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城山三郎『鳩侍始末』

2021年01月02日 | 書評

城山三郎『鳩侍始末』昭和33年「赤門文学」発表(新潮文庫『逃亡者』所収)

 舞台は江戸時代後期の尾張藩。11代藩主の徳川斉温(なりはる)は養子で、11代将軍家斉の19男である。9歳で家督を相続したが、病弱であり、21歳で死去した。鳩が好きで、江戸藩邸で数百羽を飼育し、全ての鳩に名前を付けて可愛がったという。しかし藩の財政は逼迫しており、家来の忠告を聞き入れて鳩を放つことにした(特に気に入っている鳩は残したとも言われる)。
 以上のような少ない資料をもとに、城山は一篇の小説に仕上げた。ただし、斉温は一度も尾張へは行かなかったが、小説の舞台は尾張に設定している。

      

 主人公久世藤吾は殿の鳩係に任じられた。お役なので鳩を好きになろうと努めている。殿が一羽一羽名付けた鳩の名も徐々に覚えている。鳩の表情や状態も読み取れるようになった。そうなると、鳩が藤吾を見る目も変わったように思える。
 同役に首藤鏡右衛門がいる。先輩なので業務内容には詳しいが、仕事には不熱心で、鳩好きでもない。それどころか、餌の仕入れなどで不正を働き私腹を肥やしているようだ。その老獪さを鳩は見抜いており、近づかなかった。
 藩内で百姓一揆が起こり、尾張藩では初めての出兵があった日、藤吾は藩校での同輩門三郎と会った。門三郎は、鳩侍になった藤吾に殿への進言を急いた。藤吾の父源之丞の遺言である庄内川分水溝工事の請願を、鳩侍として殿と直に接する時に話してみよ、と言うのだ。だが、役儀や身分をわきまえずに殿に申し上げる決断がつかなかった。出水で死者が出るのだぞ、何のために藩校の秀才が鳩侍になったのだ、と門三郎は言う。藤吾は苦悶する。
 鳩役の職務に励むだけでは駄目なのか。殿に父の請願を申し上げるために鳩役についたのではないかと門三郎に責められ、同輩の鏡右衛門には真面目な藤吾は利用されるばかりである。働くとは何なのか。

 藤吾は鳩役を極めるべく職務に専念し、名古屋城下の鳩小屋は藤吾の世界になった。鳩侍としての自信が門三郎へ訪ねさせ、山中へ入った。そこで藤吾は、盗伐で捕まりさらし首にされる男と出会った。同じようにさらし首にされた男の娘にも出会った。門三郎の女であった。
 いくら熱心に鳩役を極めても、鳩は殿さまの気分次第で飼育を止めることにもなる。領民は貧困に喘いでいる。役人は楽をして私腹を肥やす事ばかりを考えている。門三郎は病になった。入水して分水溝工事の人柱になれば、工事が行われると門三郎は言う。
 鳩を取るか、人を取るか。門三郎も鏡右衛門も、藤吾に理想を捨てさせようとする。
 貧民のために入水して工事を進めさせようとするのは門三郎のエゴである。鷹を使って鳩を襲わせてまで己の鳩役としての不正を隠そうとする鏡右衛門の非道もエゴである。いきなり鳩を飼うのを止めると言い出す殿の言動もエゴである。
 だが、このまま鳩役として鳩の世話を続けたいと望むのも藤吾のエゴである。

 藩財政の苦しき折、好きな鳩を止める決心をした殿は名君として称えられるのだろう。 
 困窮する領民のために命を捨てて請願した門三郎は偉人として称えられるのだろう。
 殿のお遊びに従いながらも老獪に職務を全うした鏡右衛門は立派な官吏として称えられるのだろう。

 国や組織の実情をわきまえずに自分の仕事のことしか考えない藤吾は、非政治的で幼稚な石頭の職人だと言われるのだろうか。
 藤吾の生き方が否定されるのは、殿さまや官吏がいる組織があり、困窮する民がいる国があり、私腹を肥やす官吏がいて、自分を犠牲にする官吏もいる、そのような世界に於いてである。だとすれば、藤吾が生きられる世界はあるのだろうか。

 労働には、具体的特殊的な労働と、抽象的普遍的な労働がある。一人の労働の中に二つの側面がある。それらが織りなされて実際の労働として表象されるのだが、その考察に際してはそれぞれを取り出して分析しなければならないので、簡単にはいかない。
 城山が描いた藤吾の袋小路は、労働論の問題として提起されなければ解決しないと思われる。