オレのブログ

ロックとイラストの大好きな、社会の底辺にいるチンケな一青年のブログです。
つまらねー事しか書かねーが、よろしくな。

MDMAと嫌な記憶

2019-11-17 12:44:05 | 出来事

逮捕の1カ月前から薬物所持情報 沢尻エリカ容疑者、継続使用か

2019/11/17 09:41

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2019111701002248

 

 女優沢尻エリカ容疑者(33)の合成麻薬MDMA所持事件で、逮捕の約1カ月前、警視庁に、MDMAとは別の「違法薬物を所持している」などとの情報提供があり、組織犯罪対策5課が内偵捜査していたことが17日、捜査関係者への取材で分かった。

 押収したMDMAは以前から自宅で保管していたとみられている。継続的に違法薬物を使用していた可能性があり同課は詳しく調べる。17日朝、麻薬取締法違反容疑で送検した。

 捜査関係者によると、沢尻容疑者は15日夜に自宅を出て東京・渋谷のクラブへ行った。同課は16日朝、帰宅と同時に家宅捜索し、カプセル2錠を発見した。

 10年前に映画完成披露会で不機嫌な態度を示して、すげぇ叩かれた「エリカ様」こと沢尻エリカさんですが、MDMAの所持の容疑で逮捕されて大騒ぎになりました。

 沢尻エリカには特別な感情は持っていないが、MDMAは喉から手が出るほど欲しかった薬物で、私も飲んでみたいと思っていました。

 と言うのも、MDMAはPTSDの治療に有効な薬だと聞き、インデラルやパキシルが効かないと感じた時に「MDMA服用しようかな?」と思ったからです。

 

 MDMAの事はwikipediaとかで書かれていますが、PTSDの治療に効果があったとありました。

wikipediaより引用

3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン (英: 3,4-methylenedioxymethamphetamine)、あるいはMDMAは、アンフェタミンと類似した化学構造を持つ化合物である。愛の薬などと呼ばれ共感作用がある。幻覚剤に分類される。心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対し、MDMAを併用した心理療法の臨床試験がアメリカ合衆国で進行している。2017年にはアメリカで画期的治療法に指定され、FDAは承認審査を迅速化する。

臨床試験の、治療抵抗性の心的外傷後ストレス障害(PTSD)における使用量は、体重1キログラムあたり、約2ミリグラム以下である。同1ミリグラムから、知覚や認知や気分に変化を生じさせる。


アメリカでは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対するMDMAを併用した心理療法の臨床試験が進行しており、第II相の4つの試験では慢性的(長期の)PTSDを患う退役軍人や警察官や消防士を含んでいた。2016年11月には、第III相の臨床試験が承認されている。2017年。2017年の夏季にアメリカ食品医薬品局 (FDA) はこの治療法を画期的治療法に指定した。重篤か命にかかわる病気で、予備研究の証拠が既存の治療法よりも大きく改善することを示している場合に指定され、指定されるとFDAは審査を早く行う。


予備研究ではCAPSというPTSDの症状の評価尺度にて、79点台の症状は、MDMA支援心理療法53.7点の低下、心理療法のみでは20.5点の低下であった。さらに症状の改善は3.8年継続されている。比較として、セルトラリン(ゾロフト)のPTSDのためのFDAの臨床試験では、10.2点の低下である。これらのPTSDは平均19.5年の治療抵抗の期間を持ち、MDMA支援心理療法の治療から4年後に2人が再発したが、症状の改善は維持されていた。2018年のメタアナリシスでは、MDMAを使用した心理療法は持続エクスポージャー療法よりも効果量が大きく、また脱落率がはるかに低いことが明らかとなった。

こうしたPTSDに対する医療用途に対する報道はアメリカでは広範になされており、2010年に少なくとも138以上のメディアで取り上げられている。

 

 しかし、「MDMAは脳内のセロトニン等を過剰に放出させることにより、人間の精神に多幸感、他者との共感などの変化をもたらすとされる」とする一方で、死ぬケースもあり、日本では麻薬の一種に扱われ、麻薬及び向精神薬取締法によって規制されて、MDMAの輸入、輸出、製造は1年以上10年以下の懲役。譲受け、譲渡し、所持は7年以下の懲役。施用(しよう、経口摂取など、身体に用いること)は7年以下の懲役となる。今回の沢尻エリカさんの逮捕はそれに違反した為で、MDMAの使用は日本では認められていません。

 

