父ちゃん(昌幸)や兄ちゃん(信之)の影に隠れまくってた幸村が、ようやく活躍します!
幸村ファンにとっては、非常に長い道のりでした
さて時代背景としては、これはもうどっぷりと大坂の陣、いわゆる冬の陣一色です。
1614年9月から12月までの短い間の物語。
方広寺鐘銘事件により、徳川家から突きつけられた要求を豊臣家が蹴り、また今まで豊臣家と徳川家の間で外交官的な役割を担ってきた片桐且元を大坂城から追い出したことで、大坂冬の陣が始まります。
その時九度山に蟄居していた真田幸村は、大坂方の大野治長の要請に応え、九度山を脱出し、大坂城に入場。
そして大坂城の南側に真田丸と呼ばれる出丸を設け、徳川軍をそれこそコテンパンにやっつけます
とはいえ戦局には全く影響が無く(これが真田幸村がいまいちマイナーな理由なんでしょうね・・・)、大坂冬の陣は家康の思惑通り、両者の和睦によって終結します。
当然これも家康の謀略ですので、この和睦がなったとたん、徳川軍は大坂城の堀を全て埋めてしまい、大坂城を丸裸にしてしまいます
チッ・・・大坂の幹部連中は何をやってんだか・・・
まぁ真田幸村にしても大坂が勝なんて思ってもないでしょうから、この間に家康から幸村を寝返らせようとの命令を受けたお兄ちゃん、信之との再会も果たし、気力を充実させていよいよ11巻へと続いていくわけです。
池波正太郎さんが展開する物語ってのは、テンポが独特でホントに読んでて心地いいわけですが、本当なら憂鬱になる(大阪生まれの自分にとってはって意味で)話を、ぐいぐいと惹きつけ、捉えて離しません。

さぁ次は11巻。
大坂夏の陣です(泣くぞ~

真田太平記〈第10巻〉大坂入城

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「真田太平記(九)二条城」 池波正太郎

2006年05月11日 19時37分15秒 | 読書
加藤清正、浅野幸長の必死の工作により、豊臣秀頼が徳川家康の上洛要請に応え、ようやく秀頼、家康の対面がかないます。
形的には家康の実力に、秀頼(というか豊臣家)が屈服したということになるはずなんですが・・・
豊臣家の人たちってのは、苦労知らずというか、世間知らずというか・・・秀吉ってのはそんなに立派な人間か?
何が「太閤の威光」なんだか(これでも自分太閤贔屓です)。
その後も徳川政権に、表だって対抗しないくせに、かといって臣従もしません。
ちなみに本巻の裏表紙の作品説明には、「立派に成長した秀頼の姿は、あらてめて家康に豊臣家取潰しの決意を固めさせ・・・」と書いてありますが、何を言ってるんだか
世間知らずの坊ちゃんが、怖い物知らずでボケボケしてたのを、周りが勝手に堂々としている、と勘違いしただけですよ(本文読んでたら、そういう書き方をしてると思うんですけどね)。
確かにその後の家康のやり方ってのは、ますます強引にえげつなくなっていくわけですが・・・加藤清正を暗殺するし、浅野幸長も・・・
そして方広寺鐘銘事件。
これで家康の腹黒い、薄汚いイメージが決定されたんではないでしょうか。
けど、まともにその罠にかかってしまうんですから、豊臣家には家名を残すって考えはまったく無かったんでしょう。
所詮秀吉一代の成り上がりですから。
秀頼の取り巻き、淀君を中心とした馬鹿(あえてそう言わせてもらいますが)共達は、次巻と次々でますます炸裂していきます。
西暦では1611年から1614年の夏ごろか。
そういう世間の情勢の中、九度山の真田昌幸、幸村親子にとっては、そんな大坂の馬鹿っぷりは大歓迎な訳で、一日も早く徳川と豊臣との戦いが実現することを心待ちにしております。
配下である草の物達の間で、ちょっとした仲間割れが起こってしまいますが、こちらもその時にそなえ、準備に怠りはありません。
しかし時の流れというのは残酷なもので、とうとう真田昌幸は「関ヶ原の仕直し」が実現しないまま、帰らぬ人となってしまいます
その後起こった方広寺鐘銘事件。
大坂もいよいよ腹をくくり、いよいよ幸村のもとへも、大坂から密使が訪れます。

次巻よりいよいよ終盤の最大の見所、大坂の陣へ!

