僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

U-18写真集の新陳代謝

2020-10-25 09:32:58 | 日記
 十八歳以下のグラビアアイドルが次々とデビューしていた頃は、自室に保管してある写真集の新陳代謝も激しかった。敷布団の下には常時、四、五冊を忍ばせていて、そのときの気分で素材を選んだ。時間が経てば飽きが生じ、古書店に買い取ってもらっては新しい写真集を買うための原資とする自転車操業が続いた。僕がこれまで手にした写真集の中で、最も保管期間が長かったのは、小倉優子の一作目「恋しくて優しくて」ではないだろうか。これが発売された二〇〇一年は、児童ポルノ法施行の余波が残っていたせいか、高校生世代の写真集があまり市場に出回らなかったので、僕の中で小倉が過大評価され、この年のオナペットはほぼ彼女一択だった。

 その後、彩文館出版やぶんか社、アクアハウスなどが、まだマイナーの域に留まっている高校生世代のグラビアアイドルの写真集を次々と発売し、僕の知るところとなった。それ以前は「お菓子系」に活動領域が限られていたものの、ビジネスになると睨んだ芸能プロダクションが参入するようになって、契約したばかりの素人でも顔立ちがよかったり、胸が大きかったりすれば写真集が出せるようになった。

 高校生世代の市場拡大に寄与したのは、写真集に特化した出版社と新興の芸能プロダクションだが、一方で「お菓子系」からは後々まで語り継がれるような人気モデルが輩出されなくなり、勢力が衰えていった。素人っぽさが失われていくのに違和感を覚えながらも、徐々に露出過度になっていくグラビアアイドルの低年齢化の一消費者として、僕は「クリーム」に興味を失い、三千円近くする写真集を買い求めた。

 「お菓子系」出身のモデルが芸能界で大成するのが難しいように、高校生世代でデビューしたグラビアイドルの多くも写真集を出したきり、目立った活動を残せぬまま所属事務所との契約が打ち切られる。〇四年のオナペットの一人、大津あずさもそうではないだろうか。小柄ながらも胸はかなり大きく、一作目の写真集「AZUBALOON」は僕にとって実用的だったが、しょせん時間が経てば飽きてしまう存在にすぎなかった。大津のその後の芸能活動も、いくつかの映像作品を発表しただけだ。

 つまり、大津ほどの器量のモデルは、五、六年前なら「お菓子系」に留まって芸能活動に見切りをつけていたはずなのに、出版社と芸能プロダクション双方のビジネスの持ち駒として強引に写真集市場に担ぎ出された。割を食らったのは僕たち消費者で、これまで雑誌で済ませていたのに高価な写真集を買わざるを得なくなった。しかも、表紙は性的興奮をそそるのに中身はさっぱりという駄作にも付き合わされる羽目になった。

 とはいえ、僕は出版社に対して恨みつらみはなく、むしろ高校生世代の市場を拡げていったことを評価したい。市場が拡大しなければ、良質なオナペットに邂逅することができなかっただろうし、僕の自慰回数も右肩上がりで増えなかったはずだ。DVDの製作コスト低下によって出版件数を減らしていく直前までが、写真集市場のピークだったと言えよう。



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