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昆布ロードと敦賀 その4

2021年01月16日 | 敦賀史

 

C)昆布の生産

 昆布の需要が高まると、自然の成育を待つだけでなく、何とかして昆布の収穫を増やそうとする努力がなされました。漁場を東に北へと拡張することは、昆布の産地の移動で分かります。それとは別に、決まった所での増産の方法について見てみます。

 大林雄也『大日本産業事蹟』(明治24年。東洋文庫所収版)に、「北海道昆布人工繁殖の事蹟」として、函館の山田文右衛門が開発した投石法を掲載しています。以下、文章を修正して引用します。
 文久二年(1862)六月、文右衛門が自分の漁場である沙流、勇払各郡を巡視すると、沙流郡の海浜でたまたま小片陶器(四五寸のすり鉢の破片)に昆布八九本の生えているのを認め、はじめて昆布の天然礁石のみに成育するものではなく、人力を以て海中に岩石を投じて繁殖させることを考えて、意を決して翌年より投石法を試みようとした。翌月、蝦夷人および旧来の雇人を牽いて東西を跋渉し、字「サルブト」川口において堅質の石があるのを発見した。翌年、製造した五艘の石積舟で、二万七千個の石を投入した。さらに翌年三月にも、五万個の石を投入した。翌慶応元年に例のごとく投石に着手し、前年投石した石を熟視すると、若昆布生出することが極めて多くあった。天然礁石の昆布とともに苅取った。その高、二百石になった。その後も投石を続け、明治元年には新旧昆布七百石を収穫し、後年さらに増加した。

 次に、促成コンブ養殖について、『函館市史・銭亀沢地区編』から抜き出してみます。
 昆布の促成栽培は、日本と中国でそれぞれ独自に開発され、1969年にはじめて提供されました。銭亀沢地区では昭和50年代からおこなわれたそうです。
 自然界ではコンブの種となる遊走子は、秋冬に親コンブから放出され、着底、発芽して、翌年春にコンブが姿を見せる。促成技術の核心は、人工照明と人工肥料の入った培養液の利用によって、コンブの受精、発芽期間を半分以下の二か月に短縮できたところにある。九月に地先の沿岸で採取した「沖コンブ」から種を採り、十月末には稚コンブの付いた種糸を出荷する。
 養殖漁場は水深約30メートル程度の沖合で、海底に投入した4トンのコンクリートブロックに、長さ120メートルのロープを張り、これを10個程度の浮玉で一定水深に保つ。種付けはロープの隙間に種糸を挟み込んでおこなう。種付け間隔は30から50センチで、一月以降コンブの成長を待って、小個体や変形個体を徐々に取り除き、最終的には一株五本以下に間引きする。
 間引きコンブは身が柔らかいので煮物に向き、干して出荷する。種コンブは直射日光に弱いため、当初は3メートル以深に沈めるが、春以降のコンブは成長にともなって光を求めるので、浮玉ロープを縮め、養殖コンブを海面近くにまで浮上させる。波浪や潮流を見て補強・調節を行う必要がある。

 このような促成栽培の技術によって、中国でも昆布が収穫されるようになり、逆に日本へ輸入されるようになりました。