 前の記事高校の時に酷い目に合わされた事を打ち明けましたが、高校時代の嫌な記憶を本当に消したいし、それでインデラルとパキシルを飲むようになりました。

 とは言え、インデラルもパキシルも副作用があり、特にパキシルは副作用が強くて攻撃性が増すと聞きます。

 

 実を言うと、パキシルの副作用が怖くて、3ヶ月で断薬し、1年は放って置きましたが、その結果病状が悪化して、結果重大なヘマやらかしてしまって、5ヶ月前から再びインデラルとパキシルを服用しています。

 今は落ち着いていますが、パキシルの恐ろしさを低く見ていた結果で、精神科医の指導に従いながら、パキシルを減らして、断薬して不安になったらまた服用すると言うのを繰り返しています。

 

 さて、MDMAで逮捕された沢尻エリカさんですが、MDMAに手を出したと言う事は、よっぽどあの騒動に嫌な思いをしたのだろうと思う。

 エリカ様報道は、アホなメディアとアホな視聴者によるイジメと見ていますが、俺の高校時代の奴等とやってることがそっくりで、沢尻さんを落としいれようと徹底的なバッシングを行って、本当に呆れてきますよ。MDMAで逮捕された事でまたエリカ様バッシングを行うだろうが、その前になぜこうなったかをじっくりと考えるべきだ。

 更にいうなれば、沢尻エリカさんのMDMA所持を招いたのは、くだらないメディアとそれに加担してバッシングを行う人々、と言っても過言ではありません

 

 沢尻さんには気の毒だが、薬に手を出したくなるほど苦しんだのは確かだ。

 

 MDMAは確かに効果があります。しかし、致死性もあり、多幸感もあるので下手に回すと乱用しがちになって治安も乱れるので、用意に解禁なんて出来ないだろう。俺も今はMDMAなんて欲しくないが、物騒なイメージもあるし、気にならなくなればもうMDMAどころかインデラルもSSRIも用済みだ。

 

 そういえば、唐沢貴洋という弁護士に殺害予告や嫌がらせをやって逮捕された人が出たと聞きますが、恐らく自分の嫌な過去に囚われて殺害予告や憎悪に満ちた書き込みをやっただろうから、そういう人にMDMAを投与すべきだと思う。期間をつけて、MDMAを投与して攻撃性がなくなるまで入院させると言う処置をとっておけば、少しはましになると思うがどうでしょうか?

 

 慎重になるべきです、MDMAの取り扱いについて


追悼ジンジャー・ベイカー

2019-10-08 23:58:51 | ロック
何かと有名人の死亡が多い令和元年だが、Creamのジンジャー・ベイカーも昨日亡くなってしまいました……😭 
 
逝去したクリームのジンジャー・ベイカーをポール・マッカートニーやフリーなどが追悼
2019/10/07 17:30
 
クリームのドラマー、ジンジャー・ベイカーの死を受けて、ポール・マッカートニーやフリーなど、ベイカーがコラボレーションしたアーティストや彼に影響を受けたアーティストたちが続々哀悼の意を表明した。「偉大なドラマー、ワイルドで素敵な男」とマッカートニーは偲んだ。

80歳でこの世を去ったジンジャー・ベイカー。その死が公表されると、ベイカーと共演した多くのアーティストや、彼から影響を受けたアーティストが、ソーシャルメディアでクリームのドラマーを追悼した。

「ジンジャー・ベイカーは偉大なドラマー、ワイルドで素敵な男」と、日曜日にベイカーの他界が公表された直後のポール・マッカートニーのツィートは始まった。そして「私たちはアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』で、ナイジェリアのラゴスにある彼のスタジオARC Studioで一緒に仕事をした。彼の死を知って悲しいが、彼の記憶は永遠に消えない」と続いた。

Ginger Baker, great drummer, wild and lovely guy. We worked together on the Band on the Run album in his ARC Studio, Lagos, Nigeria. Sad to hear that he died but the memories never will. X Paul pic.twitter.com/Rne4tn6A2i — Paul McCartney (@PaulMcCartney) October 6, 2019

レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーはInstagramで、「彼のプレイには大きすぎるほどの自由があった。本当にワイルドな男だ。俺たちが普段耳にするすべてのリズムを彼は空から引っ張り出した。安らかに眠れ、ジンジャー・ベイカー」と記した。

この投稿をInstagramで見る So much freedom in his playing. What a wildman. Rhythms weve heard all our lives he plucked them out of the sky. Rest In Peace Ginger Baker. Fleaさん(@flea333)がシェアした投稿 - 2019年10月月6日午前6時28分PDT

