最新のR&Bチャートをご紹介

最新のR&Bチャートをご紹介します。
速藤年正 Toshimasa Hayato

アル・B・シュア!の「Nite And Day」

2005年06月09日 16時44分25秒 | 全米チャート
al_b_sure

今回は男性R&Bシンガーソングライター、アル・B・シュア!(Al B. Sure!)のデビュー曲「Nite And Day」を紹介します。

アル・B・シュア!の名前も日本ではあまりポピュラーじゃないですよね??
「!」(ビックリマーク)が名前に入ってる洋楽アーティストを答えてくださいという質問を以前に見かけたことがありますが、アル・B・シュア!の名前が出てくるのはそんな時ぐらいでしょうか…。
「Wham!」と「Tony! Toni! Tone!」と「Al B. Sure!」がその答えでした。確かあとひとつぐらいあったような気もしますが、どなたか分かる方がいればぜひ教えてください。

ミディアムテンポのグルーヴ感が心地いいラヴソング「Nite And Day」は、デビューアルバム『In Effect Mode』(1988年)からの1stシングルとしてカットされ、1988年4月30日付全米R&Bチャートで1位~3週連続をマーク。
アルバムではアル・B・シュア!とカイル・ウエスト(Kyle West)がほぼ全編のソングライトとプロデュースを担当し、GUYのテディ・ライリー(Teddy Riley)と初代のGUYメンバーだったティミー・ガトリング(Timmy Gatling)もゲスト参加。

ちなみにこのカイル・ウエストですが、最近ブームのカニエ・ウエストとは別人です。アル・B・シュア!のデビューアルバム『In Effect Mode』をきっかけに、テヴィン・キャンベル(Tevin Campbell)「Alone With You」(1992年10月10日付全米R&Bチャート1位)、ドネル・ジョーンズ(Donell Jones)「Where I Wanna Be (←名曲!)」(2000年6月24日付全米R&Bチャート2位)などなど、メロウなナンバーが光るプロデューサーとして知られています。

同時にアル・B・シュア!もプロデュース業が活発で、ジョデシィ(Jodeci)のデビューアルバム『Forever My Lady』(1991年)の全面プロデュースを手がけたことをきっかけに、テヴィン・キャンベルの1stアルバム『T.E.V.I.N.』(1991年)、アッシャー(Usher)の1stアルバム『Usher』(1994年)なども担当。
新人を見抜く力を兼ね備えていたアル・B・シュア!は、教会で歌っていた女性を自らのデモシンガーとして契約。まるで楽器のように正確な音階を奏でる彼女のニックネームは「博士」。現在のフェイス・エヴァンス(Faith Evans)です。

アル・B・シュア!の個人的お気に入り曲。

01.「Nite And Day」
02.「Off On Your Own (Girl)」
03.「Right Now」
04.「Killing Me Softly」←ロバータ・フラックのカバー
05.「I'm Still In Love With You」←サウンドトラック『Above The Rim』(1994年)収録

