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団長の雑技的時折BLOG

「山と渓谷のへっぽこ雑技団」のサイドレポートです。登山関連インフォメーション、山の本・映画・・etc.

杣添尾根ひとり占め

2006年03月01日 | 山と渓の日記

八ヶ岳東面の杣添尾根。28、29日の2日間で楽しんできました。

もともとマイナールートのところにもってきて、平日。誰とも会うこともない、静かな登山でした。

2500mから頂上直下2750mまではトレースもなく、ひとりでラッセル。ここのところなまけていたので、ほんとに堪えました。アタックの今日は2160mの幕場を6:20に出発して横岳山頂に着いたのが12:20。6時間もかかってしまいました。

自分がつけた一本のトレース。何物にも変えることのできない喜びです。

詳細は後日、HPで・・・・


ご近所の山

2006年02月03日 | 山と渓の日記
今日は仕事先のセッティングをミスられてしまって、そのまま帰ってきたのでぽっかりと時間が空いてしまいました。

ごろごろしていても仕方がないし、ここのところさっぱり山にも行けず体力の低下も心配になってきているわけで、ご近所の山にチョコッと行ってまいりました。

小田急線の本厚木からバスですぐ、我が家から来るまで10分位の所にある鳶尾山という高さ235mの小さな山です。この山にはささやかな自慢があって、以前から一度はお邪魔しなければと考えていた山です。ここの三角点は、明治16年に日本の一等三角点・一等水準点測量が始められたときに関東地方の最初の基点として設置されたという由緒ある折り目正しいものなのです。

登り口は天覧台公園という小さな町の公園の奧の石段(200段ほどあって駆け上がったら息が上がってしまった。ε-(´・`) フー)から始まります。地元のハイキングコースですから大きく「鳶尾山ハイキングコース」と書いた看板があるのですぐわかります。

金比羅神社という波板トタンでかこまれた何だかよくわからない神社を過ぎると、213mの小ピークに展望台が・・・



登ると横浜ランドマークタワーが見えました。風で微妙に揺れて落ち着きません。


コースはこんな感じです。まぁ、ふつう。



山頂には「桜の山をつくってますよ」と強調された立派な々々山名石碑が・・・



そして、自慢の三角点・・・



三角点って標柱のたった三角点も珍しいけど・・・

往復で2時間くらいでした。そこそこアップダウンもあり我が家から便利なのでトレイルラン風トレーニングコースに任命しました。


引馬峠越え(続き)

2005年10月02日 | 山と渓の日記
引馬峠ルート図


平五郎山


【9.27】

6:00、民宿を出発。昨日の渡渉ポイントの対岸にはすぐに古いペンキの跡が見つかりましたが、いきなり激しい藪こぎです。尾根に乗ると確かな踏み跡がありました。これが屋根ふきの職人が辿った古道なのだと思うと感慨深いものがあります。
平五郎山直下は藪がうるさくなりますが、赤布や赤テープがあり、どうやら尾根の末端からのぼられて今も登山の対象になっているようです。

標高(以下略)1725mを前にして藪が濃くなり、このあたりまであった真新しい赤布が消えました。ここから先はおそらく完全に自分の判断で進むしかなくなると考えるとちょっとした緊張感が・・・。ここからはおよそ1キロの距離を幕営地の1816mのポイントまで2時間30分もかかることになり、この先の藪にもういちど入れば抜け出す前に日没になることは間違いありません。。

引馬峠まで行くはずだった予定は早くもここでずれ始めました。

【9.28】

朝から藪こぎがスタート。雪の少ないためなのか南面の登りの藪が密できつい。すでに高さも2mを優に越えてます。


ようやく、いったん藪をぬけたところで、方向を確認しようとすると首から下げていたコンパスが・・・


ない!


藪にひかっかり飛ばされてしまったにちがいありません。この状態でコンパスがないのは致命的です。1時間ほどでしょうか、藪をかき分けて捜してはみましたが、みつかるはずもありません。

撤退も考えてはみたのですが、この下りの密藪をこなすのはおそらくかなりの困難が考えられます。

何よりもすぐそこに引馬峠はあるのです。

尾根をはずさないこと、これに細心の注意を払ってすすむことで結論が・・・

幸い、最悪の事態にそなえてGPSを持ってきていました。現在地の確認はできるので強力な武器になってくれるはずです。

ここからは、昔、ホウロク(会津の方言で迷うという意味)平と言われていたところを抜けるのですが、GPSのコンパス機能のタイムラグに悩まされてまったくと言っていいくらい進めなくなりました。

