平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

アメリカ金融危機は対岸の火事ではない日本の脆弱性 3

2008年10月04日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

バブル崩壊後の不況色が強まり出した頃だったと思うのですが、当時、ある方が、「湾岸危機が終われば景気はよくなる」と言われたのに対し、私は、「いや、この不況はむしろ、50年というサイトで考えるべきだろう」と言ったことがあります。
結果的に、湾岸危機湾岸戦争となって、それが終わっても、何ら景気回復には繋がらなかったことは周知のことですが、同時に、実感はなかったとしても、ここ数年は数字の上では好景気だったわけですから、私の予想も見事に外れたことになります。
もうひとつ、同じ頃に私が言ったことの中に、「大恐慌になることはないまでも、今後、中恐慌、小恐慌になる可能性は十分にある」というものがあります。
その根拠は、大恐慌とは、そもそも、世界に協調態勢がまるでなかった時代のことであり(サミットG7もなかった時代ですから。)、その辺が格段に整備された現代ではよほどのことがない限り、起こりえないだろうということだったのですが、(無論、所詮は、各国とも、いざとなれば、自国だけは助かろうとするのが国際社会行動原理であり、そのことは、現在のアメリカの対応を見ていれば可能性は否定できないと思います。)こちらも、FRB手綱捌きよろしく、そういうことには至りませんでした。
ただ、それが外れたのではなく、まだ継続中だったとしたならば少し話は違ってきます。

で、昨日の続きですが、今回の第二次バブルともいえる不動産市況の好調の原動力となっていたのは、第一次バブル期と違い、投資家から金を集めて儲かるネタに投資して利益を上げようとするファンドであり、ファンドの購入額(投資基準)は、かつてのように周辺でこの金額で売れたという「事例」ではなく、投資と収入との割合、すなわち、利回りでした。
そして、ファンドは損をすることもながら、それ以上に「儲かってます」といって金を集めてこなければならず、つまり、実際にはそれだけの賃収が得られていないにもかかわらず、敢えて、高額の賃料設定し、高利回り保証することで儲かっているかのように偽装したのではないかと。
そうなると、表面上はうまくいっているように装っていても、内実は、倒れたくなければ走り続けなければならないという自転車操業と一緒で、いつかはどこかで破綻するシステムだったのではないかと・・・。
その上で、日本の現実は平成2年の第一次バブル崩壊後、何ら体質改善清算もすることなく、とりあえず、痛み止めでごまかして、臭い物に蓋をして、ずるずると今日まで来たのではないかと。
もしそうならば、ここで問題となってくるのはマンションオフィスビルなどの過剰建築です。

この辺はちょうど、一年くらい前に新潟に行ったとき、街のあちこちちでタワークレーンが見えることを指して、私が新潟人に、「新潟、景気良いじゃない」と言ったところ、「こんなに建ててどうするんですかね。新潟なんてこんなに人いませんよ」という答え・・・。
傍らの熊本人も、「熊本も一緒ですよ」と言い、それを受けて、私も、「福岡もそうだよ。明らかに実力以上に物が建ちすぎている」と。
私が、「来年の稚魚まで獲ってしまった」と言ってからすでに17年・・・。
それでなくとも供給過剰だったところへ、無思慮なまでに建て続けた状態のところへアメリカのバブルが弾けたわけで・・・。

アメリカは今回の金融危機が凌げたとしても、公的資金の投入はそれでなくとも借金漬けの国莫大な債務を抱え込むことを意味しており・・・。
アメリカははっきりとひとつの曲がり角を曲がったと思います。
(ちなみに、8年前の今頃、アメリカに行ったときに、向こうにいる親戚に「今のアメリカは間違いなくバブルだ」と言ったところ、「バブル?ボワット?」と。向こうでは「ブーム」と言うらしいです。何とも味気ないネーミングだこと・・・。)
そもそも、アメリカの金融危機対策にしても、日本の緊急景気対策にしても、国民のためにと言いながら、結局はまた、借金で首が回らなくなっている国が、「自分が選挙に勝つために」さらに借金を重ねるだけのことで、つまりは、これこそが、「自分の任期中だけ景気が良くなればいい」という民主主義というものの行き詰まりの必然的な構図なのだと思います。

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