1990年代のR&Bシーンを駆け抜けたアル・B・シュア!のデビュー曲「Nite And Day」は、個人的評価☆☆☆★★(三ツ星)の力作です。

■アル・B・シュア!■
1969年ボストン生まれ、ニューヨーク州マウントヴァーノン育ち。本名アル・ブラウン(Al Brown)。幼いころからマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)やジョニー・マティス(Johnny Mathis)を聴き、10代でいとこのカイル・ウエストとソングライトを始める。高校時代はフットボールの名クオーターバックとして活躍するが、ニューヨークのメディアアートセンターに通うため、アイオワ大学のフットボール奨学生を断念。ラッパーのヘヴィ・D(Heavy D)と活動していたエドワード・フェレル(Edward Ferrell=DJ Eddie F)が高校時代からの仲間だったこともあり、アップタウンレコードのアンドレ・ハレル(Andre Harrell)と知り合い、ヘヴィ・D & ザ・ボーイズの1stアルバム『Living Large』(1987年)にヴォーカル参加。同年開催のタレントコンテスト《Sony Innovators Award》では、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の投票により記念すべき初代チャンピオンの座を獲得。アンドレ・ハレルのサポートもありワーナーレコードとのメジャー契約が成立したアル・B・シュア!は、DJ Eddie F、カイル・ウェストなどをプロデューサーに迎えデビューアルバム『In Effect Mode』(1988年)を発表。1stシングル「Nite And Day」(1988年4月30日付全米R&Bチャート1位~3週連続)、2ndシングル「Off On Your Own (Girl)」(1988年8月6日付全米R&Bチャート1位~2週連続)の連続R&Bナンバーワンが飛び出し、アルバムはダブルプラチナに輝くとともに、R&Bアルバムチャートで7週連続の首位を独走した。1989年にはクインシー・ジョンズのアルバム『Back On The Block』にヴォーカリストとして迎えられ、バリー・ホワイト(Barry White)、エル・デバージ(El DeBarge)、ジェームス・イングラム(James Ingram)とともに「The Secret Garden (Sweet Seduction Suite)」(1990年3月17日付全米R&Bチャート1位)を共演。1990年の2ndアルバム『Private Times...And The Whole 9!』からの1stシングル「Missunderstanding」(1990年11月24日付全米R&Bチャート1位)がR&Bナンバーワンに輝き、続く3rdアルバム『Sexy Versus』(1992年)からの1stシングル「Right Now」(1992年10月31日付全米R&Bチャート1位)もR&Bナンバーワンを獲得。その後一時的に音楽活動を休止するが、モータウンレコードの副社長を経て、自らのエンターテインメント会社を設立。テレビ番組の制作やチャリティオークションの運営を手がけるかたわら、ラジオ番組のレギュラーや映画出演もこなし、インターネットプロバイダーも経営。2003年にはデビュー15周年記念のベストアルバム『Very Best Of Al B. Sure!』が発売になっている。


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ポートレイトの「Here We Go Again」

2005年06月06日 19時34分27秒 | 全米チャート
Portrait

今回は男性4人組R&Bグループ、ポートレイト(Portrait)のデビュー曲「Here We Go Again」を紹介しましょう。

1980年代後半から1990年代前半にかけては、ハネるようなダンスビートのニュージャックスウィングが全盛でした。キース・スウェット(Keith Sweat)、ボビー・ブラウン(Bobby Brown)など数多くのヒットが飛び出しましたが、1991年のハイ・ファイヴ(Hi-Five)あたりを最後にムーヴメントも終息を迎えてましたでしょうか。ニュージャック期最後のヒット曲がポートレイトの「Here We Go Again」と言えるかもしれません。
ただ、ポートレイト自体はニュージャックスウィング系のグループというワケではなく、デビュー曲が時代に即したサウンドだっただけのことで、1991年のボーイズIIメン(Boyz II Men)もデビューシングル「Motownphilly」こそニュージャック調でしたが、その後はコーラスグループとしての実力を発揮する落ち着いた作品が多かったですよね。
ポートレイトの「Here We Go Again」には、ニュージャックサウンドの中にもコーラスグループとしての完成されたハーモニーがあると思いませんか?? 時代がニュージャックからコーラスグループへと移り変わる瞬間のド真ん中にいた作品。それこそが「Here We Go Again」だと思いますよ。

記念すべきデビュー曲「Here We Go Again」は、1stアルバム『Portrait』からの第1弾シングルとしてカットされ、1993年1月30日付全米R&Bチャートで3位をマーク。あとちょっとチャートを上がればその後のボーイズIIメンの地位と栄光を奪取できたのかもしれませんが、なんてったって当時(1993年1月30日付全米R&Bチャート)のナンバーワンはホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」(11週間連続1位)でしたからね…。どう考えたって、あとちょっとのポジションアップは苦しいですよ…。

メンバーのマイケル・アンジェロ・ソウルスベリーはプロデューサーとしても活躍し、サウンドトラック『Meteor Man』(1993年)からカットされたシャニース(Shanice)の「It's For You」(1993年9月11日付全米R&Bチャート14位)をはじめ、UNVの2ndアルバム『Universal Nubian Voices』(1995年)や、ザ・ウィスパーズ(The Whispers)の『Song Book Volume One - The Songs Of Babyface』(1997年)といった作品も手がけてます。

ポートレイトの個人的お気に入り曲

01.「Here We Go Again」
02.「How Deep Is Your Love」
03.「Be Thankful For What You've Got」
04.「Honey Dip」
05.「Day By Day」

(フレディ・ジャクソン同様、またしても)ホイットニー・ヒューストンに大スターの道を閉ざされてしまったポートレイト。彼らのデビュー曲「Here We Go Again」は個人的評価☆☆☆☆★(四つ星)のオススメ作品です。