「時代を超えた最高のドラマーの一人。クリームの『カラフル・クリーム』ですべてが始まった」と、スティーヴン・ヴァン・ザントがツィートした。

ベイカーは現地時間10月6日朝にロンドンの病院で死去した。ロックの殿堂の2週間ほど後に、ベイカーの家族は彼が「危篤状態」だと公表していた。

ジンジャーの息子で、Music of Creamというトリビュートバンドのドラマーのコフィー・ベイカーは、2018年にローリングストーン誌で父親との壊れた親子関係について打ち明けたが、「先日、父を見舞って素晴らしい時間を過ごした。父と思い出話をしたり、音楽の話をした。父は僕が父のレガシーを絶やさないことを喜んでいる。僕たちの親子関係は修復されて、父は穏やかな心持ちだった。みんなの優しいメッセージと思い遣りに感謝する。父を愛しているし、これからもずっと父を恋しがると思う」とコメントした。


クリーム時代のバンドメイトだった故ジャック・ブルースの家族は、「ブルース家はジンジャー・ベイカーの家族、友人、ファンにお悔やみを申し上げます。愛憎が混在する友人関係でも、ジンジャーはジャックにとって兄のような存在でしたし、二人のケミストリーは見事なものでした。ジンジャー、安らかに眠ってください。あなたは時代を超越した偉大なドラマーの一人です」と、ベイカーの死を悼む声明を出した。

エドガー・ライト(Twitter)
音楽の巨人ジンジャー・ベイカー、安らかに眠れ。クリーム、ザ・グラハム・ボンド・オーガニゼーション、アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッドの多すぎるほどのお気に入り曲の後ろで響くビートの主よ(ドキュメンタリー映画『Beware of Mr Baker(原題)』を見てない人は今すぐチェックだ)。

ブライアン・ウィルソン
ジンジャー・ベイカーが他界したと聞いて残念だ。彼は偉大なドラマーだったし、あの頃の私たちはみんなクリームのファンだった。「Sunshine of Your Love(原題)」は最高の一曲だった。愛と慈悲を、ブライアンより」

ジェイ・ワインバーグ(Twitter)
ジンジャー・ベイカー、ありがとう。

ホークウインド(Twitter)
このニュースは本当に、とても悲しい……ジンジャー、高く飛ぶんだ! お前は唯一無二で本物のレジェンドだ……お前と一緒に仕事できて俺たちは本当に光栄だった……安らかに眠れ。

ラッシュ(Instagram)
若い頃、自分よりも大きいと感じたドラマー、誰よりも大きな影響を受けたミュージシャンはジンジャー・ベイカーだけだった……1968年6月5日にマッセイホールで見た、故ジャック・ブルースとエリック・クラプトンと一緒のクリームのライブの素晴らしさは絶対に忘れない。彼は天才ロックドラマーの走りで、その素晴らしいレガシーは生き続ける、ジンジャー家の人々、友人、ファンに心からお悔やみを申し上げる。

クエストラヴ(Instagram)
怪物的なリズム職人よ、ゆっくり休んでくれ 
 
 エリック・クラプトンがジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズを脱退した後、ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーで結成したクリームは、ビートルズと真逆のコンセプトに演奏テク重視のスタイルを取って、ギター/ベース/ドラム共に難しいプレイをすると言うすごい有名なバンドなんだよなぁ
Cream Sunshine of your love   Royal Albert Hall Nov´68
 
2年で解散したのが惜しまれるが、演奏テク重視しすぎで楽曲の質が悪かったとか、ソロ演奏が長すぎて客に飽きられたとか、いろいろ言われたが、実は結成前からジャックとジンジャーは異様なほど仲が悪く、解散直前にもナイフでジャックを脅して追い出したと言う逸話まで聞かれる程仲が悪かったそうです。事実、ジャックは解散後クラプトンを褒めていたがジンジャーを全く褒めず、時がたってゲイリー・ムーアとバンドを組んでも人間関係ですぐ解散と言う事もあったからなぁ
 
2005年に再結成して、5月にロイヤル・アルバート・ホールでライブをやったけど、余りにも悪い仲でよく再結成できたなと思うよ
Cream - White Room (Royal Albert Hall 2005) (17 of 22)
 
無論、互いの楽器を壊したり、ナイフを突きつけたりして、目を合わせるだけでも険悪な雰囲気をかもし出していた二人なので、スタジオで新アルバムをレコーディングなんて出来るはずが無いんだよな。ジャック・ブルースは5年前の2014年に亡くなられましたが、ジンジャーからのコメントは聞かなかったなぁ
 