真田太平記〈9〉二条城

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「真田太平記(八)紀州九度山」 池波正太郎

2006年05月08日 21時55分08秒 | 読書
5~7巻と、真田家とその配下である草の者達の活躍よりも、史実を中心として池波節で丁寧に展開されていましたが、本巻ではようやく真田家及び草の者中心に物語が進みます。
1600年の暮から1605年、しばらく空白があり1610年から1611年といったあたり。
関が原の戦後処理も終わり、徳川家康が征夷大将軍となります。
その後家康は将軍位を息子秀忠に譲り、徳川政権を磐石なものとします。
家康自らは大御所として威勢を奮い、豊臣家に対し上洛するよう求め、豊臣家がそれを拒んでいる、といった状況。
加藤清正、浅野幸長の両名が、豊臣・徳川両家の間で板ばさみとなっているのが泣かせます。
この中で真田家は、もともと分家であった長男真之への徳川家の信頼が益々厚く、逆に本家の昌幸、幸村父子が紀州九度山へ配流されます。
真田信之の思いは天下泰平を望み、真田昌幸、幸村は「いま一度、関が原の仕直しを・・・」の執念に燃えます。
草の者達も関ヶ原の戦い直前に、家康を討とうとして失敗した痛手からようやく立ち直り、生き残ったお江を中心に、再度家康の首を狙います。
徳川家がとりあえず天下を取ったかに見え、世の中には平和な空気が流れています・・・
しかし大坂の豊臣家がまだ存在している状況で、このままでは済まない予感を感じさせながら、次巻へと続きます。
(Amazon、ちゃんと画像用意せぇよ!)

真田太平記 (第8巻)

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「真田太平記(七)関ヶ原」 池波正太郎

2006年05月05日 20時37分16秒 | 読書
いよいよ関ヶ原の戦い。
あまりにも有名なこの戦いの結果、西軍勢力は滅び、また縮小され、東軍勢力、とくに徳川家の勢力は優に豊臣家を凌ぐこととなり、天下はほぼ徳川家のものとなりました。
小早川家の裏切りがなくとも、兵力的に優勢であったがそのほとんどが本気で戦わなかった西軍が、兵力が劣っていても全軍上げて戦った東軍に勝てる訳がなかったのかもしれません。
そのように事前に仕掛けていた、徳川家康の貫禄勝ちでしょう。
本巻は西暦1600年の8月25日から運命の9月15日を経て、10月末ごろまででしょうか。

関ヶ原にて両軍が激突する2週間ほど前。
9月2日から7日の間、真田昌幸は上田城にこもり、徳川秀忠率いる徳川第2軍を完璧に翻弄します(第2次上田合戦)。
その結果、徳川秀忠率いる4万近い軍団は、関ヶ原の戦いに間に合わない、ということになります。
「これならば、いかに治部(三成)とても、負くることはあるまい」
とは昌幸の言葉。
ところが負けるんです。
当日の戦況を知ったときの昌幸と幸村の失望は、
「あまりに愚かしく、なさけなく、正気の沙汰とはおもえぬ・・・」
だったそうで、このときの失望が、後の幸村を鬼神の働きへと駆り立てることになるんですが・・・

全体的に情けない人間ばっかりが目立ってしまいますが、滝川三九郎の爽やかさ、義の人大谷吉継の奮戦、島津義弘・豊久の化け物じみた退却戦、そして家康の忠臣本多忠勝が家康と戦うことを決意してでも真田親子の助命を、家康に迫るシーンなど、心震える場面も揃っています。

真田太平記〈7〉関ケ原

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