僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

最後のアイドル歌手

2020-04-19 16:12:58 | 日記
 一九九三年三月。

 僕は大学進学のため、独り暮らしの準備を始めた。引っ越し用の荷物を整理する際、数日前に買った一冊の写真集を段ボールの底に忍ばせた。自慰用素材として生まれて初めて買った写真集は、新島弥生の「楽園をさがして」だ。

 新島は前年から僕のオナペットだった。書店で売られていたアイドル雑誌「BOMB!」で初めて新島の存在を知った僕は、ワンピースで胸の立体感がわかる彼女の表紙を見た途端、買わずにいられなくなった。裏表紙は新作シングルの広告だったはずで、CDの販促の一環として所属事務所が出版社に売り込んだのだろう。僕は歌手としての新島にまったく興味がなく、性欲処理の対象としか見ていなかった。

 思えば、僕にとって新島はアイドル歌手として最後のオナペットだ。九〇年代初めまで、アイドルといえば歌手だった。新島以外にも寺尾友美や井上晴美などを素材として用いていたが、彼女たちも歌手としてデビューしている。しかし、当時「冬の時代」と呼ばれたように、歌唱力のあるアイドルを育成できるほどの懐の広さは芸能界にはなく、アイドルはアイドルでもオナペットに特化したグラビアアイドルが市場として確立していった。

 新島は歌手が本業であってグラビアアイドルではない。だから、写真集の構成もすべてが水着姿ではなく、繰り返して使うには難があったので一年も持たずに処分してしまった。その頃はAVも気兼ねなく借りられるようになり、自慰の対象が十八歳以上に広がるなど、のべつ幕なしに素材を探していた。節操がない時期と言ってもよく、アルバイトやテレビゲーム、旅行などに時間を割いていたのも相まって、当時何回か用いた素材の名前は覚えているが、彼女たちをオナペットと呼ぶにはふさわしくない。

 歌手としても女優としてもメジャーになれなかった新島は、ヌード写真集でついに水着を脱いで乳房をあらわにしてしまったが、僕は二十代の彼女に興味はなく、相変わらず十五歳から十八歳までの素材探しに明け暮れた。新島は僕と同学年だが、もし彼女が五、六年あとに生まれてグラビアを本業としていたら、自慰回数の記録は伸び、もっと記憶に残っているだろう。

 「楽園をさがして」は十三、四年前に中古で再度入手した。その頃のグラビアアイドルと比較しても、水着は胸部の布面積が大きく、下半身はハイレグとはいえ臀部がしっかり覆われているという陳腐さに、僕はモデルへの演出がますます先鋭化に向かっていて、自らの性欲もそれに抗えないのだと痛感した。高校時代に性的興奮を激しく高ぶらせた新島の写真集は、三、四回使わせてもらっただけで押入れの収納棚行きとなり、引っ越しの際に処分した。

 十代後半から二十歳前後までは、女性の水着姿でも疑似本番でも漫画でも、ポルノグラフィであれば何でも自慰の素材としていたので、回数よりも記憶に残っているオナペットを厳選しないと収拾がつかなくなる。独り暮らしですっかり羽を伸ばした結果、僕にとって九〇年代前半は自慰人生の混迷期で、学業も中途半端になるなど周囲に迷惑ばかりかけることになる。




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