そんなジンジャー・ベイカーですが、実はポール・マッカートニー&ウイングスでゲスト演奏したことがあるんですよ
「Picasso's Last Words」って曲
 
Paul McCartney & Wings Picasso's Last Words (2010 Remastered)
 
こんな大人しいナンバーに、何でジンジャーが?って思ったけど、ドラムが入ってねーし、何処にジンジャーがいるのよ?と思ったけど、後のwikipediaでジンジャーがパーカッションをやっていると知って、驚いた記憶が今でも残っていますねぇ。
上げた動画の1:57から展開されるシンセみたいなパーカッションサウンドがジンジャーによるものです
 
ザ・ビートルズは今でもすげぇ話題になるけどさ、ビートルズの演奏力を低く見て演奏テク重視のスタイルで結成されたクリームは、結局演奏テクを重視する余りに人間関係まで考慮されず、長ったらしい演奏も加わってすぐに飽きられて2年で空中分解したし、ハードな曲もあるけど、ギターサウンドの迫力はビートルズのより無い上にペラッペラだし、演奏テクでロックが決まる訳じゃないという反面教師を示したわけですよね(クラプトン及びクリームのファンには申し訳ないけど)
 
何はともあれ、ジンジャーが亡くなったのは悲しいです
お悔やみを申し上げます
 
ジンジャーの集大成であるクリームの「いやな奴」で締めくくります
Cream - Toad (Farewell Concert - Extended Edition) (10 of 11)

まるでジョン・レノン射殺事件の日本版だ……

2019-10-05 12:00:00 | 出来事
 令和最初の凶悪殺人事件「京都アニメーション放火殺人事件」。
 第一スタジオに男がガソリンを巻いて放火した事件で、35人が死亡すると言う痛ましい惨事となったが、新たに一人が死亡し、死者は36人になった

京アニ事件、死者36人にやけどで入院中の女性死亡
2019/10/05 10:55

 京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオの放火殺人事件で、京都府警は5日、重いやけどで入院中だった女性1人が新たに死亡したと発表した。事件の死者は計36人となった。死亡したのは4日。
 捜査関係者によると、9月中旬、重体の負傷者も命の危機をほぼ脱し回復傾向にあるとされていたが、女性の容体は一進一退が続いていたという。
 事件では、殺人や現住建造物等放火などの容疑でさいたま市の青葉真司容疑者(41)に逮捕状が出ている。青葉容疑者自身も深刻なやけどを負って入院中。容体が安定し、会話訓練ができる程度にまで回復したとされる
 
 この事件を聞いてすぐに連想したのが、ジョン・レノン射殺事件
 ザ・ビートルズのフロントマンとして名を馳せ、反戦平和活動で世界的大スターにのし上がったジョンだが、活動再開した途端に犯人のマーク・チャップマンに射殺されて、世界中が涙した悲劇極まりない事件だった。
 その悲劇に匹敵する事件が、21世紀の令和の時代に起こってしまった。
 
 犠牲者の中に著名なスタッフも含まれれていて、犠牲者の名前に木上益治氏や武本康弘氏、西屋太志氏、池田晶子氏、石田奈央美氏が上がっていたが、これ、もろジョン・レノン射殺事件の日本版じゃん!
 犯人の青葉 真司も精神疾患を持っていて、「自分の小説を盗みやがった!」と叫んで放火したそうですが、ここの所もチャップマンとそっくり。
 
 犠牲者の中に武本氏や池田氏も含まれているが、二人とも「涼宮ハルヒ」製作の中心人物で、見たことないので知らないが、名前だけなら何度も聞いたぞ。まさか、ハルヒの製作者が殺されてしまうなんて……
 
 小説のアイディアを盗んで放火、というが、あまりにも一方的過ぎる。俺も自分のアイディアをゲームやアニメ会社に提供したが、実際に使われても何の文句もないし、むしろ使われれば「俺にもそんな力があったか!」と自信が持てる。殺意も芽生える事もないし、金も欲しくない。ただ、俺なりのやれる事をやる、使ってもらえれば幸いだが、使ってもらえなくてもそれを自分の作品に向ける、それだけだ。青葉はその力のむける方向を完全に間違えた。
 
 ビートルズも京都アニメーションも、人々に感動を与え、社会現象まで起こしたのだが、こんな終わり方は理不尽だし、あまりにもひどすぎる
 
 チャップマンは世界的大スターを殺してしまった為に今でも名前を覚えられ、憎悪の対象となっているが、社会現象にまでなった大スターを殺したんだから、仮釈放はもう無理だろう。チャップマンを殺したい人が多すぎるからだ。36人も殺したんだから、青葉 真司の死刑は目に見えているが、無期懲役で済まされてもチャップマンと同じように釈放されることはまずないだろう。
 
 亡くなられた京アニの皆様にご冥福をお祈りします。

Guns n' Rosesをレビューするよ

2019-09-17 20:09:27 | ロック
 日ごろからビートルズやパンク、フォーク(気分によってはアニメソングとかも聴くよ)とかを聴いているのだが、何だかマンネリ化してきて、何か違った音楽も聴いてみたいな、と思い、YouTubeで普段聴かないジャンルのロックをあさって、「Civil War」というのがヒットして、そして中古CD屋でGuns 'N Rosesのベストアルバムを買ったよ

Civil War- Guns n' Roses.