■ポートレイト■
1985年、ロサンゼルス出身のエリック・カークランドとマイケル・アンジェロ・ソウルスベリーを中心に、ラッパーを加えた3人組R&Bグループとして活動をスタート。当初はコピー曲を演奏していたが、エリック・カークランドとマイケル・アンジェロ・ソウルスベリーの二人はオリジナル曲も作り始め、ロードアイランド出身のアーヴィン・ワシントンがグループに加わる。1989年にオクラホマ州出身のフィリップ・ジョンソンが加入し、4人組コーラスグループのポートレイトが誕生(ラッパーの男性はどこかの時点でフェードアウトしたらしい)。1992年のデビューアルバム『Portrait』からは「Here We Go Again」、ニュージャックスウィング調の「Honey Dip」(1993年4月17日付全米R&Bチャート18位)、スローバラード「Day By Day」(1993年7月17日付全米R&Bチャート42位)の3曲がチャートインを果たす。1993年には、映画『Addams Family Values』サウンドトラック用の1stシングルとして、ウィリアム・デヴォーン(William DeVaughn)のカバー「Be Thankful For What You've Got」(1994年4月2日付全米R&Bチャート59位)がヒット。シングルカットはされなかったが、サウンドトラック『Blankman』(1994年)にも新録音の「Do You Wanna Get Down」が収められた。1995年の2ndアルバム『All That Matters』からはミディアムビートの「I Can Call You」(1995年4月8日付全米R&Bチャート22位)、ビー・ジーズのカバー「How Deep Is Your Love」(1995年7月15日付全米R&Bチャート51位)をシングルカット。この後フィリップ・ジョンソンが脱退し、カート・ジャクソン(Kurt Jackson)が参加。クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)のアルバム『Q's Jook Joint』(1995年)収録の「Slow Jams」(1996年4月27日付全米R&Bチャート19位)では、新メンバー体制による見事なコーラスワークを披露した。ちなみにこの「Slow Jams」はアルバムバージョンとシングルバージョンの参加ゲストが異なり、アルバムにはベイビーフェイス、SWV、バリー・ホワイト、ポートレイトがクレジットされ、シングルではベイビーフェイス、タミア、バリー・ホワイト、ポートレイトがクレジットされている。1996年のサウンドトラック『Grace Of My Heart』に新録曲「In Another World」を収録以降、現時点において2000年のベストアルバム『Greatest Hits』が彼らの最新作となる。補足: 1997年にカバー曲でつづる日本独自の企画盤『ラブ・バラッズ』も発表され、リチャード・マークス(Richard Marx)の「Right Here Waiting」、ビー・ジーズ(The Bee Gees)の「Too Much Heaven」、エリック・クラプトン(Eric Clapton)の「Tears In Heaven」、コモドアーズ(Commodores)の「Three Times A Lady」といったオリジナルアルバム未収録曲が豪華に収められていた。


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ダーティ・ヴェガス

2005年06月02日 03時35分21秒 | 全米チャート
dirty_vegas

今回はイギリス出身男性3人組ダンスグループ、ダーティ・ヴェガス(Dirty Vegas)の「Walk Into The Sun (Dirty Vegas Club Mix)」を紹介しましょう。

ダーティ・ヴェガスの名前も作品も、日本ではあまりなじみがないですよね。彼らのプロフィールは後述するとして、作品としてはアルバム2枚から全米ダンスナンバーワンが2曲生まれたり、各アーティストからダンスリミックスを依頼されたりなど、ダンスシーンではちょっとした売れっ子です。

そもそも彼らがブレイクするきっかけとなったのはコマーシャルソング。2002年、三菱自動車「エクリプス」の全米向けコマーシャルにデビュー曲「Days Go By」(2002年6月8日付全米ダンスチャート1位)が使われて、一躍スポットを浴びることとなりました。

このブレイク直後からリミックス依頼が舞い込み、M-Factor「Mother」(2002年11月2日付全米ダンスチャート10位)、マドンナ(Madonna)「Die Another Day」(2002年11月30日付全米ダンスチャート1位)、ジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake)「Cry Me A River」(2003年3月29日付全米ダンスチャート2位)の3曲がヒット。
中でもマドンナのダンスナンバーワンが大きかったですね。1980年代のポップチャートを独占したマドンナも最近ではあまりポップヒットが目立ちませんが、全米ダンスチャートではリミックスがほとんど全曲ナンバーワンになる勢いです。マドンナのこれまでのポップチャートナンバーワンが12曲なのに対し、ダンスナンバーワンは実に33曲。
有名リミキサーから新人まで幅広いクリエイター陣を起用するのがマドンナの特徴で、マドンナからリミックスを依頼されれば一流と断言できます。

