平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

知恵伊豆と呼ばれた男の限界と、今そこにない危機。

2007年02月10日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

島原の乱の折り、鎮圧に向かった知恵伊豆こと松平伊豆守は、オランダの軍艦に砲撃させてこれを鎮圧したと言います。
彼はその威力を間近で見たはずですし、それ以前に、それを依頼したこと自体が、外国の武力がどれほど優れているかを認識していた証拠だと思いますが、一方で、鎖国というものも、ほぼ同時代に決まったことであることを思えば、徳川幕府というものに脅威を与えるのは、薩摩や長州などの国内勢力ばかりではなく、「外国」となるのではないかということは考えなかったのでしょうか?
とりあえずの徳川幕府の安定を考え、いつの日か起こるかもしれない外国の侵略というものには、敢えて目をふさいだ・・・。
確かに、いつそうなるのかわからない話であるにせよ、そのときには、徳川幕府どころか日本そのものが危なくなるというリスクに「知恵伊豆」と呼ばれたほどの人が「気がつかなかった」とも考えられないのですが。

この件に関しましては、やはり王朝の創始者である徳川家康基本方針が、「成長より安定」というものにあった以上、その内部の一執行者である伊豆守クラスでは、どうしようもなかったのだろうと思います。



(↑名城、松本城です。見事な偉容ですね。)
家康に、基本方針を定めた段階で、「いずれ鎖国というものに行き着く」ということまで考えろ・・・と言うのは、少し酷なことのようにも思えますが、世界が日本だけでない以上、外国という「枠外」のことを少しでも考えたなら、家康は「この方針でよかったのか?」、あるいは、「世の中が安定した後もこれでいいのか?」を考えるべきであり、さらには伊豆守や鎖国決定時の将軍である家光ら、その後の指導者たちも、殻に閉じこもってしまうことが、どれだけ危険なことなのか考えなかったのかと思えてなりません。

ちなみに松平伊豆守のこの話は、何が言いたかったかというと、現代日本人の北朝鮮とかの軍事的な脅威に対する感覚ということだけに限らず、地球温暖化とか宇宙汚染とかダイオキシンとかフロンガスとかジャパンパッシングとか、「いずれ大変なことになるんだろうけど・・・」という問題への、今の我々の接し方と同じじゃないかと言うことです。

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