 梅澤 春人も取り上げているGuns 'N Rosesですが、不良なイメージがあって、格好からしてワイルドだし、聴いたことがなかった俺でも名前はしょっちゅう聞きます。


 で、肝心のロックは、というと……ここから先はファンの皆さんが落ち込むだろうのレビューなんで、読まないでおいた方がいいでしょう。

 はっきりいいます。

ギターがショボッ!

 何だかギターサウンドに迫力が感じられないし、何だか気の除けたコーラみたいな感じがして、正直、日本のヴィジュアル系ロックの方が聴き応えがある。Guns 'N Rosesは一度試聴しましたけど、ギターサウンドがショボすぎて、まったく持って聴く気になれませんでした。

 評論家ぶるつもりはないのですが、あまりにもショボイギターサウンドに「こんなんでよくデビューできたな?」って感じがして、ギタリストのスラッシュとイジー・ストラドリンも真剣にやっていないとすら思えてきますよ。

 そりゃ、今回買ったベストアルバムには迫力のあるクールなギターサウンドもあることはあるし、「Civil War」は文句なしのハードロックソングだけど、他の曲に関してはハマれるものがない。心に響かないし、一回聴いてすぐ飽きる、歌詞もショボいし、明らかに売れたい目的で結成したバンドと見えてしまう。

 アルバムを出す頻度も異様なほど遅くて、デビューから32年経っているのに、スタジオアルバムは6枚しか出していなくて、いくらなんでも出さなさすぎだろ。
 「チャイニーズ・デモクラシー」に至っては2001年からリリースが予定されてたが、一向に出なくて「出す出す詐欺」とすら言われてしまってるんだよなぁ(2008年にめでたく出ましたが)。毎年2枚アルバムを出してた多忙なビートルズと真逆だろ。
 これでもまぁよく売れたと思いますよ。エアロスミスもギタリストを入れ替えてアルバム出したけど、大コケしてるもんなぁ。

 wikipediaの記事も見たけど、どうやらアクセル・ローズの人格に問題あったらしく、かなりわがままな性格で周囲を振り回していたそうだ。カート・コバーンもGuns 'N Rosesを嫌っているし、アクセルの周囲に気を使わない姿勢からオリジナルメンバーも嫌気を指して4人とも脱退してしまう(そのうちスラッシュとダフ・マッケイガン、マット・ソーラムの3人はその後Velvet Revolverを結成)で、アクセル人徳無さすぎ!

 スラッシュとダフ・マッケイガンは戻ってきたみたいだけどさ、イジー・ストラドリンとマット・ソーラムは戻ってないらしく、よほどアクセルを嫌っていると見ている

 Guns 'N Rosesの本質は見出そうとは思いますが、当分先の話になるだろう。

Punk Is Dead?

2019-01-09 23:27:00 | スポーツ
 しかし、去年の年末には悲しいニュースが入ってきた。鹿島アントラーズの大黒柱の小笠原 満男選手が現役引退した事だった。
 年齢も39歳だったし、怪我も多くて、去年のシーズンではベンチ入りが多くなったが、「ご苦労様でした」と同時に「パンクは死んだ……」とがっくり来た感覚があった。

 鹿島アントラーズのファンになってからまだ1年ですが、小笠原選手のプレースタイルや怪我を圧しても練習や試合に出て、レアル・マドリードやリーベル・プレート等の、トップに君臨するビッグクラブ相手にも堂々と立ち向かう姿勢は、パンクが大好きな私の心に大きく惹かれた。

 地元は札幌だが、「パンクが好き」だって事で鹿島アントラーズのファンになったし、前の記事にも取り上げましたが、小笠原 満男選手がHi-Standardの横山 健(Hi-Standardは昔からファンです)に似ているんで、地元の札幌を裏切って鹿島のファンになったほどです。

