しかし、問題は二つある。
隠岐へ流されても脱出して戻り、鎌倉幕府を倒して天皇自らの政権を打ち立て、尊氏の官位を剥奪して朝敵の罪名を被せた自分を、尊氏はどんな処遇で迎えるのかが一つ。
次に、京へ帰るのを義貞にどう告げるのかが一つ。それを義貞が知ればどんな事態になるのか不安である。短慮で義憤に走る義貞の事だから、天皇が義貞を見放せば義貞の方が朝敵になり、その場で自分の腹を掻き切るかも知れない。それだけで済めば良いのだが、後醍醐憎しと逆上し、いきなり斬りかかって来て殺されることも有りうる。義貞への対処の方が難しいと、後醍醐は悩んだ。
夜を待って、後醍醐は文観(もんかん)を呼び寄せた。対等な相談相手としては、この真言密教僧しかいない。
文観は五鈷杵を手にして後醍醐の前に座した。
後醍醐は文観を深く信頼している。文観を東寺の一長者に任じたのも、文観を使って僧界を支配するためである。それは、文観の真言立川流こそが天皇家の神祇や呪法と合致するからである。亀山・後宇多も共に真言密教の信奉者だったが、後醍醐の人格はそれを更に深く極めさせたものだったのだ。
後醍醐は、文観に尊氏からの申し入れを聞かせた。
「うーむ」
文観は苦戦の最中であるにもかかわらず、精力漲る顔色で考え込んだ。
「尊氏の本心はどうじゃ。我(わ)は首をはねられるかの?」
後醍醐は文観の考えを探った。
「天皇の首をはねる者など、この世にはおりませぬ。護良(もりよし)親王殿は誅殺されましたが、尊氏とて主上のお命までは奪いますまい。拙僧はまた硫黄ヶ島へ流されましょうが、ご心配には及びませぬ」
文観は後醍醐の命で鎌倉幕府調伏の祈祷を修した罪で硫黄ヶ島へ流され、後醍醐の政権奪取によって呼び戻されたのである。後醍醐は、幕府を倒せたのは自分と文観の呪力によるものと信じていた。
「ふむ。貴僧の呪法で、また何とかなるか?」
後醍醐の問いに、文観は微かに頷いた。
「危惧あるとすれば、義貞の方かと‥‥」
文観も同じ事を心配している。
「それで?」
ここからが肝心だ。
文観は後醍醐にも似た大きな鋭い眼をゆっくりと閉じ、暫し無言の後に眼を開いた。しかし、直ぐには答えが出ないらしい。
「拙僧はこれより、御本尊にお伺い申して参る。御免」
文観は別室へ下がった。御本尊である髑髏の前で、荼吉尼天法や大聖歓喜天法を行うのである。
これらの供養法は後醍醐も修しているが、今宵は文観にまかせようと思う。法力では文観にかなわないというのではなく、日本の神を受け継ぐ天皇家の惣領であると共に、文観から授かった真言密教立川流の呪法との合力により、神功皇后以上の法力を備えていると自負する後醍醐ではあるが、今は目立つ動きは控えなければならないのだ。
夜が明ける頃に文観が戻って来た。修法の疲れが表情に浮かんで見える。