1896mからの下降で尾根がつかめなくなって決定的なタイムロス。登り返して、引馬峠直前の鞍部で精神的に疲れきってしまい16:00で行動をしまうことにしたのでした。

明日は、いよいよ引馬峠です。

【9.29】

引馬への道は確かな道でした。東から受ける朝の陽光が進路を指し示してくれました。


引馬の鞍部を廻り込んだところを降りて、火打石沢の源頭へ。ここで水を補給。これで下山まで水は心配がないことになりました。きのうのTOP画像はここを引馬峠に戻ったところにあったものです。舟岐川林道の延長線上の道の跡につけられたものでした。

いちど、登り返して引馬峠の最低鞍部を確認して、予定にはなかったのですが1981.7のピークに登ってみました。藪尾根を登って尾根の反対側からしかのぼることのできないからでしょうが、名前のない不遇の山です。

ピークからの展望は素晴らしいものでした。燧ヶ岳は雲に隠れていますが、孫兵衛山(まごのひょうえ)、黒岩山、長須ヶ玉山が目の前に広がっていました。

台倉高山への古道は尾根の北側、1950~60mのあたりに続いていました。振り返ると後ろを古(いにしえ)の山人(やまうど)が駆け抜けていくのではないのかと思わせる道です。



今日は越の沢廃道へ降りると思われる尾根の広い場所で行動終了。

【9.30】 

朝、下り始めてわかったのですが、この付近の地形が複雑でどの尾根もみんな沢に消えていくために、何度も登り返すことになり、あっという間にお昼になる始末でした。

止むを得ず越ノ沢の対岸にみえる1771.6と1940の方向にむかう尾根を強引に降りましたが、すぐに越の沢の源頭の沢にあたり、トラバースして沢を2本越えたところに山仕事の古い道が・・・。

これを登ったところで、ようやくねらいの下降する尾根に乗ることができました。わからないはずです。ここから上の尾根は激しい藪に覆われていました。おそらく下降は困難であったかもしれません。

山仕事の跡のある急な尾根を降りて越ノ沢の廃道に出ると目的を達した安堵感で大きなため息つく自分がありました。

越ノ沢を渡渉をして、黒沢につけられているという廃道が見つからずすず竹まじりの急な泥壁を100mほども登りすぎましたが、トラバースぎみに下ると道は1500mのあたりにつけられていて、廃道と聞いていた道は車の入ってくることの出来る林道に整備されていました。

渡渉ポイント


今日は広窪のあたりでテントを張って、明日には帰ろうと思っていたところでしたが、台倉高山を上ってきたという車に拾われて3時に檜枝岐に着くことになりました。

終わりました。長い間の念願の引馬峠越えが終わりました。

今日は、自分に褒美です。民宿に泊まることにしました。



引馬峠越え

2005年10月01日 | 山と渓の日記
錆びた引馬の道標

カヤデとは、カヤぶきの屋根をふく職人のことである。会津檜枝岐村から、カヤデ(あるいは会津カヤデとよばれる)が秋にやってきた。カヤデのオヤカタは、事前に注文を受けておき必要に応じて人数をあつめてくるという。かつての民家は、カヤぶきであり屋根替えは、一代で一回と考えられていた。・・・カヤデの人数は、屋根替えの規模によって4、5人から10人以上になることもあった。・・・引馬峠を越えて、川俣に出てくるため、川俣が一番最初の仕事の場所になった。昭和30年代には、カヤぶき屋根がなくなりカヤデは来なくなってきたようだ。
『栗山村誌』より抜粋

檜枝岐村の方にも短いがそれを裏付ける記録があります。
専業はやはり農業であるが、気象条件の最悪、耕地の分散と僅少、技術、肥料等の研究不十分などで、米作不能、雑穀を主に野菜などを作るが、食料は自給が出来ず、従って農業のみでは生活していくことができない。・・・兼業に曲げ物細工、巻き狩り、魚とり、縄ないなどをおこなっていた。他にやねふき、杣、こびきなどの出稼ぎで栃木、群馬に行っていた。
『会津郡長江庄桧枝岐村耕古録』(星知次編)

引馬峠は桧枝岐村と栗山村の生活必需品の無人交易の中継地でありました。栗山村には富士見峠を越えて日光から、今市からは大笹峠を越えて日用生活品が入ってきていたことから、当時(明治から昭和初期)の交易が帝釈山脈と表日光連山をこのように跨いでいたことになります。