そのマドンナのリミックス効果も手伝って、2ndアルバム『One』からの1stシングル「Walk Into The Sun」も全米ダンスチャートでナンバーワン(2004年12月18日付)をマーク。

本国イギリスでのシングルチャートを調べてみると、デビュー曲「Days Go By」は2001年5月13日付シングルチャートで27位。その後の全米大ヒットを受けてイギリスチャートに再エントリーし、この時は2002年10月6日付シングルチャートで16位まで上がっています。
2ndアルバムからの「Walk Into The Sun」に関しては、2004年10月18日付イギリスシングルチャート54位とあまり振るいませんでした。
どちらかと言えば「Days Go By」のほうが売れた感じですが、ここであえて「Walk Into The Sun」を取り上げるのには理由があります。

この「Walk Into The Sun」にはリミックスが2種類あって、ひとつがDirty Vegasによるリミックス、もうひとつはKing Uniqueが手がけたリミックスです。両者を比べるとDirty Vegasのリミックスのほうがビートがしっかりしてて圧倒的にカッコいい(と思う)のですが、メインとなる「Dirty Vegas Club Mix」は12inchにしか入っておらず、CD Singleには未収録なのです。
そうなると、パソコンとか携帯デジタルプレイヤーで楽しみたい場合、ちょっと困っちゃいますよね??
レコード盤の音源をパソコンに取り込むことも可能ですが、準備や手順がややこしいので気軽に聴きたい場面には向かないこともあり、個人的にずっとCD化を望んでいるアイテムのひとつでした。
それが今やワンクリックでダウンロードできるんですから、技術の進歩はスゴいと思いますよ、ホント…。

ダーティ・ヴェガス自体これから大きくなっていく存在なので「Walk Into The Sun」の個人的評価は☆☆☆★★(三ツ星)と辛口ですが、ズンドコ激しいワケでもないし、ギュンギュン速いワケでもないので、心地よく聴けるダンスナンバーだと思います。

■ダーティ・ヴェガス■
2001年、ポール・ハリス(Paul Harris)、スティーヴ・スミス(Steve Smith)、ベン・ハリス(Ben Harris)の3人で結成。DJ兼プロデューサーのポール・ハリスは1990年代後半からロンドンのクラブDJとして活躍し、グループのキーボードとプロデュースを担当。シンガーのスティーヴ・スミスは、いくつかのインディ系ロックバンドにドラマーとして参加後、本業の印刷工を辞め、週末のクラブでパーカッション演奏をスタート。1990年代中盤までHigher Groundというバンドにドラマーとして在籍していたが、シンガーの脱退によりヴォーカルに起用される。バンド解散後、曲を書くためにダンスの聖地イビザを訪れ、クラブイベントに向かう途中の空港でポール・ハリスと出会い、共に音楽作りを目指す。ミュージシャン兼DJのベン・ハリスはインディロックバンドのFluid出身。デモテープを作る際、スタジオエンジニアのミックス作業に興味を持ち、レコーディングスタジオで働き始める。その後、ダンス系のレコードショップ経営と並行して自らのスタジオを作り、何曲かのクラブヒットをプロデュース。このスタジオワークにポール・ハリス、スティーヴ・スミスが順に加わって現在のダーティ・ヴェガスが誕生した。ダーティ・ヴェガスとしての1stシングル「Days Go By」はイギリスで2001年にリリースされ、2001年5月13日付シングルチャートで27位をマーク。その数カ月後にアメリカ三菱自動車のエクリプスCMソングに使われたことにより大ヒットを記録し、2002年6月に発表された1stアルバム『Dirty Vegas』は全米アルバムチャート初登場7位を記録。出世作「Days Go By」は第45回グラミー賞(2003年開催)の最優秀ダンスレコーディング賞にも輝いている。コンピューターサウンドを駆使した1stアルバムとは対照的に、2ndアルバム『One』ではライブ仕込みの生演奏サウンドを取り入れ、1stシングル「Walk Into The Sun」が全米ダンスチャートナンバーワンを獲得した。


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