小笠原 満男選手


Hi-Standardの横山 健


 去年の9月の鹿島アントラーズVSコンサドーレ札幌戦にも私は鹿島を応援していました(小笠原選手が出なかったのが残念だったけど)。
 しかし、その小笠原選手が引退すると聞いて、「パンクは死んだ…」と落胆しました。

 ここから記事の引用に入ります

小笠原満男はいつも正直だった。悔しさを胸に戦い続けた男の引退。
01月08日 11:30

「今もスッキリしていないですよ」

 12月28日、引退会見後に行われた囲み取材。「スッキリしたのはいつだったか?」と訊いたとき、小笠原満男はすかさずそう返してから、「クラブW杯の3位決定戦後にみんなに言ったら、結構スッキリしたかな。それまではモヤモヤしたのがあったけど」と続けた。

 そんなやり取りに、彼を取材した21年間を想う。決して取材しやすい選手ではなかったが、小笠原はいつも正直だった。だから、彼と言葉をかわすのは嫌いじゃなかった。

 負けたあとは悔しさを隠しきれない。だから、敗戦の弁を訊くことは困難だった。声をかけても無言でスタスタと歩いていく。彼の前にポジションを取り、その行方を妨げようとしても、無駄だった。だからこそ彼の歩みを止める質問、最初の一言が重要だった。

 とはいえ、一度質問がうまくいったからといって、それが何度も通用する相手でもない。たとえ勝っても「2点、3点と追加点を取らなくちゃいけない」と言うのだから、取材陣が求めるコメント、たとえば喜びの声を得るのは簡単ではなかった。

職人のような人間臭さ。
 天邪鬼ともちょっと違う(その一面もあるかもしれないが)。勝つための仕事ができなかったときは、何を言っても言い訳になってしまうと考えている。だから、そういうときは話したくはない。

 逆に手放しに称賛されても自分が納得できていなければ、無邪気に受け入れることはできない。そんな小笠原に対して、「プロとしてどうなのか?」という声もあったのは事実だ。確かにそうかもしれない。

 それでも、私は昔かたぎの職人のような彼の人間臭さが好きだった。サッカー選手として誠心誠意ピッチ上での仕事と向き合う。だから、仲間たちからの信頼は厚い。対戦相手からすれば、手強く、悪役のような存在になったのも、自分の仲間、クラブへの忠誠心と勝利への貪欲さゆえ。そのことを改めて痛感する、そんな引退会見だった。

ベンチ外続きで「最後だな」。
「自分がピッチに立って勝ちたいという想いがすごく強いので、それができなくなったときは、やめるときだと決めていた。だから、引退を決断するうえで、葛藤はなかったです。今季(2018年シーズン)ベンチ外が続いたときに、なんとなく、最後だなという気持ちが徐々に芽生えてきた。もちろん、その日が来ないように、少しでも長く頑張るという気持ちでやってきましたけど。

 シーズン終盤に試合で使ってもらえる機会も増えたんですけど、正直それは、同じポジションの選手が怪我をしたり、出場停止だったから。それなら若い選手、これからの選手が出るべき。アントラーズが強くなっていくために、自分が身を引くときがきたなと。膝の怪我が原因で引退を決めたという報道がありましたが、それは事実ではなくて、練習もしていたし、試合に出る準備はしていたけれど、出られなくなったから」

 8月中旬からリーグ戦6試合連続でベンチ外が続いた。ACLを勝ち進んで過密日程が続くなか、小笠原の心のなかに「引退」の文字が浮かんだのだろう。

中田、柳沢、本田の姿。
 しかしその胸の内を誰かに相談することはなかったという。そんな彼を支えたのはかつてクラブに所属したOBたちの姿だった。

「自分がいざ辞めるとなったときに、すごく感じたのは、偉大なOBの方々が最後までこのチームでやり遂げたという姿を見てきたので、自分もそれをするべきだと思いました。自分がなかなか試合に出られなくなって、ベンチから外れることもあったときに感じたのは、中田浩二の姿であり、柳沢(敦)さんや本田(泰人)さんの姿でした。

 中田浩二は最後のシーズン、なかなか出場機会がなかったけど、練習を1日も休むことなく、最後の最後までやったのを見ていたので、自分もそうすべきだと。もちろん悔しさもあるけれど、自分の気持ちとは関係なく、チームのためにやるというのは、最後の最後までやり通したかった。(大岩)剛さんには『特別扱いはしないでほしい』ということをずっと言ってきた。(現役時代から)剛さんの背中を見てきたこともあるし、剛さんだから我慢できたこともありました。本当に感謝しかない」