しかし、引馬峠は無人交易の中継点にとどまることなく、そこを駆け抜けた一団のものでもあったわけです。

これが、引馬峠への峠道が川俣温泉にそそぐ錆沢につけられていたらしいという情報だけをたよりに、台風一過の9月26日、川俣温泉の民宿「きぬ姫」に宿を予約して出発したいきさつです。神奈川からですと、平日のラッシュをさけて9時に出発すると電車とバスを乗り継いで川俣温泉に着くのは3時をまわります。

こんな遠いところになぜ興味を持ってしまったのか、われながら不可解ですが、これが縁とでもいうものなのでしょうか。

当初の計画は、川俣温泉~平五郎山~引馬峠~孫兵衛山~引馬峠~台倉高山~少し戻った尾根~越ノ沢沿い廃道~桧枝岐村でした。

「昔のことで細かいことはすっかり忘れちまっただが、カヤふきの職人が平五郎山から下ってきた道があっただよ」

民宿「きぬ姫」のご主人の84歳になるおやじさんの一言に、古い峠道の取り付きが錆沢にあることがまちがいなさそうだという確信を強くして、錆沢の偵察に出かけました。

結果は・・・。

ありました。錆沢が二俣にわかれる手前に渡渉点があり、その先に平五郎山の尾根から南西に派生する支尾根が・・・。

今日はここまで。このあと、アクシデントつづきの4日間がありますが、つづきは明日に・・・。



小川山リターン

2005年08月28日 | 山と渓の日記
アウト・オブ・バランス

ヨセミテでちょこっとクライミングをして、スイッチが入ったみたいです。
久しぶりに小川山に出かけてしまいました。

27日
・スラブ状岩壁左岩壁
  高い窓/オーウェンのために祈りを/かわいい女/小川山ショートストーリー
28日
・八幡沢左岸スラブ
  春のもどり雪(4P)
・リバーサイド
  アウト・オブ・バランス

もしかしたら、復活?なんか、たのしかったなぁ。


少しづつ回復ちう、謝々。今日のランキングは? ポチッとよろしくネ(^_-)-☆


仙見川支流静川

2005年07月25日 | 山と渓の日記
恒例のろうまん山房沢ガイドです。例年は海の記念日連休を利用して行くのですが、今年はあれやこれやで一週遅れとなりました。
当初、仙見川中俣沢遡行~粟ヶ岳の計画だったのですが、初日の朝から雨がそぼ降りだして二俣に到着した時点で大粒の雨が川面を叩きだし、中俣沢のゴルジュ突破に不安定要素がでたので支流の静川にルートを変更することになりました。このあたりの判断はこの山域を知り尽くした高桑さんの真骨頂といっていいのでしょう。

今回は、あえてルートの保護という意味で詳細については触れずに沢旅記録として画像と簡単なコメントにとどめる事にしておきますが、興味のある方はしつこく調べてみてください。ある意味で大人の究極の沢旅と言ってもいいルートかもしれません。

なお、念のためにおことわりしておきますが、二俣までは仙見の衛兵・山ビルの一大生息地ですのでこれだけは勘弁という向きは止めておいたほうがいいかもしれません。

参考までに、高桑さんのスパッツの中でとぐろを巻いていた山ビル画像があるのでこちらをクリックしてください。

22日、門原トンネルで仮眠。朝からそぼ降る雨の中を門原林道の終点へ。そこからヒル街道をひたすら二俣に歩くことに・・。「ヒルにはキンカン」の合言葉で持ってきたキンカン2本も二俣に着く頃にはほぼなくなっていたのでした。

ここで、大粒の雨が降り出してルートの変更が決まり、静川から静越、越後白山を登って里にもどることになり出発です。

名前のとおり、周辺を険谷が囲む中で不思議にこの川だけが穏やかな渓相をみせています。さっそく、竿を出して一投。いきなりあたりが・・・。テンカラ修行の成果がやっとでました。わが、いんちきテンカラ人生の初釣果です!小ぶりではありますがきれいな魚体でした。



ルート変更で日程としては余裕がありすぎる位になったので、今日は早々と昼前にタープを張り辺りを釣り歩くことに。例によって、夜のとばりと焚き火のあかり、そして持ち寄ったわずかばかりの酒。渕を取りまく自然の神々に杯をささげるのでありました。



23日、この日、雨も上がり遡行日和になりのんびりと泊場とあとにします。下山してわかったのですが、新潟地方は昨日までが梅雨、この日梅雨明けということだったようなのです。うぅっ。



   若きテンカラ名手タケちゃん


愕くことに、この沢にはアマゴがいました。静岡以西が生息域と言われているこのアマゴに私たちは飛び上がって喜んだのでありました。事の真相はその昔、源流放流が行われそのまま居着いたということのようです。それにしても、このヒレピン・パーマークを見てください。なんとも言えないお姿でありませんか?


