引馬峠ルート図
【9.27】
6:00、民宿を出発。昨日の渡渉ポイントの対岸にはすぐに古いペンキの跡が見つかりましたが、いきなり激しい藪こぎです。尾根に乗ると確かな踏み跡がありました。これが屋根ふきの職人が辿った古道なのだと思うと感慨深いものがあります。
平五郎山直下は藪がうるさくなりますが、赤布や赤テープがあり、どうやら尾根の末端からのぼられて今も登山の対象になっているようです。
標高(以下略)1725mを前にして藪が濃くなり、このあたりまであった真新しい赤布が消えました。ここから先はおそらく完全に自分の判断で進むしかなくなると考えるとちょっとした緊張感が・・・。ここからはおよそ1キロの距離を幕営地の1816mのポイントまで2時間30分もかかることになり、この先の藪にもういちど入れば抜け出す前に日没になることは間違いありません。。
引馬峠まで行くはずだった予定は早くもここでずれ始めました。
【9.28】
朝から藪こぎがスタート。雪の少ないためなのか南面の登りの藪が密できつい。すでに高さも2mを優に越えてます。
ようやく、いったん藪をぬけたところで、方向を確認しようとすると首から下げていたコンパスが・・・
ない!
藪にひかっかり飛ばされてしまったにちがいありません。この状態でコンパスがないのは致命的です。1時間ほどでしょうか、藪をかき分けて捜してはみましたが、みつかるはずもありません。
撤退も考えてはみたのですが、この下りの密藪をこなすのはおそらくかなりの困難が考えられます。
何よりもすぐそこに引馬峠はあるのです。
尾根をはずさないこと、これに細心の注意を払ってすすむことで結論が・・・
幸い、最悪の事態にそなえてGPSを持ってきていました。現在地の確認はできるので強力な武器になってくれるはずです。
ここからは、昔、ホウロク(会津の方言で迷うという意味)平と言われていたところを抜けるのですが、GPSのコンパス機能のタイムラグに悩まされてまったくと言っていいくらい進めなくなりました。
1896mからの下降で尾根がつかめなくなって決定的なタイムロス。登り返して、引馬峠直前の鞍部で精神的に疲れきってしまい16:00で行動をしまうことにしたのでした。
明日は、いよいよ引馬峠です。
【9.29】
引馬への道は確かな道でした。東から受ける朝の陽光が進路を指し示してくれました。
引馬の鞍部を廻り込んだところを降りて、火打石沢の源頭へ。ここで水を補給。これで下山まで水は心配がないことになりました。きのうのTOP画像はここを引馬峠に戻ったところにあったものです。舟岐川林道の延長線上の道の跡につけられたものでした。
いちど、登り返して引馬峠の最低鞍部を確認して、予定にはなかったのですが1981.7のピークに登ってみました。藪尾根を登って尾根の反対側からしかのぼることのできないからでしょうが、名前のない不遇の山です。
ピークからの展望は素晴らしいものでした。燧ヶ岳は雲に隠れていますが、孫兵衛山(まごのひょうえ)、黒岩山、長須ヶ玉山が目の前に広がっていました。
台倉高山への古道は尾根の北側、1950~60mのあたりに続いていました。振り返ると後ろを古(いにしえ)の山人(やまうど)が駆け抜けていくのではないのかと思わせる道です。
今日は越の沢廃道へ降りると思われる尾根の広い場所で行動終了。
【9.30】
朝、下り始めてわかったのですが、この付近の地形が複雑でどの尾根もみんな沢に消えていくために、何度も登り返すことになり、あっという間にお昼になる始末でした。
止むを得ず越ノ沢の対岸にみえる1771.6と1940の方向にむかう尾根を強引に降りましたが、すぐに越の沢の源頭の沢にあたり、トラバースして沢を2本越えたところに山仕事の古い道が・・・。
これを登ったところで、ようやくねらいの下降する尾根に乗ることができました。わからないはずです。ここから上の尾根は激しい藪に覆われていました。おそらく下降は困難であったかもしれません。
山仕事の跡のある急な尾根を降りて越ノ沢の廃道に出ると目的を達した安堵感で大きなため息つく自分がありました。
越ノ沢を渡渉をして、黒沢につけられているという廃道が見つからずすず竹まじりの急な泥壁を100mほども登りすぎましたが、トラバースぎみに下ると道は1500mのあたりにつけられていて、廃道と聞いていた道は車の入ってくることの出来る林道に整備されていました。
今日は広窪のあたりでテントを張って、明日には帰ろうと思っていたところでしたが、台倉高山を上ってきたという車に拾われて3時に檜枝岐に着くことになりました。
終わりました。長い間の念願の引馬峠越えが終わりました。
今日は、自分に褒美です。民宿に泊まることにしました。