偉大なOBの真似をしただけ。
 鹿島アントラーズに加入して以降、ずっと先輩たちの背中を見ながら成長してきた。最後も同じだったのだろう。

「自分がやってきたことというのは、偉大なOBたちの真似をしてきただけなので。いいときも悪いときもどういう振る舞いをすべきかというのを、先輩たちから見て学んできた。OBたちが素晴らしかっただけで、自分が誇れることはない」

 出場機会を失ったベテランが他クラブへ移籍することは特別なことではない。鹿島アントラーズでも秋田豊や柳沢敦をはじめ、新天地へ挑戦した選手は多い。しかし、他クラブへ移籍して、プレーするという選択肢は小笠原にはなかったという。

「他のクラブでやりたいというのは、まったく思わなかった。やっぱりここで、勝ってきたのが面白いし、タイトルを獲ってきたのがやり甲斐だった。他のチームでやるよりも、違う形でチームに恩返ししたいという気持ちが強くなった」

今後も本気で強くするために。
 現役選手ではない立場で、鹿島アントラーズのタイトル獲得に貢献したいという想いが引退の決断に繋がった。

「ずっと選手として突っ走ってきたので、それ以外のことに関しては素人です。特にこれといった武器がないので、いろんなものを見て、勉強し、どういう道に進みたいかっていうのを整理していきたい。何をやるというのは、自分の気持ちだけで決められるものではないので、クラブと相談していきたい。

 早くチームに貢献したいし、本気でアントラーズを強くするために関わりたい。世界のサッカーは発展しているし、努力している人たちがいるので。休みたいよりも働きたいです。働けるかどうかはわからないけれど(笑)」

 ここ近年は現役時代に指導者ライセンスを取得する選手もいるが、小笠原は何も持っていない。だから、引退後のビジョンはまったくの白紙だ。「将来、監督になりたいか」という質問にも上記のように「まだわからない」と答えている。

ゴールよりもPK失敗の記憶。
 そして、引退会見ではお馴染みの「記憶に残るゴールは?」という質問に対する答えが、まさに小笠原の本質を表現していた。

「ゴールではないのですが、ナビスコカップ決勝のPK戦で僕がキーパーに止められ、失ったタイトルの印象が強く残っている。自分のインサイドキックのミスで負けてしまい、いろんな人の想いやいろんなことすべてが変わってしまった。ジーコからずっと、『PK戦は運ではなく、120分、90分間戦い抜いて、ボロボロの足の状態でも狙ったところに強いボールを蹴らなくちゃいけない。だから、練習でのインサイドキック1本でも真剣に蹴らなくちゃいけない』とずっと言われていた。それを身をもって感じました。

 練習から意識してやっていかなくちゃいけないし、クラブW杯でも思ったんですけど、止めて蹴るというのは、すごく大事だし、その精度をあげていかなくちゃいけない。なんとなくやった“止めて蹴る”と、高い意識でやるのとでは、だいぶ差がついてくると思うので」

 1999年のナビスコカップ決勝の柏戦でのPK戦。最後のキッカーだった小笠原のキックが止められて敗れた。その悔いをずっと背負い戦ってきたのだろう。

W杯予選での決勝ゴールも……。
 そして、ジーコジャパンを救ったとも言われるワールドカップドイツ大会アジア最終予選バーレーン戦での決勝弾についても「あれは小野伸二のゴール」と言い切った。

「思い出深いゴールではありますけど、ずっとレギュラーだった伸二が直前に怪我をしての出場だった。自分としては複雑な想いがありました。伸二はいつか追いつき、追い越したいと思い続けてきた選手。その選手の怪我で代わりに出るというのは、思うところはあるんですけど、伸二は『ミツ、頑張れよ』と言ってくれた。悔しかったと思うんですけど。だからあれは、本来なら伸二が決めるゴールだったと思う。小野伸二の魂が宿りました。それだけ伸二には思い入れがあるので、頑張ってほしいですね」

 ゴールデンエイジと言われる1979年生まれの小笠原。1995年のU-17世界選手権メンバーでもあったが、彼の前には常に小野をはじめ、稲本潤一や酒井友之、そして中田浩二、本山雅志などのライバルたちがいた。

 1999年ワールドユース(現U-20W杯)の準優勝メンバーではあるけれど、2000年のシドニー五輪はメンバー外だった。日本代表でも中田英寿や中村俊輔など、ライバルをあげればキリがない。

「彼らに負けられないという想いでやってきたので、彼ら、ライバルの存在が僕のモチベーションでした。そういう人達から、学ぶこともいっぱいあった。同期の曽ヶ端、本山、中田浩二や他クラブなら伸二や稲本の存在は大きいし、そういう人と一緒にやれたのは幸せなことでした」
逃したタイトルが何十個も。