とりあえず、イワナのお刺身です。


「フライも一緒に・・」「いいから、今日はイワナ・アマゴ丼かき揚げ乗せが晩飯なんだから邪魔するなよ・・」「はいはい、わかりましたよ・・」大人の沢の大人気ない会話・・・。


24日、終了日。沢を詰めて静越えから宝蔵山へ。


   越後白山山頂


   慈光寺に下山



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清津川サゴイ沢(2)

2005年06月28日 | 山と渓の日記
いろいろ大変でしたが、それでも沢には楽しいことがいっぱい。

こんどの遡行には釣り集団「ニンニク」の皆さんが一緒でした。会長の包丁さばきと局長の竿さばきに大感謝でした。

コシアブラ、ヨブスマ、ふきのとう



     イワナです・・・



     イワナのにぎり鮨、コシアブラのかき揚げ



     シラネアオイ




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清津川サゴイ沢(1)

2005年06月28日 | 山と渓の日記
03年に雨で敗退したサゴイ沢にまた行って来ました。苗場山北面の突き上げていく原生の趣の濃い沢でした。
梅雨の真っ只中で天候が心配でしたが好天にめぐまれた遡行になりました。ただ、思わぬ雪渓処理と水量の多さに2日目の遡行時間が長くなり下山が深夜になってしまうという事態になってしまったのはちと情けなかったのですが・・。
なによりも、団長自らがバテこくってしまいパーティの足を引っ張ることなったのは謝っても謝りきれない醜態でありました。
反省して、これからは日ごろの精進を怠らないようにしないと・・。

6月25日(土)

     赤湯登山口から出発。梅雨の最中というのにこの暑さ・・

暑ぅ~


     原生の沢のたたずまい



     雪渓にはばまれて右岸を巻く



     泊場も残雪に埋まって・・・



6月26日

     この日も快晴、思わぬ泳ぎとシャワークライムも・・・



     危ないスノーブリッジ、右岸を巻く



このあと、15m滝は右壁をのぼり二俣へ、左股を詰めたのですが最後の藪こぎですっかりバテてしまいました。ここのところの怠けぐせのしっぺ返しでありました。

下山道に向かう、赤倉山の登りはたまらなく辛くヘロヘロ。
しかも、最悪なことに赤倉山分岐を刈り払いにつられて直進してしまい、往復で2時間以上のロスタイムとなってしまいました。赤倉分岐に戻ったときはすでに18時をまわっていて、赤湯への下山は懐電を点けることに。車止めに戻ったのは深夜でした。

登山道といえども確実に地図を確認しておけばという痛恨のミスでした。
みなさん、ごめんなさい。

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幻の引馬峠

2005年06月16日 | 山と渓の日記
【2005.5.22】



引馬峠。忘れられた峠です。

山を歩き続けていると思いどおりにいかないことがあるのですが、ここもそうです。
奧鬼怒から会津・木賊に帝釈山脈縦走をめざした2000年10月、ワンデリングしたあげく行き詰って引き返したのが、この引馬峠でした。その時に偶然見つけた切り付け(木の皮に刃物で付けた目印)が忘れられませんでした。

この峠は昔の交易路の中継点に間違いないと確信したものでした。切り付けには「→タシロ」とあり、会津側に進んだ田代山を指していました。90度回り込んだ側には「→ヒノエマタ」と・・・。

地図 を見てみるとわかりますが、これは栃木県栗山村と福島県桧枝岐村を結ぶ古い昔交易路です。地形は複雑でどのルートを使っていたのか判然としませんが、栗山村側からは黒沢沿いに林道がつけられていてこの林道がそのなごりとして残されているようです。

『栗山村誌』にも「引馬峠は、会津檜枝岐との交易の中継地になった。ここでも、富士見峠のような無人交易がおこなわれた。」とあった。簡単な記述ですが、はるかな民俗の歴史の臭いがします。「無人交易」とは一方の村から荷物を持っていったときには自分の家のものだとわかるように家号を目印にして残し、決まっていた相手方が取引の品物と交換に持ち帰るというものです。物々交換の形で交易されていたわけです。

その後、2002年10月、帝釈山脈の縦走は何とか果たすことができました。しかし、この時はどのように探してもあの切り付けのある木を見つけることができませんでした。この峠の地形は本当に複雑です。