 そんな小笠原にとって公式戦ラストマッチとなったのが、クラブW杯3位決定戦、リーベルプレート戦。2点差をつけられた76分、小笠原は内田篤人に代わりピッチに立った。

「最後の試合という特別な想いはなく、ただ、なんとか点をとって、勝ちたかった。やっぱり、最後にクラブW杯に優勝して終わりたかったので、悔しかった。でも、そういう想いで終わるのも自分らしいのかなって。

 悔いだらけです。獲ったタイトルもあるけど、獲れなかったタイトルが何十個もあるので。今年に限っていっても、ACLは獲れましたけど、ルヴァンも取れなかったし、JリーグもクラブW杯も取れなかったし。悔いばっかりです。代表でも悔しい想いをいっぱいしたいし。自分の人生は悔しい、悔しいの連続で、ライバルもいたし、負けたくない、そういう想いで突っ走ってきたなって思います」

 11月のACL決勝戦前後に組まれたJリーグ対セレッソ大阪戦と、柏レイソル戦に小笠原は先発し、控え組の若い選手を率いて2連勝と、決勝戦へ挑むチームをあと押ししている。

「あのとき、まだやれるという想いは芽生えませんでしたか?」と訊いた。

「そういう変な感情はなかった。今だからこそ言うけれど、正直ACLに出たかった。それは僕だけじゃなくて、若い選手たちもそうだと思う。そう思うべきだし。でも、与えられたJリーグの試合で、今までベンチ外で一緒に練習した若い選手たちといっしょに戦って、やっぱり勝たせてあげたかった。

 彼らがどう思っているかわからないけれど、ピッチに立つこと、そこに立って勝つということを示したかった。そこで勝てたというのは、チームの財産になるのかなって思うし、みんなで勝つことができて良かったですけど、本音はACL決勝に出たかったです」

 果たした任務の達成感以上に、悔しさがまた募っただけだった。

印象的だった鋭い瞳。
 鹿島に加入した直後も、U-19の合宿でも、小笠原はにぎやかな選手たちを少し離れた場所で見つめている東北出身の寡黙な少年だった。

 印象的なのはその鋭い瞳だ。

 ピッチに立てばギラギラとするのだろうが、なにかを射抜くような瞳は、油断とは無縁の飢えた獣のように見えることもあった。

 そんな少年は、いつしかクラブの大黒柱に成長した。寡黙さは相変わらずなのかもしれないが、チームの中心に立つ太い柱となり、鹿島アントラーズの25年間を繋いだ。

 現役引退会見で、獲れたタイトルの数よりも獲れなかったタイトルの数を数える。それが小笠原満男だ。だから、彼はたくさんの勝ち点を奪い獲り、タイトルを手にしたのだろう。
みんなで喜ぶ瞬間こそ幸せ。

「鹿島アントラーズの全部が好きですね。しいて言えば勝ちにこだわり、みんながひとつになって、タイトルへ向かうところ。そこがすごく好きです。、何よりもタイトルを獲って、みんなで抱き合い喜ぶあの瞬間が、一番報われるときで、幸せを感じる瞬間なので。

 絶対にこのチームはタイトルを獲り続けなくちゃいけない。だから、普通のチームになっちゃいけないと思う。ずっとタイトルを獲り続けて、強くなってきたチーム。急に強くなったわけじゃないし。いろんなものを積み重ねてここまで来た。今後もタイトルを獲って、どんどん積み重ねてほしいから。今度は違う形でそれに関わりたい」

 悔しさを笑顔でごまかすことはしない。悔しいという想いをポジティブな力に変えてきた。勝利にこだわり、球際での強さを発揮できるのは、鹿島アントラーズへの忠誠心とクラブ関係者、サポーター、仲間に対する誠意の表れだ。そして、自身の飢えを埋めるためなのだろう。

 現役を引退し、立場が変わっても、勝利への渇望はこれからも続いていくに違いない。

文=寺野典子


 小笠原選手の引退で「Punk Is Dead(パンクは死んだ)」と心にぽっかりと穴が開きました。

 しかし、小笠原選手を鹿島アントラーズの選手達は慕っているわけだし、私が願うことは、小笠原選手の精神を引き継ぎ、Jリーグの強豪はもちろんの事、レアル・マドリードやリーベル・プレート相手でも堂々と立ち向かい、点をもぎ取って「Punk Is Not Dead―パンクは死んでいない」事を示して欲しい、それだけです。

 小笠原 満男選手、ご苦労様です。