もはや、地元の人に聞いても「引馬峠」は忘れ去られているようで名前さえ聞き返されるようになっているのですが、奧鬼怒からの会津への古道のロマンを捜しています。




残雪の剱岳八つ峰主稜完登

2005年06月16日 | 山と渓の日記
【2005.5.6】


4月29日 扇沢着ステーションビバーク

    30日 扇沢ーアルペンロードー室堂ー別山乗越ー剱沢キャンプ場

連休前半でまだ動き出していないのか剱沢はテントも10張ほど。隣のテントから、今日の八ッ峰のパーティが6峰の雪の情態が悪く下山したという連絡が。。。

5月1日 剱沢ー1・2のコルー5峰ー5・6のコル

6峰の登りで先行の5人パーティが足踏み。後続の2パーティが日帰り装備で登ってきていたので断念。すでに5月の日差しに雪は緩みきっていて我々もこれ以上は無理。予定通り5・6のコルで幕営。夕刻6時過から雨が降り出し、夜には暴風雨になりました。

   2日 停滞

朝になって、風は止んだが、雨で雪の状態が悪化して動けません。今日は停滞。昼近くなって、天気はしっかり回復してきたので、雨で濡れてしまったシュラフを干して一日を過ごすことに・・・。テントのフライは横にスッパリと切り裂かれて昨夜の風雨のすごさを物語っていました。

   3日 5・6のコルー7峰ー8峰ー剱岳ー平蔵谷ー剱沢ー雷鳥沢キャンプ場
八ッ峰上半部。早朝、4時半、行動開始。雪もしまり、快適に6峰を登る。7峰の下りはクライムダウン。ピーカンの北アルプスがまぶしく緊張感と重なって至福の時間をあじわうことが。。。



ついに山頂に。。。ウレシイ。。。





GW・剱岳八つ峰主稜

2005年06月16日 | 山と渓の日記
【2005.4.29】

やっと仕事がかたずいて、朝からパッキング・・・。
夕方、八王子集合なので少し余裕が出来てブログの更新ができました。

先週、矢筈から帰ってきてそのままになっていたプラブーツのインナーが汗でじっとりとしめったままだったので、あわてて干して乾かしているところです。
今年のGWは剱岳八ッ峰縦走。今度も、強力タフメンバーにひきずられてもたもたついていくことになりました。頑張らないとね・・・・。

矢筈岳中退(魚止山)

2005年06月12日 | 山と渓の日記
【2005.4.24】

川内山塊の名峰・矢筈岳をめざして新潟に・・・。

結果は、散々。19年ぶりの大雪に見舞われた新潟の山はきびしいものでした。



室谷洞窟から先は雪に覆われ、倉谷林道まで1時間の歩き。



尾根末端取り付き点までさらに1時間



854P直下のセラックとでも呼びたくなる亀裂をビビリながら登る




魚止山1178.6Pも亀裂でズダズダ



左の雪壁から藪を強引にぬけ山頂、ここまででした。



矢筈岳はまだまだ・・・。












奧利根・日崎山

2005年06月12日 | 山と渓の日記
【2005.3.22】
奧利根の奈良俣湖と洞元湖の間にまるで半島のような姿で挟まれた山域にたたずむ日崎山に行ってきました。静かな何物をも包み込んでしまうような世界でした。


19日早朝・雪

   奈良俣ダム・・・


   主稜線


20日、今日は予報どおり晴れ

   奧利根の向こうには上越国境稜線が・・・・(大烏帽子岳、桧倉山)


   ぶな林が広がる稜線



   山の哲学者・カモシカ


   山頂


   

権現岳東稜

2005年06月12日 | 山と渓の日記
【2005.3.13】
3月13日。
真冬並みの寒波到来で八ヶ岳西面は冷たい風にさいなまされたようですが、東面は快晴にめぐまれて登攀日よりでした。

バットレス


稜線


権現岳山頂

阿弥陀岳北西稜

2005年06月12日 | 山と渓の日記
【2005.2021】
18-19日。八ヶ岳、阿弥陀岳北西稜に行ってきました。
厳冬期、2月の北西稜はきびしい姿で私たちの前にたちふさがりましたが、登攀リーダー、荻タンの果敢なアタックのおかげで完登しました。

早朝6時に出発してテントに戻ったのが7時でしたから、13時間の長丁場です。一時はあわや、冬壁の真ん中でビバークかという場面もありましたがかろうじて、突破です。

詳細は後日、HPに記録をUPしますが、とりあえず当日の画像を公開します。

下部雪稜ラッセル


阿弥陀岳北西稜


登攀


阿弥陀岳山頂